手放して、手放して、手放しまくって、
手離して、手離して、手離す。
そしたら、
なんだか無性に手伸しくなってきた。
「楽しい」の語源は、「手伸しい」だと、
一月の古事記九州公演のアフタートークで、
古事記研究家の鎌田東二さんの話で知った。
天照大御神が天岩屋戸に隠れて、
世界が闇に閉ざされたとき、
八百万の神々が一堂に会して、
どうすれば天照大御神が岩屋戸から出てきてくれるか相談し思案し、
そして、
「祭をしよう!」
ということになった。
そして芸能の神様であり芸術の神様、
天宇受売命(アメノウズメのミコト)が、
踊りに踊って、
しまいには乳房を露わにして踊り狂い、
トランス状態のゾーン状態のフロー状態になった時、
そのあまりの輝かしさと歓喜に突き動かされ、
思わず手を伸ばして踊り始めた。
その様子を「手伸し(たのし)」と言った。
あまりに楽しくて嬉しくて、
そして、
神々は咲った。
咲く、と、書いて、咲(わら)った。
そして天照大御神は、
「どうして自分がいない闇の世界で、神々はあのように楽しそうに歌い踊り、笑い合ってるのだろう?」
と不思議に思い、思わず岩屋戸から出てきてしまった。
その瞬間、
世界に再び光が射し、
八百万の神々の顔を光が照らし、
神々の顔(面)が白く光った。
その様子を、
「面白し」と言った。
楽しい、面白い、
という言葉にはこのような起源があること、
36歳の中年のおっさんになるまで知らなかった。
家族がいて、子供がいて、日々のごはんを食べるお金が必要で、
そうすると、
どうしても、どうやって日々の糧を得ていこうか、
どうやってお金を稼ごうか、
計画して、逆算して、今日何を「すべきか」、
って方向に思考が行ってしまうけど、
これは、マジで落とし穴だ。
分かっちゃいるけどやめられねえ♪
みたいなね、話もあるけど、
それでも、やっぱり意識して手放して、
欲や執着や嫌悪や、
野心や虚栄心や劣等感や、
そういうのぜんぶ手放して、
今!今!今!
って覚悟決めたとき、
奇跡は起きるのだと思う。
想定の範囲外で、
予期せぬ事態を予期して、
想像力の射程距離の向こうの向こうまでストレッチして、
それでも届かないくらい遠く高く遥かな場所へ。
そんなほのかなワクワクとドキドキを携えて、
また、今、今、今。
あな、たのし、おもしろし。