私たちは、様々なモノに助けられて生きています。


今日の授業で先生から、鉄棒の「逆上がりの励行」は、「腹筋の強い人間を増やすという軍事的な目的」があったのだと聞きました。

たしかに、小さい頃は体育の授業で「逆上がりは必須」だったし、先生のお話をなるほどと思ったと同時に、ふっと、当時の小学校の先生が言っていたことを思い出しました。


当時の体育の先生が言ってた、逆上がりができないといけない理由は次の通り。


① 「人間、眼の前に棒があると、飛びついて乗り越えるか、くぐって通り過ぎるかするものだが、乗り越えようと走ってきて飛びつこうものなら、勢いがつきすぎて前のめりに顔から落ちてしまうかもしれない」

② 「もし、乗り越えなければならない障害なら、下からくるっと一回転して逆上がったほうが、安全だし、走ってきた勢いも使える」

③ 「同じく棒の上で静止するなら、見た目がきれいなのは逆に上がる方法です」


その先生は、今考えると、割に洒落た、合理的なことをおっしゃっていたのだと思います。

先生の今日の授業は、私にとっての発想の転換まで至らなかったですが、少なくとも今TVによく出ている「脳科学の先生(なんとかいう)」が言ってる、「アハ体験?」みたいで、なんだかスッキリしました。



それはさておき、身の回りの機器で人間工学的なモノ...(いろいろ考えてみましたが...)


かつて、修士論文で、私は「障害児童のためのコミュニケーション・エイド」の研究をしましたが、エイド(支援機器)の作成で最も苦労したのは、エイドについている「スイッチ」のON/OFF感覚でした。


パソコンも携帯電話も、大いなるスイッチの塊だと思う。スイッチはキーをカチッと入れる。

家の灯りも、換気扇の紐スイッチも、カチッとON/OFFする。


昔作った「エイド」はフラットなディスプレイの上にタッチパネルを使用しました。ディスプレイの表示に合わせて、スイッチ部をコントロールすることで、フレキシブルなスイッチを実現しようとしたのです。


そう思い、脳性まひのある児童にエイドを作成し、入力部分にパネルを導入すると、これが使いずらかった。

手が不随意的に動いてしまうので、目標点から外れてしまう。

フラットなすべすべパネルを用いたが、その上に木枠を作成してかぶせました。

そうすると、たちまちその子の手指の先が引っかかり、使いやすいと喜ばれた。


あのとき、要望があって付加した機能が、「クリック音」。

パネルには押し下げ感が付けられないので、カチッという抵抗感がない。その代わりが音だった。

これは大成功でした。その時は、その子が目標点を確実に押せるというより、私がその音をユーモラスに作ったので、幼い障害児には思い切り喜ばれました。例えば、一番評判だったのは、「でっかいおならの音」でした。


今、流行っているのはアイ・パッド、アイ・フォーンっていうんですか?

電車で若い人が指を広げたり閉じたり、あれ、みんな使ってますよね。

反面、私の母(85歳)は、最近、携帯をやっと使えるようになりましたが、使うきっかけと言うか、決め手はカチッと感(クリック感)でした。あれがないと操作した感じがしないと言います。

いろいろ使ってみて、カチカチの機種をやっと持つようになり、今使ってます。


私は携帯や、パソコンキーに非常なノウハウが隠れているような気がします。

スイッチを入れるという日常的な動作に、「確かに入れた」という感触を与えるにはどうしたらいいか。

実際、アイ・パッドって、障害のある方にはどうなんでしょうね。


やっぱり、昔、自分がやったように必要なら、「クリック音」が出るのでしょうか?(ウィンドウズ等のOSにはそういった機能が付いていたような...)


知らずに入れてしまうような危険なスイッチは要りませんもんね。そういった意味では宿題である、「私が日常で感じる人間工学的な機器」の代表格は、機器に必ず付いている様々な形状や用途の「スイッチ」たちです。