お待たせしました!


 旅のブログの始まりです!


今回は、カナダとアメリカの東海岸を、6月10日から18日まで9日間かけて旅をしてきました。

9日間と言っても実質的には、まる6日間の旅でしたが、以外とゆったりしていて、内容的にもとても充実した旅でした。


カナダは、シカゴ経由で、ノバ・スコシア州ハリファックスに入り、ハリファックスを観光後、そこからバスでセントローレンス湾に浮かぶ愛媛県ほどの小さな・・・ ”” と言ってもそれだけで立派な ”プリンス・エドワード・アイランド州” であり、L.M.モンゴメリーの ”赤毛のアン” の舞台でもある ”プリンス・エドワード島” を訪れました。


アンが青春時代を謳歌する舞台のモデルとなったのがハリファックス

孤児となったアンが、喜びと夢と希望に胸を膨らませ、孤児院から初めて”プリンス・エドワード島”にやってくるのが6月!

物語の中でアンが語るように、6月は、プリンス・エドワード島が一番美しく見える季節。

 

花と緑に溢れた 6月! 


アンのたどった足跡を求めて旅を続けることが出来ました。

そして ”プリンス・エドワード島” の魅力を存分に味わうことが出来ました。


そして ”プリンス・エドワード島” を離れ、モンクトンから空路でモントリオールへと移動。


バスで国境を越えてアメリカへ・・・


アメリカ最初の街バーリントンでは、”シェルバーン美術館” 

次のストウでは、ミュージカル映画で有名な ”サウンド・オブ・ミュージック” のトラップファミリーが経営する ”ロッジ” に立ち寄った後、バーモント州の南端にある街、ブラットゥルボロに向かって南下。


ブラットゥルボロから更に山に入った片田舎に在る、旅の二つ目のメインイベントでもある ”ターシャ・チューダーさんのお庭” を訪問しました。


そして、東海岸で最も美しい都市とも言われるボストンに向かいました。


ボストンは、この旅の最終地! 

ルイザ・メイ・オルコットが ”若草物語” を書いた家 ”オーチャードハウス” や、全米でもトップクラスの質と量を誇るとされる ”ボストン美術館” などをめぐりました。

また世界の名門 ”ハーバード大学” のキャンパスや、世界の山の手、”ビーコンヒル” などを散策しました。




それでは順にカナダからご案内しましょう!


6月10日から11日


6月10日成田を発ち、シカゴで乗り継ぎ、ハリファックスで一泊、翌11日、ハリファックス観光後、バスで北上し、更にフェリーでプリンスエドワード島に渡り、次の宿泊地であるシャーロットタウンまで足を進めました。


ハリファックスまでの直行便はなく、シカゴで乗り継ぎハリファックスへ、

   空港内はカラフルで、何となく砕けた感じがシカゴの雰囲気を醸し出していたように感じました。


シカゴ空港内で乗り継ぎ便を待つ間、

    空港内で演奏されるジャズバンドの曲を聴きながら、

        長旅で小腹が空いて、ちょっとヨーグルトパフェをお腹へ! 


          


ハリファックス着は、

   現地時間6月10日夜中24:00頃(日本時間11日12:00頃)

      成田を10日の午後5時頃に飛び立って、19時間ほどの長旅でした。


真夜中につき、即、就寝!


シカゴの空は雲が重く立ちこめ、どんよりとした曇り空で、

   これからの天気の成り行きを心配していましたが、


11日の朝は、抜けるような青空に恵まれました。


泊まったホテルは、シタデル・ハリファックスホテル


港に近いホテル周辺は空が広く、青空がまぶしいくらいに開け、

   街並みもゆったりとした静けさをたたえていました。



         



               


ハリファックスは、1995年に先進国首脳会議の開催地となり、世界中に名が知られるようになったノバ・スコシア州の州都で、アトランティック・カナダの商業・経済の中心地。


ハリファックスはまた、タイタニック号の沈没事故に大きく関わっており、1500名以上もの犠牲者を出したこの事故の遺体を回収したのがハリファックスの海底ケーブル修理船で、多くの遺体がこの港に運ばれ埋葬されたそうです。


