それは、本当を言えば随分忘れてしまった実感なのだけど、それでもまだ覚えている。
人間、ぜんぶ。
すべての人間を一個として。
昔は、好きすぎてかなりきつかった。
なぜなら僕がどれだけ好こうが、人間は必ずしも僕のこと好きではないし、むしろ明白に嫌われたり疎まれたりすることも多かったから。
人間好きとか言ってると、しょうもない博愛主義者か、中途なスピリチュアリストか、もしくは言いたいだけやん的な感じか、そんな風に自分でもやや思えるけど、
例えば「僕は実は肝臓一個ないんです」ってくらいの事実ベースな事柄として、人間が好きだった。
過去形だな、と思ってしまった。
不条理な理由で毎日たくさん人が死んでることが哀しくてたまらない年頃があった。その感情を裏打ちにどこまでもがんばれた時期があった。それ以上の原動力は、今でも知らない。
3歳の頃に家の近くの草むらを、胸元まで背丈のある草むらを掻き分けバッタを追った記憶のように、人間が好きだという想いはいま手触りがないけど、それでも、
それでも今の自分をどこかに向かって押しやるこの風は、この追い風は、そこから吹いてきているように感じる。
今これを、誰のためにやるのか?
僕にとってはこれが一番の鍵なんだなと思った。