スピード・ハンドル!気をつけて!-葵と楓

浪花節(なにわぶし)とは,何であろうか。明治時代初期から始まった演芸の一つ。浪曲(ろうきょく)とも言い,三味線を伴奏に用いて物語を語る。浪花節は古くから伝わる浄瑠璃や説経節,祭文語りなどが基礎になって,大道芸として始まった。その後明治時代初期,大阪の芸人・浪花伊助が新しく売り出した芸が大うけして,演者の名前から「浪花節」と名付けられた。東京では関東節の祖と言われる浪花亭駒吉や,横浜で祭文語りで活躍していた玉川派の祖と言われる青木勝之助が,東京の寄席に出演し人気を博し浪花節は全国的に広まった。以後,桃中軒雲右衛門や二代目広沢虎造の活躍で戦前まで全盛を迎えた。太平洋戦争後は娯楽の多様化で衰退し現代まで続いているが,現代に合う新しいスタイルを模索している。
浪曲は一話完結から,連続ドラマのように長い話もある。時間にするとだいたいは三十分位の話がほとんどである。内容は一つの物語を節(ふし)と啖呵(たんか)で演じる。節は歌う部分で物語の状況や登場人物の心情を歌詞にしており,啖呵は登場人物を演じてセリフを話す。浪曲を勉強する時は節よりも啖呵が難しいと言われ,「フシで三年タンカで五年」と言われている。簡単に大きくに分けると関東節,関西節,中京節(合いの子節)と地方ごとで三つに分けられる。それらの節は演者の手で変えられ,人気を博した節は考えた浪曲師の芸名から名づけられたりする。有名な節を作った代表的な浪曲師としては,関東節と中京節をミックスして虎造節を作り,当たり芸「清水次郎長伝」を演じた二代目広沢虎造や,暗めなイメージの関西節を高音でノリのよいテンポの幸枝若節を作り,歯切れの良い啖呵で任侠物の「河内十人斬り」やケレン(お笑い)の「左甚五郎」を演じ戦後の浪曲界を支えた初代京山幸枝若などがいる。他に中京では浪曲に新内節をミックスして三門節を作り美空ひばりの十八番だった「唄入り観音経」を演じた三門博が挙げられる。他にも伴奏が三味線ではなく,戦前はピアノの伴奏で演じる楽浪曲や,主に関西でやられるギターと三味線で伴奏をするモダン浪曲があり,オーケストラをバックに浪曲を語る歌謡浪曲などは三波春夫や中村美律子など浪曲出身の演歌歌手が演じている。現在歌手ではなく浪曲師として歌謡浪曲を演じているのは関西の浪曲師真山一郎の一門である。戦後の関西(上方)では漫才の人気により多くの浪曲師は漫才師に転向し漫才の中に浪曲の節回しを取り入れたりして人気者になったコンビも多い。主に暁伸・ミスハワイ,宮川左近ショウ,タイヘイトリオ,東洋朝日丸・日出丸,ジョウサンズ等がいる。
国本 武春(1960- )は日本の浪曲師である。現成田市出身。父は天中軒龍月,母は国本晴美(共に浪曲師)。日本浪曲協会所属。三味線にギターのフレーズを取り入れた独自の奏法を開発し,従来型の浪曲にとどまらずロック,R&B,ブルーグラス等様々な音楽ジャンルを取り入れて活動。テレビドラマ,バラエティ番組,アニメ番組出演など幅広く活躍している。浪花節の自由な変化の気質を受け,三味線弾き語りという新分野に挑戦している。津軽三味線にも興味を持っていた。三味線にギターを加味した技法を研究している。一時三味線ロックとも呼んでいたが,今は三味線弾き語りという言い方をする。ブロードウェイにも進出。彼は,浪花節を離れてはいない。「忠臣蔵」「巌流島」が代表作である。浪速節を普及させるためにも,三味線をおおいに活用しているタイプでもある。
寄席での音曲芸は,家本制度やら,世襲制度の伝承系とはちがい,うけたらOKの世界である。芸は一代のもの,という破天荒なものであり,この寄席が絶好の「場」となっている。寄席で,三味線を弾きながら,俗曲・端唄・小唄を披露し,あいまにおしゃべりを挿みながら高座をつとめる例もある。これを,俗曲師ともいう。うめ吉は,倉敷生まれである。

参考文献:まるごと三味線の本,青弓社&インターネット辞書編集

うめ吉