2011年3月11日から昨日で一年。
犠牲になられた全ての尊い命に
哀悼の意を表するとともに、
未だ困難に立ち向かわなくてはならない
被災者の方々にお見舞い申し上げます。
みなさんは、どんな一年になりましたか。
液状化で傾いた家の修理もおおかた終わり、
一年前とは様変わりした玄関に未だ慣れない
そんな、最近です。
-震災翌日の玄関前-
-震災から一年たった玄関前-
未だに側溝の修理はすすんでいないので、
埋まったままですが、大分綺麗になりました。
復興がすすむ一方、
街を歩くと目にする震災の爪痕もまだまだ。
写真(左)の青い建物は傾いたまま。
この様に手つかずの建物も多いです。
早くみんなが安心して快適に暮らせますように。
一年前の3月11日、
私は当時の勤務先である市の図書館で地震にあいました。
あの時間の少し前まで
膨大な数の新聞がしまってある地下で、
新聞の整理整頓をしていました。
15時までの勤務だったので、
いつもだったら時間まで作業をして
ぎりぎりに1階へと上がるのですが、
その日は何故か「上に行かなきゃ」
と思い早めに地下を後にしました。
階段をのぼりきったところで、ぐらり。
始めは目眩かと思い、壁に手をつきました。
「地震だ」
誰かの声でそう聞こえたとき、
揺れはものすごく大きくなって、呆然。
ただ立ち尽くしている私の肩を抱いて、
同僚が机の下に押し込んでくれました。
過呼吸になりそうな口と鼻を手で覆って、
何度となく深呼吸、その間
同僚は何も言わず私の背中をさすっていてくれました。
ものすごく長い時間に感じました。
もう、収まらないんじゃないかと本気で思いました。
これが、関東大震災なんだ。
そうも思いました。
揺れが収まって少し経ち、
「震源は東北地方」
とのアナウンスを聞いて
訳が解らなかったのを覚えています。
東北が震源でこんなに揺れるの?
家にいる祖父母の安否が急に気になりだして、
すぐに家に帰る準備をしました。
出入り口のある地下、地震の少し前まで私がいたところは
新聞が散乱し、棚は倒れ、蛍光灯も落っこちていました。
いつもの様に時間ぎりぎりまで作業をしていたら?
無傷ではいられなかったかもしれない。
外に出て少し歩いた所で、強い余震。
知らない女性と手を取り合って、道端にしゃがみました。
余震が収まったので、また歩き出すと
今度は歩道が陥没して無くなっていました。
なぜか、道路が水びたしでした。
?
??
液状化という言葉は、この土地に住んでいたら
知らないはずはないんだけれど、
液状化っていう状態は、全く知らなかった。
車道の真ん中をひたすら走った。
途中で沢山の水を持った人達とすれ違ったけど、
こんな時になんで重たい水もっているんだろう
ぐらいにしか思っていなかった。
まさか、水がとまるなんて思ってもみなかった。
家に近づくにつれて、泥泥泥。
うちは?まさか、うちからは泥出てないよね!?
そう思って、願って、家のある通りへ。
祖父母が外に出て作業をしているのが見えた。
「おじいちゃん、おばあちゃん!」
三人で手を取り合って、喜んだのも束の間。
「大変なことになっちゃったよ。」
そう言った祖父の手にはスコップ。
目の前にはぐちゃぐちゃになった玄関。
玄関前の階段を埋める大量の泥。
右に傾いた家。
(震災当日の家の前)
とりあえず、泥をなんとかしなくちゃ。
着替えに入った自分の部屋は、
地震の前と何も変わらず、動かず。
アクセサリーをかけている華奢なスタンドもそのまま。
あんなに揺れたのに?
