チョーにっこり幼稚園年中(5歳)。
おままごとを愛する文系男子


りんご🍎高齢出産で産んだ息子を
追いかけるのに必死な毎日を送るママ

ウシ男牛のんびりゆっくりなパパ
色白なホルスタイン🐄


息子は不器用だ。

幼稚園では比較的優等生扱いされるけど

折り紙や粘土はいわゆる

"がんばりましょう"の子。


私も同じだった。

折り紙を折って何が楽しいのか

わからなかったし

粘土も手が汚れるだけで

思ったものは全く作れず

イライラしていた。


年長のときー。

当時、仕事が忙しくて

園行事になんて滅多に

参加しなかった父が

父の日の日曜参観ということで

珍しく来た。


父は昭和のTHE頑固親父

お父さんに向かって

ゴリラみたい!と軽口を叩く

幼なじみとそれを笑いながら

受け止める友だちのお父さんに

当時3歳の私は

カルチャーショックを受けたものだ。


それから様々な友だちの

お父さんに出会うけど

父より怖いお父さんに

出会ったことがない

我が家は父に意見は言えるが

逆らうという選択肢はない



父も祖父には逆らえず

若い頃、美大志望だったが

断念した。



日曜参観はいつものバス通園ではなく

父と車で登園した

父親が来てくれた喜びと

父がいるという緊張感

あれから何十年と経ったけど

まだあの日の駐車場の位置も覚えている



父親参観はよりによって

「お父さんの似顔絵を描こう」

だった。


美大を目指していたこともある父は

他所のお父さんがニコニコして

我が子の描く絵を見ている側で

イライラしていた。


私だけ黄色のクレヨンで顔のパーツを

描く前に十を描くように

父に命令された。

幼児に…?5歳の私は

疑問に思うがやるしかない





下手過ぎる!というイライラが

伝わってくる

言葉にはせずに

人前だからと抑えている怒りは

なかなかの恐怖だ




私の卒園した園は副園長(園長夫人)が

音楽好きな人で

鍵盤ハーモニカとハーモニカに

すごく力を入れていた。


課題曲をクリアすると

一覧表にシールを貼ってもらえる

不器用で音痴な私は女子で

1番シールが少なかった。

男子を含めてもかなりの下位層



絵が下手なうえに

楽器もできないのか!

シールが貼ってある

掲示物を見つけた

鬼が阿修羅になったのが

わかった。


参観を終えて、父と

車に乗った瞬間

叩かれた



そして、副園長が放課後

やっていたピアノ教室に

入れられた


ここでも指を間違うと

ピシャリと手を叩かれた

ト音記号🎼を上手く書けないことも

怒られた

母子同伴だったのでいつも

母にト音記号🎼を書いてもらっていたが

仕事が忙しくなり

来れないことが増えた

お手伝いさんが来てくれたが

居眠りするわ、ト音記号は書けない!と

言われるわで

もう無理!もう辞めたい!と

すぐに辞めてしまった。



夫は義父に叱られたことがほぼない。

年の3分の2を海外で過ごしていた

義父はひとりっ子の夫を

かわいがることしかしていない。


だから夫は私が父に叱られた話を

面白がって聞く

別世界の話だから新鮮らしい



夫にこの話をした時に

あー、私は親に

怒るんじゃなくて

助けてほしかったんだな

と気がついた


器用な兄と比べられて

いつも苦しかった


ある人が言っていた。

習い事が多い子の多くは

親のコンプレックスが関係していると。


我が子は環境もあるが

(重課金のセレブ園)

習い事が多いのは

私のコンプレックスも

影響しているかもー。


申し訳ないなぁと思い

ふと何か辞める?と尋ねるも

辞めないとのこと


無理矢理辞めさせるのも

違うと思い継続しているが

転居や進学のタイミングで

見直そう


息子は不器用ながら

たまに行くアート教室が大好き

好きなだけで充分だ


上手い、下手も時には

大事だけど

楽しめることは

もっと大切な気がする





※父はとても怖い人でしたが

言い方は間違ってると思いますが

短気でエラそうな人でしたが

ざっくばらんな時も多くあったし

それと同時に父は誰よりも

私を愛してくれたと

胸を張って言えます。



両親のおかげで美術館に行くのが

当たり前として育ちました。

息子も美術館が好きです。



悪い連鎖は断ち切り

(出来ないことを怒る)

芸術を楽しむ心は継承したいです。