父の本棚を見ていると「法華経を読む」鎌田茂雄著がありました。

「法華経を読む」を開けてみると1999年刊で私が佼成会に出会う前に既に読んでいたようです。

いろいろな書き込みがされていました。私も本に直接書き込みます。父も同じような習慣だったことを初めて知りました。おそらく父を見て私が真似をしたのでしょう。

印が付けてあるところでいくつか印象的なところをお伝えすると、

 

譬喩品の章で

『「仏子」とはどういうことか。

天台大師は『法華文句』のなかで、一切衆生、皆な性得の仏性あり、即ち是れ仏子なり。故に其の中の衆生は、悉 く是れ吾が子と云うなり。と言っている。「性得」とは本来もっていること、生まれながら具えていることである。

どんな人でもそなえているのが仏性である。この仏性を本来もっている人、それが仏子である。どんな人でも仏性をもっているとなると、一切の衆生は仏子となる。』

ここに二重丸◎が書かれていました。

父もすべての人が仏性を持っていると確信していたのです。父は郵便局に勤め、最後は地域の統括中央郵便局長の任につきました。誰にも分け隔てなく接する父。父は人を否定することをしませんでした。だからこそ、多くの人が父を支えてくれたと思います。

私も父のように人の仏性に礼拝できるようになっていきます。

 

授記品の章では

『仏の所行に随いて漸く大道を具すべし。

という言葉があるが、これは重要である。仏が言ったことではなくて、仏が実行されたことをそのまま行うことによって、しだいに仏道を体得することができるという。』

父の家も母の家も日蓮宗です。父は「知行合一」という言葉が好きで、本当に行動的でした。おそらく法華経の影響を受けていたと確信します。

私も、人を救い世を立て直す法華経の行者として精進させていただきます。

妙音菩薩品の章では

『死を自覚するとき、人はこの世に存在しているすべてのものをまったく新しい目で見ることができる。健康なときにはまったく思いもよらなかった事柄が、ひしひしと自分の心に迫ってくるものである。たとえば、がんの宣告を受け、自分の死が何ヵ月か後に確実におとずれることを知ったとき、今まで生きてきた世界が何と虚しく見えてくることか。名誉も富も権力もそれは何と虚しいことか。かくして仏の道に目ざめることができるようになる。』

父の死後にこの本を私が手に取ると見通したように二重丸が書かれていました。正に、ここを読めということです。

父の死から、永遠の生命はないことをより深く実感させて頂きました。

限りある一度だけの人生を精一杯生きていきます。

それが父への最大の御供養です。