くま吉とパニックマは、クリスマス前に、11日間かけて、中東(イスラエル、ヨルダン、トルコ)を巡りました。今日は、11日目のイスタンブール(トルコ)観光の様子をご覧いただきます。目的地は、グランドバザール、ヌルオスマニイェ・モスク、コンスタンティヌスの円柱、コンスタンティノープル競馬場(ヒッポドローム)(世界遺産)、スルタン・アフメト・モスク(世界遺産)、アヤソフィア(世界遺産)、地下宮殿(世界遺産)、エジプシャン・バザール、ガラタ橋です。

11日目朝、イスタンブール

元々は、イスラエルのベン・グリオン空港からトルコ航空イスタンブール空港乗継で帰国する予定だったのだが、ベン・グリオン空港からのフライトの遅延によりトランスファーに乗れなかったので、トルコ航空から翌日同時刻25時55分の成田行きフライトとホテル1泊の補償を受けた。

トランスファーをミスして「下手こいたー!」とへこんだが、神様からのボーナスと思うことにし、イスタンブールを楽しむことに決めた。

しかし、深夜のイスタンブール空港を延々と歩いて、なんとかホテルとタクシーの手配まで済ませたが、深夜で頭が回っておらず、現地通貨と飲料水の調達を忘れた。

タクシーに乗り、イスタンブール市内のホテルに着いたのは明け方4時。速攻でシャワーを浴び、寝た。

ホテルの斜め向かいにモスクがあり、夜明けには、イスラム教における礼拝(サラート)への呼び掛けであるアザーンが流れた。また、ホテルの前の大通りにトラムが走っていて、結構うるさかった。

8時頃、くま吉起床。2人で1リットルの飲料水しか持っておらず、インターネットで調べると「イスタンブールの水道水は飲料水には適していません」という。部屋にはケトルもない。まずは、ホテルの朝食で水分補給とエネルギー補給をした。パニックマは、朝食を食べないので、起こさないようにした。

次に、現金を調達するためにホテルの外に出た。両替商は、ホテルの隣にあった。やったぜ。トルコ・リラを無事調達できて一安心。キオスクで飲料水を購入し、生命の危機は回避された。

パニックマが起きてくるまでに、本日の計画を立てた。実は、くま吉、5年前、会社勤めをしていた頃、イスタンブールに出張で来た際に、数時間だけ駆け足で観光したことがあったので、比較的簡単に計画を立てることができた。

10時頃、パニックマ起床。チェックアウト12時まで部屋で過ごす。突然のイスタンブールに順応するために、庄野真代「飛んでイスタンブール」を聴いてみた。しかし「イスタンブール」に「恨まないのがルール」や「光る砂漠でロール」や「人の気持ちはシュール」や「フェアリー・テール」と韻を踏んではいるがあまりイスタンブール感がなかった。久保田早紀「異邦人」はシルクロードのテーマだが、気分が盛り上がった。

チェックアウトして、荷物を預け、イスタンブール観光に出発した。

11日目、イスタンブール観光

イスタンブールは、トルコの最大の都市であり(首都はアンカラ)、市自体の人口として世界第7位であり、最も大きなヨーロッパの都市である(人口約1400万人)。イスタンブールは、ボスポラス海峡にまたがっており、ヨーロッパとアジアの大陸の境界の一部に位置している。イスタンブールの商業と歴史の中心は、ヨーロッパ側にある。

イスタンブールは、紀元前660年に創建されて以降、歴史上最も重要な都市の一つであり、およそ16世紀の間、ローマ帝国、東ローマ帝国、ラテン帝国、パレオロゴス王朝東ローマ帝国、オスマン帝国といった帝国の首都だった。イスタンブールは、1453年以前のローマやビザンティンの時代にはキリスト教発展の要であり、その後、イスラームの拠点でありオスマン朝のカリフの座になった。

本日は、午後から半日しかないので、グランドバザール、スルタン・アフメト広場、ガラタ橋エリアを回る。

ホテルを出て、大通りを東に10分ほど歩き、左手にバヤズィト・モスクが見え、その先にあるグランドバザールへ行った。

グランドバザールは、トルコ語で「カパルチャルシュ」といい「屋根付き市場」を意味する。1455~1461年に、オスマン帝国メフメト2世によって建設され、17世紀の初めには、ほぼ現在の姿になった。

