青雲譜6
「思い出」「医学生B」
芹沢さんに連れられて、今日は、川反の「おでん屋さん」で、二人だけの飲み会だ。
赤い半纏をまとった、中年の小綺麗なおかみさんと、若いぽっちゃり型の女の子が切り盛りしている。
芹沢さんは、どこでも賑やかだが、ここでも常連らしく、おかみさんや女の子と気さくな話で盛り上がっていた。
舜司というと、元来下戸なのですぐに酔ってしまい、笑ってごまかしていた。
「沖田!これから、前畑の所に行ってみるか?」
「えっ、前畑?」
前畑君は、医学部に入学したものの、1年の2学期で中退。川反の飲み屋さんでバーテンダーをやっているのだ。
芹沢さんはというと、同級生だが、舜司より2歳年上、三吉アパートに近い青雲荘に住んでいた。
この青雲荘には、他に、同級生の熊沢君と坂西君が居た。
彼らは、三吉アパートとの間に距離はなく、わが庭のごとく往来していたのである。
舜司が三吉アパートに越してくると、窓が道路側にあったせいか、「勉強ばっかりしてんじゃないぞ!」と、小石を投げつけ、芹沢さん達は、夜な夜な自転車で帰っていくのだった。
本当に嫌な奴等だった。
舜司は、目利きに自信があった。
入学当初より、芹沢さんのグループとは付き合ってはいけないと肝に銘じていた。
薄汚れた着古しのベージュのジャケットを着ており、頭には、バンダナを付け、見るからに汚らしかった。
前畑君も、よく芹沢さん達と一緒に登校していた。
教室では、一緒につるんでいる姿しか記憶にない。
背は小柄だが、頭はポマードでビシッと決め、いつも長いベージュのコートを身にまとい、コツコツ靴を鳴らして歩いていた。。
失礼な言い方をすれば、医学部の教室には、何か、ふさわしくない様な違和感を醸し出していたのだ。
そして、このようなタイプの人達は、皆、ベージュ色に染まった人々として映っていたのだ。
ああっ!
まずい!
これは、まずい!
あの頃、舜司自身も、ベージュのヤッケを着ていたではないか!
まずい!
これじゃあ、同類になってしまうじゃないか!
日曜日、「ドン、ドン!」誰かが、ドアを叩いていた。
「沖田!いつまで寝てんだ!起きろよ!」
「ウーン!誰?」
「俺だよ!」
「朝飯食べてないだろう!」
「食べさせてくれよ!」
「洗濯が終わるのに、まだ、まだ、時間がかかるんだよ!」
芹沢さんは、開けたドアの隙間から、ずけずけと上がり込み、勝手に冷蔵庫を開けて物色しているのである。
三吉アパートはコの字型で、舜司の部屋の前に、一つだけ水道の蛇口が立っていた。
秋原、山谷、藤川、霜山が三吉アパートの同僚。
皆で壊れかけの洗濯機をただ同然で購入し設置しておいた。
芹沢君は、この洗濯機を勝手に使いに来ているのである。
「お前の冷蔵庫、何にもないな!卵だけか!」
「じゃあ、飯だけ炊いておけよ!納豆持ってくるから!」
結果、芹沢さんと二人、卵焼きと納豆だけの朝食をとる羽目になってしまったのである。
それからというもの、しょっちゅう、芹沢さんは舜司の部屋を訪ねて来るようになった。
「舜司、夕飯、食べに行くぞ!」
「舜司、銭湯に行くぞ!」
「舜司、喫茶店に行くぞ!」
いつの間にか、舜司は、芹沢さんと熊沢君と、“連れしょん”する間柄になってしまっていたのだ。
線路わきの銭湯には、いつも、午後10時45分になると出かけて行った。
丁度、一番空いてる時間帯なのだ。
舜司は普通に全身洗い、お湯をかけて終わった。
しかし、隣の芹沢さんは終わらない・・?
再度、頭からシャンプーをかけて全身を洗い始めたのである。
二度洗いなのだ!
「ええ?何て綺麗好きなんだ!」
「豚は、本当は奇麗好きと言うけど、本当なんだ!」
舜司は、素直な気持ちで、この俗説にあいづちを打ってしまった。
人は、見かけによらない!
風呂の後は、喫茶店「香苑」に行くのがお決まりコース。いつも12時まで入り浸っていた。
日曜日は、コンビニもないので、スーパーで買いだめである。
パンやマーガリン、チーズ、牛乳、ネスカフェ・ゴールドブレンド、納豆、卵。
後は、ジャムと紅茶だ!
「えーと?ジャムはどれにしようかな?」
「はああ?ジャムはアオハタだろう!」
「アオハタ?」
「沖田は田舎もんだから、アオハタも知らんのか?札幌じゃあ、誰でもアオハタ!わかった?」
「フーン!」
「えーと?紅茶は?と!」
「日東、リプトンにするか!」
「はああ?紅茶は、ダージリンだろう!帆船の絵があるやつだよ!」
「沖田は、本当に田舎もんだな!」
キョトンとした舜司は、芹沢さんをジーっと尊敬の眼差しで見つめた。
「芹沢さんって、本当は、シテイボーイなんだ!」
舜司は、自分の目利きの不確かさを痛感した。
如何に、人は、外見に惑わされてしまうものなのか?