開放的雰囲気をたたえた港町も、かつてはフランスとイングランドの植民地戦争”フレンチ・インディアン戦争”の舞台でもあり、


その名残をとどめる城塞が、ホテルに近い場所に位置し、ホテルの名の由来ともなった城塞シタデル


街を見下ろす丘に築かれ、その中腹には、1803年から時を刻み続けている町のシンボル、オールド・タウン・クロックが建っています。

 


シタデルを訪れた時、丁度、衛兵の交代時間でした。



ハリファックスはまた、小説 ”赤毛のアン” のアンが生まれた町、そして大学生活を送った町として描かれたボーリングブロークキングスポートのモデルとなった町でもあります。

そしてまた、作者L.M.モンゴメリーが大学生活を送った町でもありました。



小説で描かれる、アンの下宿の前に建つクリミア戦争戦没者を慰霊するライオン像墓地、そしてレドモンド大学のモデルであり、作者L.M.モンゴメリーが学んだダルハウジー大学も、車窓から見ることが出来ました。



            


そして、大学生活を送り始めたアンは同じ大学の友人達とキングスポートスポフォード街に建つ ”パティの家” での共同生活が始まります。

そんなパティの家が建つスポフォード街を彷彿とさせる高級お屋敷街を散策しました。




     


           


                


アンが気に入ってしまった、

ミス・パティ・スポフォードと彼女の姪、ミス・マリアの二人の老淑女の住んでいた ”パティの家” は、

どんな家だったのかしら、


と、思いをめぐらす程に趣溢れる素敵な家が建ち並ぶ住宅街でした。


        


因みに、パティの家でアンが気に入ってしまった、炉端に置かれた二匹の陶製の犬 ”ゴグとマゴグ” 

   そのミニチュアと旅の途中で出会い、買ってしまいました。

       我が家の暖炉脇に置かれています!!



そして港を見下ろす海岸公園、

   松の林の中に立つ一軒のガゼボ(東屋)、


  それは、 ”アンの愛情” の中で、

    恋人ロイ・ガードナーと知り合う場所であり、本当に愛しているのが誰であるかに気づき、

       彼の求婚を退けてしまう場所の舞台となった場所でした。



       


訪れた時は、

     日がサンサンと照りつける陽気で、

        とてもそんな雰囲気はまるで無かったのが、 ・・・・残念でした!!


ハリファックスは、現在は陽気で明るい港町!

     港町の明るい雰囲気につつまれて、”おみやげ物” を物色し、

          次の街へとバスに乗りました。




ハリファックスからバスで北上し、フェリーでノバ・スコシア州に別れを告げて、

   いよいよプリンス・エドワード・アイランド州のウッド・アイランドのフェリーターミナルに向かいました。


遠くにプリンス・エドワード島の平坦な陸地が見え、

  やがて島のシンボルのようにガイドブックなどでおなじみの灯台、

     ウッド・アイランド灯台が次第に近づいてきました。


        北国の夏の西日を受けて、灯台が真っ白く、屋根が深紅に光っていました。

      



フェリーからバスに乗り換え、一路今日の宿泊地シャーロットタウンへ・・・


  シャーロットタウンは州の州都、そしてアンのゆかりの地でもあります。


私たちの泊まったホテルは、RODD CHARLOTTETOWN(ロッド・シャーロットタウン)!


  11日と12日の2日をこのホテルで過ごしました。


  


RODD CHARLOTTETOWNは、チャールズ皇太子が泊まったホテルとして有名で、

     今度はキャサリン妃とウィリアム王子がハネームーン恋の矢でやってくるとの噂が持ちきりでした。

ホテルのロビーなど、生花の準備を着々と進めていたのも、その証かもビックリマーク


二人をあしらったTシャツもすでに売られており、

     年甲斐もなくミー・ハーな我々(^_^)v も さっそく購入しちゃいました。チョキドキドキ


今日はここまで


     次回シャーロットタウンほか、島内アンゆかりの地へとご案内します。


          では又ね。