リビングを見てみても、積み重なっている本も
不安定な場所にある時計も、全部そのまま。
あとあと聞いて見ると
大量にでた泥が免震効果になり、
ゆっくり静かに沈んだらしいので何も倒れなかったとか。
汚れても良い服に着替えて、
シャベルとちりとりで地道に泥をかきだす。
ただ、
かきだした泥をどこに置いたらいいのか
この泥は乾いてからどかしたほうがいいのか
そもそもこの泥はどこからきているのか
何にもわからなかった。
でも、かきださずにはいられずかきだした。
数時間かきだして、休憩をする為にリビングへ。
その前に顔を洗おうと思って蛇口をひねる。
が、もちろん出ない。
そのとき初めて、水がとまっていること
ガスがとまっていることを知った。
「ただいま」
弟と弟の彼女が来てくれた。
どうしたらいいかわからずオロオロしている私に、
「自動販売機で水が買えるか見に行ってくる」
と言うと弟はすぐに出て行った。
ありったけのお金を集めて、後を追う。
水は全部売り切れ。
コンビニも売り切れ。
とりあえず、喉の渇きにくそうな飲み物を買う。
家の前で近所のお兄さんと祖父が何やら話をしていた。
お兄さんは一旦家に帰ると、大きなスコップを持って来てくれた。
「一気に片付けちゃいましょうか!」
そういうと、
靴下のまま泥のなかに入って、もの凄い勢いで泥を出してくれた。
私が手伝おうとスコップを持つと、
「お姉ちゃんは頑張ったんだから、お休みしてな。」
と言ってひたすら泥を出してくれた。
お兄さんのおかげで、ようやく階段が見えてきた。
落ちた側溝の蓋を橋代わりにして、玄関までつなぐことが出来た。
(この写真は翌日)
「ここまでしか出来なくてごめんね。」
そう言うと、スコップを持って帰って行った。
少し経って戻って来たお兄さんは、
「これ少しだけど。家には沢山あるから。」
みかんを数個と飲み水をわけてくれた。
実は、お兄さんの家も液状化の被害にあっていて
床上まで浸水してしまっていたと後から知った。
本当に本当にありがとうございます。
長くなってしまったので、今日はここまで。
最後まで読んで下さっているあなた、
稚拙な文章ですみません。
思い出したまま、感じたまま書こうと思っています。
ありがとうございます。
犠牲になられた全ての尊い命に
哀悼の意を表するとともに、
未だ困難に立ち向かわなくてはならない
被災者の方々にお見舞い申し上げます。
みなさんは、どんな一年になりましたか。
液状化で傾いた家の修理もおおかた終わり、
一年前とは様変わりした玄関に未だ慣れない
そんな、最近です。
-震災翌日の玄関前-
-震災から一年たった玄関前-
未だに側溝の修理はすすんでいないので、
埋まったままですが、大分綺麗になりました。
復興がすすむ一方、
街を歩くと目にする震災の爪痕もまだまだ。
写真(左)の青い建物は傾いたまま。
この様に手つかずの建物も多いです。
早くみんなが安心して快適に暮らせますように。
一年前の3月11日、
私は当時の勤務先である市の図書館で地震にあいました。
あの時間の少し前まで
膨大な数の新聞がしまってある地下で、
新聞の整理整頓をしていました。
15時までの勤務だったので、
いつもだったら時間まで作業をして
ぎりぎりに1階へと上がるのですが、
その日は何故か「上に行かなきゃ」
と思い早めに地下を後にしました。
階段をのぼりきったところで、ぐらり。
始めは目眩かと思い、壁に手をつきました。
「地震だ」
誰かの声でそう聞こえたとき、
揺れはものすごく大きくなって、呆然。
ただ立ち尽くしている私の肩を抱いて、
同僚が机の下に押し込んでくれました。
過呼吸になりそうな口と鼻を手で覆って、
何度となく深呼吸、その間
同僚は何も言わず私の背中をさすっていてくれました。
ものすごく長い時間に感じました。
もう、収まらないんじゃないかと本気で思いました。
これが、関東大震災なんだ。
そうも思いました。
揺れが収まって少し経ち、
「震源は東北地方」
とのアナウンスを聞いて
訳が解らなかったのを覚えています。
東北が震源でこんなに揺れるの?
