8月18日 AM11:35〜11:50、松栄堂薬局での勤行を終え、次の勤行先「富士山東泉院跡 / 日吉浅間神社」へと歩を進めます。

↑PM12:00…真上から照りつける太陽の下を黙々と歩き、富士山東泉院跡 / 日吉浅間神社へと向かいます。
↑PM12:01…富士山東泉院跡 / 日吉浅間神社にやって来ました。
↑PM12:02…富士山東泉院跡 / 日吉浅間神社拝殿前にて、お勤めが始まります。
法螺が立てられた後、般若心経を一緒に読経させていただきました。

富士山東泉院は、戦国大名 今川氏のあつい庇護を受け、草創当時は村山系の本山派修験で、一説では村山の富士山興法寺の一つだったと伝えられています。
なぜなら、村山修験(大鏡坊)出身の「雪山」は、今川家の重臣として重用されていた裾野市の葛山氏一族の頼秀に養子入りし、今川氏の使僧(他の大名家と交渉する僧)の役割を果たし、今川氏に対して村山修験として、駿河東部の宗教政策の中心になると共に、軍事的奉公も務めたそうです。
また雪山は、富士山東泉院の初代住持(住職)でもあり、後に「大納言頼恵」と名乗っています。
このように、富士山東泉院は村山と深い繋がりがありました。

↑PM12:13…富士山東泉院跡 / 日吉浅間神社の宮司でもあり、行者(修験者)でもある六所幸雄氏が、祝詞を奏上されます。
これぞ!まさに神仏習合の具現です♪
ちなみに神仏習合の時代は、現 日吉浅間神社の拝殿は富士山東泉院のお堂でした。
↑PM12:16…日吉浅間神社拝殿の向拝を 様々な彫刻が飾っています。
両木鼻に「獅子頭」、頭貫と持ち送りに「牡丹と千鳥」、裏手で見えにくいですが手狭には「鳳凰と麒麟」。
とくに蟇股は見事で「龍に乗って琴を弾く赫夜姫」が透かし彫りとなっており、赫夜姫の肩には「雉」や「三宝」が彫られています。
5年前に、宮司の六所芳和氏からお話を伺ったところ、当初は彩飾の彫刻だったそうです。龍の頭を観ると分かりますが、若干まだ色が残っています。
このように、改修などはせずに「自然のまま」を大切にされておられます。

富士山東泉院 / 日吉浅間神社では、御祭神を「赫夜姫」(かぐや姫)として祀っています。
祭神 赫夜姫は、神仏習合本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)では、大日如来と、その命により派遣される「富士浅間大菩薩」の示現(じげん)となります。

↑PM12:23…上和田町公会堂を借りての昼食は、村山 大鏡坊の末裔「おふくろ亭」のお弁当です♪
昨年は鰻弁当でしたが、今年は色取り取りで鰻も乗っていました。これから長丁場ですから、このお弁当は精がつきます♪
↑PM13:00…聖護院門跡 草分俊顕 導師の「出立!」の号令のもと、富士山東泉院跡 / 日吉浅間神社を後にし、次の勤行先「穴原の釈迦堂」へと歩を進めます。

つづく…