「全人類を代表して」



というようなことが、日々劇場では行われている。



今日のギリシャ悲劇「メディア」も正にそんな芝居だった。2500年前に書かれた作品が、こんなにも今日的な問題として生々しく感じられるなんて、人間は今も昔も変わらないなあ、というのと、全人類的・普遍的な作品の時代を超えた凄みを感じた。


昨日のブログで、「世界中でピストル自殺しようとしてる人の代わりに舞台でピストル自殺した」ということを書いたけど、それは少しも大袈裟でないってことを、今日の芝居を観て思った。



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◆公演情報◆
「メディア」
作:エウリピデス
演出:レオニード・アニシモフ
公演:東京ノーヴイ・レパートリーシアター
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「メディア」の物語の中で、主人公であるメディアは我が子を手にかける。そんなこと、どこの母親にできるんだ、って思うけど、残念ながら今日もそのような悲劇は世界で起きている。

そのメディアを裏切った夫のイアソン、我が子を殺されて初めて知る己の過ちと罪と恥、客席から観てると、こいつマジで終わってるな、って思うけど、この世界を見渡してみれば、はっきり言ってあらゆる男性が古今東西犯してきた罪であり過ちである。




「私の代わりに彼は死に、私の代わりに彼女は殺す」

というようなことが、そこで起きている、リアルに起きていると、今日の芝居を観て思った。





逆に!

そんなことを、人類を代表して週に4回も殺したり殺されたりする俳優という人種は、過酷すぎる職業だと思う。

それが表面的なお芝居なら、そんな痛みはない。たくさんの観客に感情の昂りを見せびらかし、自己顕示欲を満たしてビール飲んで終わりだ。

でも真の俳優は。

日本では天宇受売命(アメノウズメノミコト)に始まり、西洋では円形劇場で数万人の観客の前で心身と魂をゼウスを初めとする神々に捧げた、真の俳優という人種は。




演劇大国ロシアでは、

「俳優と神の間には、どんな階級も存在しない」と言われる。

つまり、人間や獣、虫や植物、そういうもののヒエラルキー、食物連鎖における、生物の頂点に存在するのが俳優であり、言ってみれば人身御供みたいなものなのだ。身を捧げる、というやつだ。

人に非らず優れたもの、と書いて俳優。

俳優とは、そういう職業であり、他のどの職業にも果たし得ない役割と仕事を担っている。





はぁぁぁ・・・




なんて世界に足を踏み入れたものか。






がんばろ。。。