南西のバヤズィト門から、グランドバザールに入った。入口には、手荷物検査ゲートがあったが、大勢の人が出入りするので、ザルだった。

グランドバザールには、61の街路、4000の店舗がある。宝石類、陶器、香辛料、絨毯類を扱う業者が、業種ごとに同じ街路に集中して出店している。

歩いているとよく「コンニチハ」と話しかけられた。今回の旅行中、イスラエルとヨルダンでは「ニーハオ」が圧倒的に多かったのだが、イスタンブールでは「コンニチハ」だった。イスラエルとヨルダンの人々は大声で怒鳴るような客引きだったが、イスタンブールの人々は平和だった。

グランドバザールの東側には、ヌルオスマニイェ・モスクがある。

ヌルオスマニイェ・モスクは、イスタンブールの旧市街にある7つの丘の一つの頂上に位置している。ヌルオスマニイェ・モスクは、1775~1748年にマフムト1世とオスマン3世によって建てられた。ヌルオスマニイェ・モスクは、オスマン・バロック様式の最も素晴らしい実例の一つと考えられている。ヌルオスマニイェ・モスクのドームは、イスタンブールで4番目の大きさである。ヌルオスマニイェ・モスクは、2016年にユネスコ世界遺産の暫定リストに登録された。

コンスタンティヌスの円柱は、330年にローマ帝国の大帝コンスタンティヌス1世によって新しいローマ帝国の首都を記念して建てられた(イスタンブールは、かつてビュザンティオンと呼ばれていたが、大帝コンスタンティヌス1世がローマから遷都しコンスタンティノープルと呼ばれるようになった)。円柱は、別名「焼けた石」または「焼けた柱」とも呼ばれている。

グランドバザールからコンスタンティノープル競馬場(ヒッポドローム)へ10分ほど歩いた。

コンスタンティノープル競馬場(ヒッポドローム)は、古代世界でよく親しまれた競馬や戦車競争が行われた野外大円形競技場である。最初の競馬場は、203年にローマ皇帝セプティミウス・セウェルスによって建設され、大帝コンスタンティヌス1世によって競馬場を改築された。ユネスコ世界遺産「イスタンブール歴史地域」の構成資産の一つである。

コンスタンティノープル競馬場の大きさは、長さ 450 メートルで幅 130 メートルと推定されており、観客席には、10万人を収容することができた。コンスタンティノープル競馬場は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルの社会の中心であった。今日、コンスタンティノープル競馬場は、元々の構造物の少ない断片があるだけで、スルタン・アフメト広場という名の広場となっている。

コンスタンティノープル競馬場には、3つのモニュメントが残っている。南から、コンスタンティノス7世のオベリスク、蛇の柱、トトメス3世のオベリスクである。

コンスタンティノス7世のオベリスクは、10世紀に再建され、第4回十字軍によって奪い去られた金メッキの青銅の飾り板で元々は覆われていた。

蛇の柱は、大帝コンスタンティヌス1世によってデルポイのアポローン神殿から運ばれた。蛇の柱は、紀元前5世紀のペルシア戦争におけるギリシャのペルシアに対する勝利を記念して鋳造された。

トトメス3世のオベリスクは、390年に大帝テオドシウス1世によってエジプトから運ばれ、ほぼ3500年間、とても良好な状態で残っている。

ベンチで休んでいると、現地のテレビ局クルーから話しかけられたが、日本人を撮りたいわけではなかったようで、去っていった。入れ換わり、番組プロデューサーを名乗る男性が話しかけてきて、日本にも行ったことがある話から、日本のテレビ番組のロケをサポートしたことがある話、日テレ「世界の果てまでイッテQ」のロケだったようでイモトアヤコとロッチ中岡とのそれぞれとの2ショット写真を見せてもらった。さらに、「来週はスーパースターのアクターのサクライが来るんだよ」と言うので、サクライ当てクイズが始まり、パニックマ「ミスターチルドレン?」くま吉「アクターだよ」プロデューサー「そうだ、ミスターチルドレンだ」くま吉「マジか」と、パニックマがヒトシ君人形を獲得したのだった。