家にいる祖父母の安否が急に気になりだして、
すぐに家に帰る準備をしました。
出入り口のある地下、地震の少し前まで私がいたところは
新聞が散乱し、棚は倒れ、蛍光灯も落っこちていました。
いつもの様に時間ぎりぎりまで作業をしていたら?
無傷ではいられなかったかもしれない。
外に出て少し歩いた所で、強い余震。
知らない女性と手を取り合って、道端にしゃがみました。
余震が収まったので、また歩き出すと
今度は歩道が陥没して無くなっていました。
なぜか、道路が水びたしでした。
?
??
液状化という言葉は、この土地に住んでいたら
知らないはずはないんだけれど、
液状化っていう状態は、全く知らなかった。
車道の真ん中をひたすら走った。
途中で沢山の水を持った人達とすれ違ったけど、
こんな時になんで重たい水もっているんだろう
ぐらいにしか思っていなかった。
まさか、水がとまるなんて思ってもみなかった。
家に近づくにつれて、泥泥泥。
うちは?まさか、うちからは泥出てないよね!?
そう思って、願って、家のある通りへ。
祖父母が外に出て作業をしているのが見えた。
「おじいちゃん、おばあちゃん!」
三人で手を取り合って、喜んだのも束の間。
「大変なことになっちゃったよ。」
そう言った祖父の手にはスコップ。
目の前にはぐちゃぐちゃになった玄関。
玄関前の階段を埋める大量の泥。
右に傾いた家。
(震災当日の家の前)
とりあえず、泥をなんとかしなくちゃ。
着替えに入った自分の部屋は、
地震の前と何も変わらず、動かず。
アクセサリーをかけている華奢なスタンドもそのまま。
あんなに揺れたのに?
リビングを見てみても、積み重なっている本も
不安定な場所にある時計も、全部そのまま。
あとあと聞いて見ると
大量にでた泥が免震効果になり、
ゆっくり静かに沈んだらしいので何も倒れなかったとか。
汚れても良い服に着替えて、
シャベルとちりとりで地道に泥をかきだす。
ただ、
かきだした泥をどこに置いたらいいのか
この泥は乾いてからどかしたほうがいいのか
そもそもこの泥はどこからきているのか
何にもわからなかった。
でも、かきださずにはいられずかきだした。
数時間かきだして、休憩をする為にリビングへ。
その前に顔を洗おうと思って蛇口をひねる。
が、もちろん出ない。
そのとき初めて、水がとまっていること
ガスがとまっていることを知った。
「ただいま」
弟と弟の彼女が来てくれた。
どうしたらいいかわからずオロオロしている私に、
「自動販売機で水が買えるか見に行ってくる」
と言うと弟はすぐに出て行った。
ありったけのお金を集めて、後を追う。
水は全部売り切れ。
コンビニも売り切れ。
とりあえず、喉の渇きにくそうな飲み物を買う。
家の前で近所のお兄さんと祖父が何やら話をしていた。
お兄さんは一旦家に帰ると、大きなスコップを持って来てくれた。
「一気に片付けちゃいましょうか!」
そういうと、
靴下のまま泥のなかに入って、もの凄い勢いで泥を出してくれた。
私が手伝おうとスコップを持つと、
「お姉ちゃんは頑張ったんだから、お休みしてな。」
と言ってひたすら泥を出してくれた。
お兄さんのおかげで、ようやく階段が見えてきた。
落ちた側溝の蓋を橋代わりにして、玄関までつなぐことが出来た。
(この写真は翌日)
「ここまでしか出来なくてごめんね。」
そう言うと、スコップを持って帰って行った。
少し経って戻って来たお兄さんは、
「これ少しだけど。家には沢山あるから。」
みかんを数個と飲み水をわけてくれた。
実は、お兄さんの家も液状化の被害にあっていて
床上まで浸水してしまっていたと後から知った。
本当に本当にありがとうございます。
長くなってしまったので、今日はここまで。
最後まで読んで下さっているあなた、
稚拙な文章ですみません。
思い出したまま、感じたまま書こうと思っています。
ありがとうございます。