何度も電話をかけても電話口に出ない父。

今までならば、また映画を観に出かけているのかな、

と気に留めなかったと思うのですが、

昨日の父の様子から、何かが起こっている!としか考えられませんでした。

 

実家に駆け付け、チャイムを何度鳴らしても出て来ないので、

合鍵でドアを開けて中を覗いてみて、その凄まじい惨状に一瞬息を吞みました。

玄関に置いてあった家具はなぎ倒され、汚物が部屋に散乱し…

 

一瞬、父の姿が見えませんでしたが、何やら人の声が奥からするので

奥の洋間に行ってみると、父が床に転がって、服を着ようともがいていました。

 

「どうしたの!?大丈夫!?」と駆け寄ると、意味の取れないことを呟いていました。

 

これは自分では手に負える状況ではない。。。

救急搬送を依頼しましたが、受け容れてくれる病院が見つかるまで大変でした。

 

その日、家に帰れたのは 夜中の12時半をまわっていました。

父は硬膜下血腫という病名で 翌朝に手術、無事成功しました。

 

それから1か月余り、

父は少しずつ正気を取り戻しつつあります。

 

手術したての頃は認知機能が正常ではなく、

「お父様が言うことを聞いてくれないので、娘さん何とかしてください!」と、

仕事の都合で病院に行けない時には ほぼ毎日、病院から電話が掛かって来て、

電話口に代わった混乱状態の父と、

不毛なやり取りを延々と続けなくてはなりませんでした。

「あなたのお父さんは、こんなに私たちに負担をかけ、迷惑をかけているのだ!」

と言わんばかりの心ない病院の対応ぶりに、

「プロ意識はないのだろうか?患者の家族は皆暇人だと思っているのだろうか?」と、憤りを覚える日々でした。

 

このまま認知症が進み、もう家には帰れないのでは?ということも覚悟しましたが、

先ずは身体がしっかり動くようになって来て、

さらに今の包括ケアの病院に転院してからは、

認知機能や精神面の向上が著しいように、私には思えます。

専門家はどう見ておられるかは分かりませんが…。

 

介護度認定の通知を待って、これからいろいろと動いて行かなくてはなりません。

また、病気の症状は9月くらいから時折出ていたようで、

電気が料金滞納のため契約を解除され、ガスも止まってしまいました。

未払いの家賃の処理や未提出の都営住宅の書類などなど、、、

様々な雑事も溜まっていますし、

部屋も人が住める状態ではないので、掃除もしなければなりません。

自宅からは片道1時間半かかるので、病院通いと実家の処理をすると一日がかりです。

なので、レッスンの無い日は父の事に終始し、なかなか他の事が出来ません。。。

のんびり休むなんて、夢のまた夢です(笑)

 

 

そして、父の面倒をみることが出来るのは、最早私一人しかいないのです。

 

 

今の自分の仕事は、私一人廻していて、金銭的にも時間的にも、

全く余裕のない状態です。。。

少し前までは精神的にもかなり追い詰められていて、

今回父が倒れるまでは、

「もし今、父に何かあったら、とてもやっていけない!生きていけない!」

と思いつめていました。

 

その私の心を見透かすように、父の異変は起こりました。

まるで「修行しなさいよ」と言っているかのように。

 

確かに、苦しい。辛い。絶望感に打ちひしがれることもあります。

 

でも。。。気が付いたことがあります。

 

父への愛情が、私の中から溢れて来ている。

実は、父とは血が繋がっていません。母が再婚した人なのです。

なのに、今はまるで実の父のような感じがします。

これは、かつては無かった気持ちです。

 

もう一度、父を家に帰してあげたい。

もう一度、自由に街を歩かせてあげたい。

大好きな映画を、自分の足で観に行かせてあげたい!

その想いが沸々と湧いて、私を動かします。

 

苦しいけれど、大変だけれど、

この心の灯りをエネルギーに変えて、父のために動きたい。

そう思います。

 

今年もよろしくお願いいたします。