最後の事業計画(1)その背景
最後の事業計画
更新がとても遅くなりすみません。
この間の事情は今後のエントリーで書きます。
なぜなら6/6のエントリ
の続きでもある「事業計画の概要」を一刻も早くエントリーする必要があるからです。
(こんなに遅くなりながら、いう科白(セリフ)ではありませんね。すみません。)
余命宣告をされた時の絶望から抜け出した時のことは後日のエントリでゆっくり書こうと思いますが、そのきっかけになったのは、「例え、人生が時間切れになっても何らかの意味のあることをしよう」ということを悟ってからでした。
その時、「がん患者、或いはがん患者に限らず、こういう地獄のような絶望を抱えている人は多いはずだ、」と思いました。
彼らに「自分の人生に価値を与えることでどんな深い絶望も克服できる。」ということを伝えようと思いました。
そして、私は本を書き始めました。
それと同時に「本だけではなくメディアやネットでも情報発信が出来るのではないか?」とも考えました。
世間を騒がした「メディアとネットの融合」を自分が出来る形でやろうと考えました。
(「ネットとメディアの融合=IT企業がテレビ局を買うこと」という一連の騒動についても後日、私なりの雑感を語りたいと思います。なので、ここでは触れません。)
幸いなことに、私は、ただのがん患者よりは、IT業界にもメディアにもネットワークがあります。
それを活用することは、私の義務であると感じました。
「がんの特効薬と言われているウイルス療法や遺伝子の研究など、もろもろのものにより、がんはエイズや結核や白血病と同じように、不治の病から治る病気になる可能性があると言われている。」
「確立されている治療法もつまらない規制のために早くて5年や10年かかってしまう。5年後、10年後のがん患者より、今、困っているがん患者のためにそれらは使うべきだ。」
「本をベストセラーにして、そのことでメディアの関心を高める。デイリーではブログで情報発信をする。そうやって、社会への認知や影響力をGETしたら、あの世に持っていけないお金を持っている私のようながん患者や、高い志を持つ医師が終結し、がんを治してしまうかもしれない。そうなったら、すごいことだ。これこそ、ネットとメディアの融合の究極の形なのではないか?」
考えると、楽しくなってきました。
今まで、何もやれることが無いと考え、絶望していたことが勿体無く感じました。
そして、私は妄想を具体化させることにしました。
具体計画は明日の記事でアップします。
(今度は遅れないように頑張ります!)
※明日の記事くらいまでは重要な共通テーマのなので、
ヤプログ の「毎日が最後の晩餐 」、ライブドア の「病気とたたかう社長blog」 と重複が多くなりますがご了承下さいね。