プロデューサー氏と別れた後、再びトルコ人のお兄さんに今度は日本語で話しかけられた。日本に留学経験があり、今は旅行ガイドをしているという。2016年から2017年頃にテロが多発したせいで、日本からの観光客がずっと落ち込んでいるらしいが、2020年の春の予約は好調で、今後は復調してきそうだと言っていた。お兄さんは、スルタン・アフメト・モスクは本日14時まで入れないこと、故に近場のアヤソフィアと地下宮殿は今混んでいること、故にグランドバザールかエジプシャン・バザールに行くといいと教えてくれた。そして、親戚が地下宮殿の近くでトルコ絨毯店をやっているので、興味はあるか聞かれた。「トルコ絨毯は、素晴らしいけど、高いんだよねー」と言うと「本当に買いたいなら、日本で買うよりも絶対に安いからお勧めなんですけどねー」というぐらいで、絨毯トークに深入りせず。トルコ人は、アラブ人やユダヤ人のように大声じゃないので、好感が持てる。

なお、くま吉、5年前にスルタン・アフメト広場に来たことがあり、トルコ人と会話を楽しみ「トルコ絨毯売りには気をつけろ」と助言をしてくれた当人の親戚が絨毯店を営んでおり店について行ったことがある。

強引な客引きでなければ、会話を楽しめばいいし、スルタン・アフメト広場でよくある風景なのであった。

スルタン・アフメト広場を離れ、エジプシャン・バザールへ、20分ほど歩いた。

エジプシャン・バザールは、トルコ語で「ムスル・チャルシュ(エジプトの市場)」といい、スパイスバザールとしても知られている。エジプシャン・バザールは、1660年にオスマン帝国のエジプト州からの収入で建てられた。 エジプシャン・バザールは、イスタンブールにおける香辛料交易の中心であった(そして今なお中心である)。

エジプシャン・バザールの入口にも、グランドバザールと同様に、手荷物検査ゲートがあったが、大勢の人が出入りするので、ザルだった。

エジプシャン・バザールは、香辛料だけでなく、トルコのお菓子(ロクム)や、果物、宝石、お土産物などを扱っている。近年改装したばかりのようで、綺麗だった。

エジプシャン・バザールの正面には、イスタンブールのランドマークの一つであるイェニ・ジャーミー(トルコ語で「新モスク」)が立っているが、大規模な工事が行われていた。

金角湾に架かるガラタ橋の西側にエミノニュ広場がある。金角湾は、主要な都市の水路であり、ボスポラス海峡の主たる入江である。ガラタ橋は、初代の橋は1845年に開通、現在の橋は5代目で1994年12月に開通した。ガラタ橋は、長さ490メートル、幅42メートル、片側3車線、歩道あり、電車も通っている。対岸の丘の上には、ガラタ塔が立っている。

岸壁につながれた派手なボートの上で焼かれる鯖のサンドイッチは、エミノニュ広場の名物だ。鯖サンドイッチは、イスタンブール名物の一つで、トルコ料理の一般的なストリートフードである。味付けは客任せで、塩をかけて食べた。

エミノニュ広場の南西に、スレイマニエ・モスクが立っている。金角湾から見るスレイマニエ・モスクは、非常に壮麗である。

スレイマニエ・モスクは、1550~1557年にスレイマン1世によって建てられた。スレイマニエ・モスクは、イスタンブールの旧市街にある7つの丘の一つの頂上に位置している。ユネスコ世界遺産「イスタンブール歴史地域」の構成資産の一つである。

エミノニュ広場を後にして、再び20分歩いて、スルタン・アフメト広場に戻った。

スルタン・アフメト・モスクに行くと、14時以降はいつでも中に入れると思っていたら、非ムスリムが中に入れる時間はもっと細かく決められていて、中に入れなかったので、後回しにすることにして、アヤソフィアに行った。

アヤソフィアは、かつて、大聖堂、モスクであった歴史的な建造物である。アヤソフィアは、建設された537年から1453年まで、1204年から1261年までラテン帝国支配下においてカトリックの大聖堂とされていた期間を除き、正教会の大聖堂およびコンスタンティノープルの総主教座とされていた。1453~1931年は、モスクとして使用された。その後、世俗化され、1935年に博物館として開館した。ユネスコ世界遺産「イスタンブール歴史地域」の構成資産の一つ。

アヤソフィアは、聖三位一体の第二にあたるロゴスであり神の叡智(上智)に献堂された。アヤソフィアの名前は、「叡智」を表すギリシャ語のラテン語の表音式綴りに由来しており、ギリシア語のフルネームは、「神の聖なる叡智の神殿」を意味している。

