宮城の県北と、岩手県南とは古くから繋がりがあった。

 

古代から集落があったようだが、それが同じ一族だったり親しい間柄だったりして、点在する集落同士が交流していたかもしれない。

 

江戸期には、一関や水沢で伊達家の親戚筋が城主となり、内陸は北上まで、沿岸部は宮城県北の気仙沼から、さらに北へ行った岩手県南の陸前高田、大船渡、釜石辺りまで仙台領となっていた。

 

そして、一関から気仙沼にかけて「気仙街道」があるが、そこには江戸時代や、それ以前からの古城や館跡がたくさんあったという。

 

「城や館」は、外敵からの防衛や戦闘時の基地だったり、領地の象徴だったりする場所で、堀や柵などをめぐらせた、領主の居住地のこと。

 

一関を東へ進むと「千厩」があり、さらに東に進むと、室根山のふもとの「折壁(おりかべ)」があって、この折壁辺りには街道に沿った場所に館城が多くあったそうだ。

 

中には、防禦陣地ではないため「屋敷」になるが、江戸時代に、中新田から移ってきた伊達家臣の真山氏が主となった「折壁城」と呼ばれる所もある。

 

だが、折壁の館城の多くは、葛西の一族や家臣であった「千葉氏」の物が多く、その辺りは千葉姓の方が今も多いらしい。

 

折壁は、千葉氏の繁栄した所といえる。

 

さて、その折壁の町を通ると「元祖白あんぱん」という文字が目を引く。

 

黒地に金文字の看板が似合う、木造の趣の有る店で、その名も「千葉本店」というお菓子屋さんであった。

 

明治4年に、この地の名物となる菓子を作ろうと、室根山の残雪の美しさを表現した「白あんぱん」という菓子が作られたと言われている。

 

千葉氏が繁栄した折壁だから、千葉本店のご主人は、まさに地元の民として地元の名物を作りたかったのかもしれない。

 

折壁には「千葉本店」の他にもう一つ、「道の駅かわさき」で「福島屋」という店の「白あんぱん」が置かれており、2つの「白あんぱん」が売られていた。

 

明治には、折壁の名物として、一つの店だけでなく複数の店で「白あんぱん」を作っていたらしく、千葉本店のご主人は、
「良いと思えばみんな作ったからね。今では、うちともう一件くらいかな残っているのは」と仰っていた。

 

その、2つの「白あんぱん」を味わう。

2つの白あんぱん

 

包みを開けると、まるっこい真っ白の姿が覗き、表面に白砂糖がまぶしてあるのに驚く。

凄く甘いのだろうかと、ちょっと気後れしそうだが、実は食べてみると、中の甘さは覚悟したほど強くない。

 

表面の砂糖は、食感を楽しむ効果があった。

 

中にもまた、白あんが入っているが、きちんと味わうと、後味がさっぱりした、上品な味わいであることが分る。

2つの「白あんぱん」は、微妙に味わいが違った。

 

千葉本店さんは、砂糖と皮と白あんの変化のある食感が、絶妙に調和する旨さ。

福島屋さんは、あんの食感が際立つ楽しさがあり、伝統の中にそれぞれの店の特徴が少しだけ覗く良さがある。

 

饅頭のような形と大きさだが、皮が饅頭とは少し違ったパンの風味であり、「白あんぱん」の名に納得。

 

さらに、室根山の残雪を思うと言う通り、表面の砂糖のしゃりしゃりと音を立てる食感の後に、白あんの、ほくほくして滑らかな口解けの良さが来て、なるほど雪のようである。
          
         
この滑らかさは、白あんがきちんと漉してある、丁寧に作られた菓子なのだろうと思われ、見た目の驚きと、食感の変化や上品な味わいに驚き、先人の作り出した技と、それを継承している実直さに感心した。

 


お茶と共に、じっくりと味わいながら、室根の山とふもとの麗しい景色を思い浮かべる、良い名物であるなぁと、その品との出会いを嬉しく思ったのであった。

 

参考:仙台領内古城・館』紫桃正隆著/千葉本店

※2010年公表記事再編集