倉敷市真備町で災害ボランティアに参加して | 鴨井保典のブログ

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総務、人事、広報など、管理系の会社員。
キャリアコンサルタントもやります。

西日本豪雨により、被災した倉敷市真備町の災害ボランティアに参加した。3日間の貴重な体験を記録しておきたい。

 

2018年7月12日(水)

 この日、故郷の倉敷に入った。駅付近は平穏で、水害の雰囲気は感じられない。私の実家は、高梁川下流にある旧倉敷、倉敷駅南部にあったので、浸水被害はないが、真備町以外にも床下浸水したところはかなりあったそうだ。堤防が決壊したのは、小田川という高梁川水系の支流である。小田川のリスクは以前より指摘され、50年来の改修計画から、ようやく着工されたのだが、今回間に合わなかった。政治的調整ができなかったことが原因だが、改修が完了していれば、逆に高梁川が決壊していたかもしれないと考えている人もいる。そうであれば、旧倉敷の人々は、真備町の人々に身代わりになってもらったようなものだ。そう考えると、生まれ育った旧倉敷の人間として、居ても立っても居られず、私はボランティアに参加を決めた。

 午後の災害ボランティアは、現地の酷い渋滞のため、中止となり、参加できなかった。

2018年7月13日(木)

 昼食を持参するため、コンビニへ行くとオニギリ、サンドイッチ、弁当等は、水害の影響で品切れだった。中国職業能力開発大学校に設置された倉敷市ボランティアセンターへ朝9時に到着した。

 受付で名前と住所、電話番号を記帳し、ガムテープに名前を書き、左腕に貼り付け、待機。汚泥除去や家財運び等の力仕事と掃除や支援物資仕分け等の軽作業に本人希望を優先しながらマッチングしていく。ボランティアには、若い女性も多いが、男性は中高年の方が目立つ。私は、力仕事だと言われた10人チームに参加した。リーダとして、看護師さんが選ばれた。

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 市の手押し車やスコップ(シャベル)を載せ、大型バスで倉敷市真備町箭田地区まで移動する。意外にスムーズに進んだが、堤防が決壊した小田川を渡る橋のたもとに渋滞を防ぐためか通行を制限する検問があった。小田川の水量は少ないが、泥を被った荒涼とした草木が続く。橋を越えるとそこは、全て泥の世界。真備町の人口は約2万2千人、多くは山林だが、町の30%が水没したそうだ。地図を見る限り、真備町の平地の多くが水没し、約5千戸が被害に遭っている。ボランティアセンターのある真備支所付近は、水深4.8mにもなったそうだが、私が見かけた住宅の殆どに、2階の窓の上まで泥水の跡が見えた。思わず、涙を目に溜め、息を呑む。

 被害に遭われた住宅には、歴史ある日本家屋や真新しい住宅もある。年金生活者の、または住宅ローンが多く残る家主の心情を察するに胸が痛む。水田には濁った水が深く溜まったままで、収穫も期待できないであろうし、多くの乗用車が島のように取り残されている。中には、ひっくり返った車もあり、水の流れの激しさを思い知らされる。中心街の道路両脇には、無人の乗用車やトラックがびっしりと連なり、渋滞の原因になっている。砂埃の中、救援の自衛隊車両も多く見かけられ、さながら中東の戦場のようだ。

 ボランティアセンターの真備支所でバスを降ろされ、地図を頼りにボランティアメンバーだけで、支援を求めている被害者宅を目指す。メイン通りは、乾いた泥が通り過ぎる車で土煙になり、泥の悪臭と共に私達を襲い、マスクが無いと苦しい。ただ、ゴーグルも付けたいのだが、暑さと汗で曇ってしまい、前が見えない。

 路地に入ると、途端にねっとりと湿った泥沼になり、長靴が抜けなくなる。折れた樹木や流れ着いた住宅の柱らしき木材が手押し車の行く手を阻む。路地を抜ければ、どこまで道でどこから田圃なのか、わからない一面泥の海だ。

 目的地に到着するとボランティアを要請されたご主人が出迎えて下さった。重機が入ることの出来ないご近所数軒との間の通路の汚泥を除去して欲しいとのこと。お隣さんは身障者で何もできないこと等、ご近所の方々を気にされていて、地域の絆を感じた。早速作業に入るが、人数分、スコップや手押し車が無い。ほうきやモップも持ってきたが、全く役に立たない。手押し車も深い泥の道を運ぶのにバランスを保つのも難しい。手押し車に泥がくっついて、泥を中々落とせず、何度も揺するので、少しずつ体力が奪われる。30度を超える気温で直射日光の下、力仕事をすれば、汗がとめどなく流れ、作業服は水に浸かったようになる。程なく頭も痛くなり、デスクワーク中心の生活に、なまった己の体力の無さが恨めしい。

