【出典:朝日新聞デジタルより引用】
 
この方は、いつもおしゃべりがうるさくて昔から嫌いです。どんなに理路整然と話しても、私にはチャラ男にしか見えません。
 
理由は、自分の側に見落としがあるかもしれない、という可能性への配慮、慎重性がゼロだからです。
 
「理路整然」と言えば、論理的思考力なら、チャラ男より数段優れているはずの将棋の天才・藤井聡太さんでさえ、100戦100勝できません。
 
ですから、日常的に自分の見落としに向かい合わざるを得ず、自分が間違える可能性を当然のこととして受け入れているわけです。

だからこそ、自然な謙虚さが身につくのでしょう。

将棋界の頂上を極めつつあるにもかかわらず、自分はまだまだ未熟で学ぶべきことが多い、と本気で考えていることが分かります。

格下の対戦相手にも本音で敬意を払っていることが分かります。

藤井さんは、いわば、強いのに吠えない静かな犬です。
 
一方、チャラ男は、「私は絶対に間違えない!私の主張は完璧だ!」と、いつもキャンキャンと無駄吠えする弱い犬にしか見えません。

藤井さんから分かるように、謙虚さとは、自分が間違える可能性を知っている心です。

謙虚さを欠くとは、自分が間違えている可能性が全く見えず、常に絶対正しい自分が上だ、という心理です。

その結果、周囲との平等感、周囲への敬意を欠く幼児性の思い上がり状態です。

この方のおしゃべりが不快感を撒き散らす根本原因のような気がします。
 
軽いほど
頭(こうべ)を上げる
稲穂かな
 
将棋や囲碁でも覚えて、もっと負けるという人生修行を積んだほうがいいのでは?

通常の議論などでは「勝ち・負け」の判定がハッキリしません。

議論で実質的に負けたときも、プライドという自己防衛心理が働き、「俺は負けていない、勝った、アイツはバカだ!」との自己欺瞞に走りがちです。

その結果、負けを自覚しての貴重な成長のチャンスを逃すのです。

一方、将棋などでは「勝ち・負け」の判定がハッキリしています。負けた場合、自己欺瞞しようがありません。

否応なしに「自分の思考の不完全さ」を認めざるを得ず、謙虚さという成長につながります。

頭をフル回転しても負けるという経験を重ね、「自分はまだまだ未熟」と自覚できることは、チャラ男にとって有益でしょう。

この方に致命的に欠けている藤井さんのような気品ある謙虚さが養われるでしょうから。

頭脳明晰で正義感もあるのですから、謙虚さも身につけ、人格的にも成長したら、鬼に金棒でしょう。

今のままでは、薄っぺらで喧嘩っぱやい、ただのチンピラのようで勿体ないと感じます。