2024年7月30日、渡邉秀央先生が旅立たれました。訃報を頂いた時には海外出張中で病院に駆けつけることができなかったことが悔やまれます。

イギリスで道を歩きながらひとりで泣いていました。

本当に心からご冥福をお祈りします。

 

渡邉秀央先生にお会いしたのは、2004年に参議院議員に当選した時でした。当時の民主党から出馬し、当選させてもらい、国会で初めてご挨拶をさせて頂きました。

それから渡邉先生が仕切られていた参議院経済産業委員会で活動させてもらいました。経済産業委員会での活動の中でご指導をいただきました。渡邉先生が筆頭理事、私が次席理事をさせて頂き、国会日程の組み方を委員会レベルから学ばせてもらいました。当時は野党でしたが、先生の表から見えない調整で常に計算委員会の法案はすべて成立し、経済産業省や公正取引委員会以外の省庁からはうらやましがられていました。今でも思い出すのは、日程的に相当余裕がある時でさえ、ぎりぎりまで法案審議の日程を「野党から提案して」詰め込み、会期末に問題が起き、審議が全て止まった時も経済産業委員会のみが法案をすべて成立させていました。

中曽根内閣で副官房長官、商工委員会委員長、郵政大臣など圧倒的なキャリアをお持ちの先生だからこそできたことだと思います。ご自分では人にいうことがないので、多くの人は知りませんが、官僚からは大きく信頼を集めておられました。

また、渡辺先生から「政治家と官僚の違い」を教えて頂いたことを今でも覚えています。

先生は「政治家はロマン語り、国の進む方向を決める。官僚は決まったことを着実に実現していく。」とおっしゃっていました。そして役人の延長的な細かいところまで政策を作り実現しようとする私にもっと大きな視点を持て、ロマンを持て、日本の国のために働けとおっしゃってくださいました。

「君は頭が良すぎですぐに計算してしまう。損得でなくロマンのために働かなければ人は動いてくれない」

「政治は心だ」

とのお言葉は今でも忘れていません。

今は大学の教授となっていますが、今でも国にためにロマンを持って働けているのは渡邉先生から訓示を頂いたことが大きな力になっていると感じます。

 

また2022年の参議院選挙に落選した後も気にかけて頂き、大学に職をもらった時は喜んでいただきました。

私も政治家の仲間が選挙で地位を失い、就職できない様子を見てきましたので、職を得たときは自分自身もほっとしましたし、自分のことのように先生に喜んで頂き、本当にうれしく思いました。

渡辺先生は、力ある人ではなく、困っている人を優先して手をさしのべておられたと思います。

 

また、日本ミャンマー友好協会にも誘っていただき理事をさせていただきました。昨年2023年には、渡邉先生にお供してミャンマーに伺いました。ミャンマーは、日本にとっても民主主義国家にとっても地政学的に重要な国です。しかしながら、軍政ということで欧米諸国国から経済制裁を受けて経済が厳しい状況にあります。

渡邉先生は、30年以上もミャンマーとの関係を続けておられました。ミャンマー政権の幹部とも彼らが若いころから知己であり、本当に肚024年7月30日、渡邉秀央先生が旅立たれました。訃報を頂いた時には海外出張中で病院に駆けつけることができなかったことが悔やまれます。

イギリスで道を歩きながらひとりで泣いていました。

本当に心からご冥福をお祈りします。

 

渡邉秀央先生にお会いしたのは、2004年に参議院議員に当選した時でした。当時の民主党から出馬し、当選させてもらい、国会で初めてご挨拶をさせて頂きました。

それから渡邉先生が仕切られていた参議院経済産業委員会で活動させてもらいました。経済産業委員会での活動の中でご指導をいただきました。渡邉先生が筆頭理事、私が次席理事をさせて頂き、国会日程の組み方を委員会レベルから学ばせてもらいました。当時は野党でしたが、先生の表から見えない調整で常に計算委員会の法案はすべて成立し、経済産業省や公正取引委員会以外の省庁からはうらやましがられていました。今でも思い出すのは、日程的に相当余裕がある時でさえ、ぎりぎりまで法案審議の日程を「野党から提案して」詰め込み、会期末に問題が起き、審議が全て止まった時も経済産業委員会のみが法案をすべて成立させていました。

中曽根内閣で副官房長官、商工委員会委員長、郵政大臣など圧倒的なキャリアをお持ちの先生だからこそできたことだと思います。ご自分では人にいうことがないので、多くの人は知りませんが、官僚からは大きく信頼を集めておられました。

また、渡辺先生から「政治家と官僚の違い」を教えて頂いたことを今でも覚えています。

先生は「政治家はロマン語り、国の進む方向を決める。官僚は決まったことを着実に実現していく。」とおっしゃっていました。そして役人の延長的な細かいところまで政策を作り実現しようとする私にもっと大きな視点を持て、ロマンを持て、日本の国のために働けとおっしゃってくださいました。

「君は頭が良すぎですぐに計算してしまう。損得でなくロマンのために働かなければ人は動いてくれない」

「政治は心だ」

とのお言葉は今でも忘れていません。

今は大学の教授となっていますが、今でも国にためにロマンを持って働けているのは渡邉先生から訓示を頂いたことが大きな力になっていると感じます。

 

また2022年の参議院選挙に落選した後も気にかけて頂き、大学に職をもらった時は喜んでいただきました。

私も政治家の仲間が選挙で地位を失い、就職できない様子を見てきましたので、職を得たときは自分自身もほっとしましたし、自分のことのように先生に喜んで頂き、本当にうれしく思いました。

渡辺先生は、力ある人ではなく、困っている人を優先して手をさしのべておられたと思います。

 

また、日本ミャンマー友好協会にも誘っていただき理事をさせていただきました。昨年2023年には、渡邉先生にお供してミャンマーに伺いました。ミャンマーは、日本にとっても民主主義国家にとっても地政学的に重要な国です。しかしながら、軍政ということで欧米諸国国から経済制裁を受けて経済が厳しい状況にあります。

渡邉先生は、30年以上もミャンマーとの関係を続けておられました。ミャンマー政権の幹部とも彼らが若いころから知己であり、本当に肚を割って話をされていました。そして、ヤンゴンの西側になるティラワ経済特区を日本主導で開発し、多くの日本企業がミャンマーに進出できました。両国の関係構築に大きな貢献をされています。

 

今年ミャンマーに行かれて体調を崩され、入院をされた中で、体調が回復に向かわれていると聞きました。

5月5日に90歳の誕生日、卒寿のお祝いをお贈りしました(80歳の時は傘寿の祝いを仲間の政治家とさせて頂きました)。

快復されつつあると聞いていましたので、訃報が残念でなりません。

 

とにかく、渡邉秀央先生のご冥福をお祈りいたします。

また、先生がやり残された「ロマン」を微力ではありますが、引き継がせていただきます。

渡邉秀男先生、本当に、本当に、ありがとうございました。