 すぐに休憩場所として提供頂いた家財を片付けられたリビングダイニングに向かい、水分を補給する。屋内も大切にしていたと思われる家財が根こそぎ泥まみれだ。ご主人によると、夜は20kmほど離れた娘さんのお宅に泊まられているそう。渋滞を避けるため、毎朝3時に真備まで片付けに往復するそうだ。そうなると、いつまで避難生活が続くか判らないし、娘さんの家も大変だ。高齢の両親は頼れないし、学生採用の会社説明会に自分の代わりがいないので、会社も休むことを許してくれない、と涙ながらに辛さを吐露されていた。もっとお話を聞いてあげることで、気持ちを落ち着かせることが出来るのではないか、カウンセラーが活躍できるのではないかと思った。企業としてどうあるべきか、考えさせられる話だった。

 帰路には、全く修復されていない小田川の決壊箇所が見えた。真備町は、災害からのノーガード状態が続いている。

 

2018年7月14日(金)

 この日も倉敷市のボランティアセンターに集合し、大型バスで真備町を目指した。ボランティアセンターによると、被災者からの要請が多いため、40人グループ単位でまとまってローラー作戦体制にするとのこと。約6人ずつのチームに分け、真備町の住民がコーディネータとなり、徒歩で一軒ずつ被災者宅を順番に目指した。報道されているとおり、道路上に災害ゴミが放棄され、慢性的に渋滞していて、輸送力が脆弱なため、徒歩で移動するしかないのだろう。

スコップ(シャベル)とバールを持ち、途中、大量の泥と流木等が溜まり、手付かずの中学校、大勢の自衛隊員、道路脇に大量に積み上げられた災害ゴミを見遣りながら、30分歩き、目的地へ到達した。途中、多くのTVクルーを見かけた。とにかくバールが重く、2,3日握力が戻らなかった気がする。

http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/wbs/smp/newsl/post_158856/

 支援先は、伝統的な日本家屋の農家だった。ご主人が自宅に入る前に自衛隊が敷いて行ったという畳が門から土間まで、泥の上に敷かれていた。ご主人は、私より若く、よく日焼けして、ハワイのTシャツに短パン姿でサングラスと、純和風のご自宅や復旧作業と似つかわしくない。後でわかったのだが、自分の服は全て浸かって使えなくなったから、支援物資を着ているそう。そうとは知らず、違和感を感じた自分を恥じた。ご主人曰く、家財を片付けたら、家を倒すので、住む気はないとのこと。多くのお宅がそうなのだろう。ご主人の無念さはいかほどであろうか。母屋と離れのある立派な建物だが、土壁が2階まで、流され剥がれ落ちている。そのため、通常の家屋より、部屋の中の泥の量が2倍以上あるため、その泥を詰めた土嚢が土間にたくさん積み上げられている。炎天下のためか、農家の野菜が腐敗したのか、堆肥なのか、トイレの浄化槽なのか、汚泥と色々なものが混じり合った糞尿のような臭いが鼻を突く。ひたすら泥や使えなくなった家財を土嚢に詰め、支援者の持ち込んだ軽トラックに詰め込む。絵本や雑誌、下着上着、ゲーム機やCD、ご家族の思い出の詰まった家財を黙々と袋へ詰め込む。泥まみれの卒業アルバムや写真、現金も捨てそうになりながら、皆、気を配って残した。ご主人は、預金通帳を探しているようだったが、見つかったのだろうか。

 今日の6人のチームメイトの内、社会人は自動車教習所勤務の方だけで、他4人は高校生でちょっと不安だったが、結局彼らはよく働いた。高校生たちは、元気に作業を続けているが、私は、10~20分も作業すると顔が真っ赤になり、頭も痛い。汗で作業服もびっしょりになったが、給水や休憩のため、3分の1は休んでいたように思う。

 目の前の畑には、切れた電線が垂れ下がり、電力会社の人が復旧作業をしていた。その横には、ご主人もどこから流れ着いたかわからないというプレハブ小屋が横倒しになっていた。泥や家財の入った数えきれない数の土嚢を運び出したが、まだまだ家の中から運び出し切れなかった。圧倒的な人手不足と自分の無力感を突きつけられた感じだ。

 かなりの時間、真備町の被災最前線を歩き回ったのだが、ペットや家畜の姿を見ることは無かった。家族と一緒に避難できた子もいるだろうが、逃げ遅れた子はいなかったのだろうか。うまく保護されていると良いのだが。

 最後に真備町のボランティアセンターを出る時、スタッフを探しに真備支所へ入ったら、その光景に愕然とした。鉄筋コンクリート造りのかなり立派な建物だが、1階に人っ子一人いなかった。浸水で荒れ果て、手付かずの状態で放置されていた。住民の救助、支援が優先されているからだろう。帰路では、小田川支流の決壊箇所を急ピッチで土砂で埋め、改修しているところを見かけた。何とか早く、堤防の応急処置が終わらないと、住民はかなり不安だと思う。

 真備町の災害は、天災によるものではあるが、①岡山は晴れの国と自称するほど、全国的にも降水量は少ない方であることの油断、②行政の避難誘導方法の問題、③小田川改良計画に関する県の財政難と政治判断、等の人災の可能性もある。しかし、この水害を潮目に国や県の行動は変わろう。https://toyokeizai.net/articles/-/229270

 更に、線状降水帯が荒川流域に達した時、東京にも同じ状況に陥るということを認識し、私達は今から準備をしておくべきだと思う。