入場料72トルコ・リラ(クレジットカードが使えた)を支払い、アヤソフィアの中に入った。

内部は、所々が工事中で、少し残念だった(工事中の箇所をなるべく避けるようにして写真を撮った)。

アヤソフィアには、キリスト教時代に作られたモザイク画が断片的ではあるが残されている。アヤソフィアがモスクに転向させられた際にも、モザイク画は破壊されず漆喰で隠された。現在、漆喰は剥がされ、モザイク画を見ることができる。キリスト教会とモスクの内装の共演が、非常に面白い。

後陣の半ドームには聖母子のモザイク画(キリスト教会)が描かれている一方、後陣にはカアバ神殿の方向を示すキブラ壁にミフラーブ(イスラム教のモスクの特徴)が設置されている。

2階のギャラリーに上ることができ、地上階を見下ろすことができるとともに天井を間近に見ることができる。

アヤソフィアを後にし、直ぐ近くにある地下宮殿へ行った。入場料20トルコ・リラ(現金のみ)を支払い、階段を降りて、地下宮殿へ足を踏み入れた。

地下宮殿は、6世紀に建てられた東ローマ帝国の大貯水槽である。トルコ語では「地下宮殿」を意味する「イェレバタン・サラユ」あるいは「地下貯水池」を意味する「イェレバタン・サルヌジュ」と呼ばれている。地下宮殿は、長さ138メートル、幅65メートルの大きさで、天井は、高さ9メートルの28本が12列に並んだ計336本の大理石の円柱によって支えられている。現存する東ローマ帝国の貯水池としては最大のものである。ユネスコ世界遺産「イスタンブール歴史地域」の構成資産の一つである。

暗闇の中にそびえ立つ巨大な円柱の列は、神秘的だった。

スルタン・アフメト・モスクは、オスマン帝国第14代スルタン(皇帝)であったアフメト1世によって1609~1616年に建てられた。スルタン・アフメト・モスクは、内部の壁を彩る青い装飾タイルから、ブルーモスクの名でも知られている。スルタン・アフメト・モスクは、6本のミナレット、5つの主ドーム、8つの副ドームをもっている。ほとんどのモスクのミナレットは、4本、2本または1本のみであり、6本のミナレットはとても特徴的である。ユネスコ世界遺産「イスタンブール歴史地域」の構成資産の一つである。

スルタン・アフメト・モスクの入口には、服装規定を表示している立て看板があった。半ズボンはダメだが半そでは許されるらしく比較的緩やかだ。女性は、髪を隠さなければならない。パニックマは、今回の旅行に持ってきたものの使う機会がなかったスカーフを、最後の最後、しかも計画外のイスタンブールで使うことができた。

スルタン・アフメト・モスクの中に入った。内部は一部改装中だった。広間は、真ん中にパーティションがあり、ミフラーブがある側には非ムスリムは立ち入り禁止となっていた。モスクの中で、主に天井を見ながら、しばらくぼーっとした。

スルタン・アフメト・モスクを後にして、ホテルへの帰途についた。

本日歩いてきた道を逆にたどっていったのだが、途中、日本語で声をかけられた。「お茶でもいかがですか」という言葉だったので、カフェかレストランと思った。会釈をしつつ、一度は道を先に進んだのだが、夕方で冷えてきていたので、温かいお茶を飲みたくなって、引き返すことにした。「戻ってきちゃいましたー」「ありがとうございますー」と会話が流れはじめていくが、どうもおかしい。ここは、カフェではなく、旅行会社だった。彼女は、観光客への声かけをしていたのだった。

ここで、パニックマの脳内では、頭もじゃもじゃの葉加瀬太郎がヴァイオリンを弾き始めた。そして、窪田等さんの声で「若い日本人女性が、なぜイスタンブールの旅行会社で働いているのだろうか」とナレーションが入った。そう、ご存じ「情熱大陸」である。

カフェと勘違いしたことと本日夜にイスタンブールを離れることを伝えたが、オフィスでお茶とコーヒーをいただいてしまった。そして、彼女のお話を聞かせていただいた。仕事を辞めた後、バリなどのリゾートでゆっくりもして、中東旅行にも出かけ、イスタンブールに来た時の偶然の出会いをきっかけに、この旅行会社で働くことになったそうだ。