如何に、人は、偏見でレッテルを張ってしまうものなのか?
これからは、よく付き合ってから、人物評価をしなくてはならない!
舜司は、芹沢さんを、いつの間にか、兄貴のように慕っていた。
医学部3年次の冬、舜司は、こんな芹沢さんと二人で夜の川反を歩いていたである。
「ギー!
「よう!しばらく!」
「おう!誰かと思ったら、君たちか!」
「元気にしてた?」
「まあね!」
「医学部の学生さんよ!勉強しないで遊んでる余裕あんのかね?」
「息抜きだよ!」
「解剖が終わったとこ!今度は試験、試験の連続だよ!参るよ!」
「前畑君はいいよな!」
「何言ってんだよ!酒と女の世界、楽だと思ってんだろう?」
「これはこれで、大変!ハハハー」
「ところで、・・な、なんで、医学部やめたの?」
「まあ、いろいろあってね!」
「沖田!野暮なことは聞くなよ!」
「ふ~ん!」
「・・医学部ね!・・入学したばっかりは、ひどかったよな!」
「んーん、確かに!」
戦後、初めてできた国立大の医学部。
今でこそ、入学当初からの専門課程の学習は当たり前になりつつあるが、当時は初めての取り組みであった。
それこそが、秋田大学医学部の特徴であり目玉だったのである。
学長はじめ、先生方々も張り切ってはいたが、何とも言えぬ不安感が立ち籠っていた。
講師陣が不足していたし、何よりも、学ぶべき校舎がなかった。
秋田の広面方面に、基礎研究棟と図書館、体育館だけが造られていた。
臨床研究棟も外来棟も入院病棟も、講義棟も、いつ出来上がるのか?全く不明であった。
大学病院は、県立中央病院が兼ねているというのだ。
授業は?というと、大部分、教育学部の教室を借りていた。
しかし、いつも使えるわけではない。
そんな時は、明治時代にできた、文化遺産のような建物で講義が行われた。
木造校舎で、天井の低い廊下。ぶら下がった裸電球が、ボンヤリ暗闇を照らしていた。
「ギィ、ギィ!」
歩くたびに廊下の床は、泣き声を上げていた。
教室の窓ガラスは格子状、ひびの入ったガラスには米印にテープが張られてあった。戦時中を連想させる。
「ひゅー」、冷たい隙間風も吹き込んでくる。
入り口には、だるま型の薪ストーブがバチバチ音をたてて燃え上がっていた。
火力は強い!
寒かったという印象はまったくないのだからすごい。
講義は、組織学や有機化学だったような?
ベンゼン核についてるなんとか基?・・だの、鏡面体がどうの、こうの?・・だの、よくわからなかった。
でも、最後の最後に、その若い先生は、ある本の紹介をして講義を終えた。
「僕は、君達に是非読んでほしい本があるんです。」
「それは、クローニンの“城塞”という本です。」
「僕の講義で、一番言いたかったことは、この本の主人公のような医師に、是非、君達には成ってほしいということです。」
「ふーん!」
早速、加賀谷書店に行き、文庫本を買ってきて読んでみた。
・・イギリスの若き医師が、理想とする医療を目指すが、世の中の体制、行政などに反発され、挫折してしまう。嫌気をさした主人公は、逆に、金もうけ主義に没頭し、成功を収める。
しかし、妻との確執もあり、再び、自分の医師としての幸せは、裕福になることではなくて、病気で苦しむ人々を救済する慈悲なのだと気づく。こんな物語であった。・・
日本で言えば、「赤ひげ診療譚」・・黒澤明監督の映画“赤ひげ”とそう変わらない。
「本当に、懐かしいな!」
「最近とみに懐かしくなるんだよ!寂しいのかな?」
「3,4年経ても、“同級生”って言ってくれるのは、君達だけだよ!ありがとう!」
「何言ってるのさ!住む世界が違っても、友達は友達だろう!」
「これも何かの縁っていうもんだよ!」
前畑君は、ちょっと悲しげな眼をして、二人を見て笑った。
「帰り、駅前まで送ろうか?」
「そうだね!お願するわ!」
店を出ると、傍らにフオルクスワーゲンが控えてあった。
「やっぱり違うね!ブルジョワは!外車だよ!」
「いいね!いいね!」
「ははあー!駄目、駄目!ワーゲンは小さ過ぎ!ギアもバスみたいな棒だよ!入りにくいんだよ、これが!」
「ふーん!そうなんだ!」
駅前で、古き友人と二人は別れた。
舜司に与えられた解剖実習のテーマは、「頸肩腕神経叢の走行」だった。
献体の方に対しては、尊敬の念を抱かねばならない!
敬意を払って対応しなければならない!
厳かにやらねばならない!
解剖室は、下駄はき。
各テーブルに5,6人がセットになり、懸命に、クーパー、ペアンを駆使して神経、血管などを露出させていた。
しかし、舜司は、解剖実習が嫌でしょうがなかった。
毎日が苦痛だった。
特に献体の方の顔を見るのが嫌だった。
タオルで、顔を覆い、頸だけ見えるようにしてメスを握っていた。
ああ!・・・・何が嫌だって?
それは、・・・・献体の方の顔の雰囲気が、何となく前畑さんに似ていたからだ!