3月11日は、東日本大震災からまる6年目の日でした。
今日の僕は史上最高にぐうたらしました。
あいまに津波で街が飲み込まれるネット映像とか、被災地特集のテレビ番組なんかをはさみながら、色々考えるのを放棄するように三度寝くらいしました。
2011年3月11日は、なんだかよくわかんない日でした。
都内の埋立地の上にたつビルの9Fで働いていました。
30分後くらいに来客の予定があったのでその準備をしていたことを覚えています。
デスクでパソコン作業をしていたら、ぐらぐらっときて(よくある地震だよね的な)
縦揺れがきた頃にはキャーキャー女性社員の悲鳴が聞こえて、デスクの上からパソコンが落っこちたり自販機が倒れたりでとっさにデスクの下に隠れました。
社畜製造所とよんでも良い広告系の会社だったので、ディスプレイがデスクの上を滑っている状況でもキーボードを叩いてる人がいて、ちょっと笑いました。
20数年の人生で、ここまでの揺れを体験したことがなかったので状況がわからずぽかーんとしつつ、初めての経験に少しワクワクどきどきしている自分がいました。
周囲も同じような状況だったと思います。
少したって震源地の情報が社内に知れ渡ると、故郷を心配した数名の東北出身者が不安そうな顔をして、泣き出す女性社員もいました。
僕も悲しくなって、さっきまでわくわくしてことを申し訳なく感じました。
思っていた以上に事態は深刻。津波がきて行方不明者がでているかもしれないと、不確定な情報が飛び交っていました。会社から見えるお台場からは、倉庫のようなところから火があがっていました。なんだか大丈夫か?という不安と、まぁどうせたいしたことないだろうという根拠のない余裕が自分の中にはありました。
業務は全て中止。帰宅するにも交通機関はほとんどが大混乱。
会社からは非常食が配布され、帰れる人だけ帰るよう促されました。
家が遠い方々はかわいそうだなぁとか思いつつ
僕のマンションまでは歩いて30分くらいだったので、ラッキーとか思いながら
歩いて帰りました。そして、とても社畜な生活を送っていた当時は、こんな時間に帰れることないよな?と近所の飲み屋にルンルン気分で直行しました。
一杯目を注文した所で、飲み屋のテレビから流れるニュースに耳を疑いました。
・津波の被害が甚大。✕✕町では数百人が行方不明。
・福島で原発事故が発生中。
事態の深刻さに気分は落ち込んで、日本はどうなるのかという不安が、この日から日に日に膨らんでいきました。
初めての体験に、周囲の不安そうな顔に、様々な情報に、翻弄されてしまい
とにかくよくわかんない1日でした。
3.11以後、僕には、いくつかの選択肢がありました。
人体に悪影響を及ぼす量の放射能が飛んでいるかもしれない中、会社に通う必要はあるのだろうか。転職も少しずつ考え始めていたタイミングではありました。
海外からの移住者たちは、多くが家族の待つ故郷へ戻りました。そして、もう帰ってこない人もいました。日本人でさえ、岡山を筆頭に原発や地震のリスクが小さい場所へ移住する人が増えました。
外国人の彼女が国に帰ることになりました。一緒に行こうと誘われました。海外で働くことに関しては、ミーハー心で興味はありました。
実家の畑は大丈夫なのだろうか?兄も家を出てしまっているし。
このままいつも通りの過ごし方をして何になるのだろうか。何か変えようか。
いくつかの選択肢の中で、結局僕は、何にも変えないというを選択しました。
ただ、その過程で心の中には多くの変化がありました。
日本に対する、地元深谷市に対する帰属意識が生まれました。
当時務めていたのは広告会社でした。担当していたクライアントは大手メーカー。
いくつかの工場が被災にあっていましたが、「震災に負けない」をスローガンに
震災復興プロジェクトを展開していました。
被災地から送られてくる写真やメッセージに、僕自身が励まされ、日本中に困難に立ち向かう勇気を届けなければと。社畜ながらにやりがいを感じる、とても胸が熱くなる仕事でした。
写真洗浄のボランティアに参加しました。
故郷の景色を失ってしまった被災者の人たちにとって、思い出を記録した写真はかけがえのないものだと感じました。海水にひたった写真はそのままにしておくとバクテリアによって劣化し真っ白になってしまいます。そうならないよう、水で洗うという仕事でした。
引用:3331
同じ日本人として何かできないか、被災者のこころを支えることができるのではないかと参加しました。
現地の清掃ボランティアにも参加しました。
僕がいった頃には結構時間がたっていたので、瓦礫はほとんどありませんでした。
ただ、街とは呼べないような、景色が広がっていました。
「復興」このキーワードを目にする度に、日本人としての責任というか、自分で何かやらなければいけないと感じるようになっていました。
また、ボランティアの現場で人と話しをすると、こんなに優しい人がたくさんいるのかと、日本人ということに対して誇りを感じるようになっていました。
また、故郷を失った人たちと接することで、
今振り返ると自分の地元に対する思いも強くなっていったと思います。
故郷を大切にしようと、もっと関わりをもとうと思いました。
東京で一人暮らしをしていた街のお祭りに参加するようになりました。
(7年住んだので、僕にとっては第二の故郷です)
埼玉県深谷市、地元の青年会に入ったのも震災後でした。
(あんまり力になれてませんが...)
地元のことをもっと知りたい学びたいと思ったし、
地元の友達ともっと会いたい。
地元と関わりたい。地元の役に立ちたい。
そんなことを、こころにもつようになりました。
あの震災があって、今の自分がある。
3.11は確実に僕の価値観を変えました。
でも、だらだらと毎日を送っていると「3.11」のことも「自分の大切にしたいこと」も
忘れそうになる自分がいます。
根っからの怠け者ですから、僕は。
このブログは深谷ねぎをたくさんの人に知ってもらうために立ち上げたものなので
あんまり自分の私的な思いとか経験を書くつもりはないのですが、
そもそも3.11がなかったらこのブログをはじめようとも思わなかったんだろうなぁとふと思ったのでした。
結局、三度寝の影響で1日ずらしての更新。