彼女が働く旅行会社「Sultanahmet Old City Travel」は、イスタンブール、カッパドキア、エフェソスをはじめとするトルコ国内の観光ツアーを手配し、現地に同行して案内をしてくれるそうだ。

今の時代、ホテルも交通も全て自分でインターネットで手配できる。でも、現地エージェントに任せると、手配の手間を省略できるだけでなく、現地エージェントならではのプランだったり現地でのフォローだったり、得られる付加価値はとても大きいと思う。

くま吉も、全部自分で手配してきたし、バックパッカーとまでは言わないが相当な節約旅行を楽しんできた。しかし、今回の中東旅行は日々戦いだったので、これからは考えようと思っている。

トルコはとてもいい国だ。中東に初めて行くならトルコ以外は考えられない。くま吉とパニックマも、またトルコに来たいと思っている。その時は、Sultanahmet Old City Travelにお願いしよう。

計画外のイスタンブール滞在の最後に、素晴らしい出会いがあった。ありがとうございました!

パニックマ日記(11日目)

なんと乗り換えの飛行機に乗り遅れた!ってことで、トルコで一泊することになりました。深夜のイスタンブール空港で右往左往し、眠くてもうヘベレケ。「人間てこんな状態でも歩けるんだぁ」と我ながら感心しながらホテルに着いた。

イスタンブールのアザーンは、イスラエルと歌っている人が違う。イスタンブールの方がビブラートがきいている感じ。

この街はとっても平和で、日本語で話しかけてくる人が多い。しかも怒鳴ってない!さばサンドを初めて食べたけど、シンプルで好き。バザールの中は煌びやかで、日本語が飛び交ってて、面白かった。

トルコにはまた行きたい!

最後に

以上、11日目のイスタンブール(トルコ)観光の様子をご覧いただきました。

ホテルに戻った後、ロビーで前日手配済みのタクシーを待ち、タクシーは約束の時間より遅れてきましたが、フライト時間に余裕があり、問題なくイスタンブール空港に到着しました。

イスタンブール空港では、空港内に入るためにセキュリティーチェックがあり、ここで飲料水を没収されたので、さっさと出国のためのセキュリティゲートを通りトルコ出国、免税店エリアに行き、くつろぎました。

帰国便は、出発が遅れました。「昨日のフライトも遅れてくれれば乗継ぎ失敗せずに帰国できていたのに」とも思いましたが、おかげでイスタンブール観光もできたし素晴らしい出会いもありましたし、「神様の思し召し」だったんだろうと思います。

25時55分イスタンブール発19時40分成田着の約12時間のフライトでした。機内食をいただいた後、消灯、ここで仮眠程度しか取れませんでしたが、時差ボケ対策のため、機内の照明が点いた後は起きているようにしました。パニックマも、同様に仮眠程度とはいえ眠れたようでよかったです。また、このタイミングで、腕時計を日本時間に合わせて、時差ボケ対策しました。

トルコ航空の機内食は、行きのフライトと同様に本当に美味しかった。機内食というものもいつの間にか進化したのかしらと思ったが、後日インターネットを見てみても、世間的に機内食というものが美味しくなっているという声はないようだったので、トルコ航空が特別に美味しいようです。

成田空港に着いた後は、成田エクスプレスを使ってゆったり帰宅しました。

こうして、2019年12月のイスラエル、ヨルダン、トルコを巡る旅は、無事に終了しました。

パニックマもかなり旅に慣れてきましたが、やはり中東旅行はハードだったと思います。旅行は楽しむものであって修行ではないのですが、人々はガーガー大声で怒鳴ってくるし、不便な所もたくさんあるし、どうしても日々戦いになりました。

それでも、時差ボケにならなかった、あるいは時差ボケと上手に付き合えて、夜の8時に寝て朝の6時に起きるようなサイクルで、くま吉はもちろんパニックマも睡眠を確保できたのは、とてもよかったです。

また、旅行の終盤では、14時過ぎにはホテルに帰ってきていました。毎回の旅行のまとめに書いているように、いかにリラックスするか、また、日常をいかに保つかが、長旅を続ける上での重要なコツなので、余裕をもったスケジュールにしました。

2020年も、旅行に行きます。今後とも、くま旅日記をよろしくお願いいたします。