富士子は今年4度目の年女で誕生日がくると48歳になる。
最近まで自分のことをアラフォーだと思っていたが
四捨五入したら50歳であることに気づき、
いくら何でも図々しいかと反省しアラフィフを名乗るようになった。
仮にアラフィフを45歳から55歳までだとしても
この10年の間にはバブル崩壊と言う大きな壁がある。
富士子はバブル時代に受験勉強に明け暮れ、
大学にようやく入ったら崩壊し、
就職活動は四大卒女子は超氷河期の
ロストジェネレーション世代の先頭だ。
仕事やプライベートで付き合いのある少し上のアラフィフ女性は
とてもパワフルで自信に満ち溢れていてすごいなと常日頃感心している。
その自信はバブル時に女子として青春を謳歌できたかどうかの
差が大きいのではないと思っているのだが、これは富士子の勝手な考察だ。
(異論があってもこのブログの本論はそこでないので水に流していただきたい)。
前置きが長くなったが、今何を一番言いたいかというと
この前の入院で同じ年のがん友ができたのだが、
「やはり同級生同士は肌感覚で分かり合えることが多くていい」ってこと。
そのがん友・Aさんとは静岡がんセンターのデイルーム女子会で知り合った。
第一印象はいいところの奥さん風に見えたのだが、
みなが「エーッ」と驚く仕事を若いころはやっていて
男社会でたくましく生きてきた経験も持つ「男前女子」だった。
(Aさん気に障ったらゴメンナサイ、これ富士子的には誉め言葉です)
しかも、同じ町に住んでいて学校はかぶってないけど、
Aさんと同じ高校には富士子の小中同級生がたくさん行っていて
共通の友達も多いことが判明。
さらに夫も子供いない境遇も同じとあって
昔からの友達みたいに一気に打ち解け合ってしまった。
Aさんを誘って、昨日患者会with a cancerが開いたトークイベントに行き、
(そのイベントの記事はこちら)
そのあとカフェでランチしながら長いことおしゃべりを楽しんだ。
「がん」で富士子は片胸を、Aさんは子宮を、失った。
ともに今後良縁があったとしても「がん」に関係なく出産は無理なお年頃、
AYA世代と呼ばれる結婚や出産という人生のメインイベントがある
20~30代世代患者に比べるとだいぶお気楽な立場なのだけど、
それでも心は揺れて、いろいろと悪あがきをしていたことを語り合い、
「お互い往生際が悪いね~」と笑い合った。
でも、いくつになっても、女性の心は揺れるものなのだろう。
肺の抗がん剤治療で隣の部屋にいた70代と思われるご婦人は
30年前に乳がんになり両胸を失った。
その頃は再建技術も進んでいなかったし、保険適用にもなっていなかったので
そのままにしてきたそうだが、「子供みたいな自分の胸が嫌で
死ぬ前に乳房再建して元の姿に戻ろうかと考えていたけど
肺がんになってしまったからそれどころでなくなってしまったわ」と言って
富士子には乳首まで再建することを勧めてくれた。
(どこまで再建するかは迷い中)
富士子もAさんも仕事復帰を含め、この先のことは何も決まっていない。
(いや、あえて決めていないと言っておこう)
まず第一の理由は
今後の検査結果で治療方針が決まるためである。
互いに最初の手術の病理診断の結果により
予定外の再手術や抗がん剤治療を受けている身である。
いくら当人がその気になってもブレーキがかかることがあることは知っている。
第二の理由は
今までの働き方が今回の病気に少なからず
影響を及ぼしていることは自覚しているので
もう同じ轍はふめないと、
今後の人生を思案している最中だからだ。
早い話が、私たち、
迷えるおひとり様アラフィフ二人組なんです。
普通のお宅が週末だけやっているおうちカフェで
美しい庭を眺めながらカレーとケーキとコーヒーに舌鼓を打った。
Aさんは抗がん剤治療の副作用で味が感じられないそうだ。
今それでもおいしく食べられるものを探している最中と
香辛料の利いたカレーを頼んだ。
開店時間が遅れて外で少し待たせたお詫びとして
コーヒーとケーキは店がサービスしてくれた(ラッキー!)。
彼女がどれだけ味わえたかは?だけど
こうやってカフェで食事して、
のんびりとしたひと時を過ごせるのは
幸せだとAさんが言った。
富士子もちょうど同じことを考えていた。
がんになってみて、当たり前の日常生活の貴重さを痛感し
いろんなことが「ありがたい」と思えてくる。
一度がんになると新しい医療保険に入ることは難しい、
この先公的年金をもらえるかどうかもわからない。
心配を数え上げれば限りないけど、
考えすぎもよくないから流れに身を任せようという
境地にたどり着いたところも二人の共通点である。
先のことはわからない。
でも今、二人ともカフェで食事するお金はあって
出歩ける元気さもあって
そうして互いの境地を分かち合える友がいる。
今日が幸せだと思えればそれでいいんじゃない?!
今、ここを生きる
いろんなところで聞いてきた言葉だが
その意味の深淵さもわからず、
まして実践なんてできなかったけど
ようやくその入り口にたどり着けたような気がする
今日この頃だ。
