⁡今日はschool tuck shop でのボランティア中、私あてに電話が。。
disability サポートの先生から、
長男がupset して止まらないから連れて帰って欲しい、
もしかしたらsickなんじゃないか?
と言われ、
ボランティアを切り上げて教室へ。
3人のクラスメイトが長男の手を引いてやってきてくれたが、
俺は帰らない!!!
と座り込んだ長男。
後ろには副校長先生、、、
早く連れて帰らなきゃ、と焦る私。
大声を出して手すりにしがみついている長男。
の地獄絵図、、、🙄😵‍💫🙄
こうなると長男は断固動かない。
20分ほど静かな格闘時間があり、
後ろに立ってる副校長先生がだんだん疲れてきている、、、
私も泣きたい、、、
そこへdisability 担当の先生が来てくださり、
英語でゆっくり話をして長男をなだめ、
結局クラスに戻してくださった。
私はもう、すみません。。と謝るしかできなかったのだけど、
先生は、
全然オッケー
彼がそれでいいならこのまま様子を見ましょう
と言ってくださった。
なんだかね、
こんなとき親はさ、
迷惑かけて申し訳ないな、とか
早くしなきゃ、って
思いがち。
#私だけかな?
でもオーストラリアに来て、
無理にしなくていいよ
待ちましょう
など、
急かすことを言われないことに気づいた。
#あまり近しくない人の視線はさておき
#日本だと急かされると言いたいわけではないよ
子どもに必ず意思を確認してくれる。
こうする?どうする?とさまざまな提案をしてくださる。
長男は戦闘モードに入ったら絶対に親の言うことは聞かないので、
こうやって先生方が入ってゆっくりと話をしてくださることが本当に助かっている。
日本にいるときはもっと、
親が全部やらなくては!
親が躾けなければ!
と強く思っていた気がする。
オーストラリアに来てもうすぐ一年というところで、
学校にずいぶん助けられて
頼らせてもらって
間に入ってもらって、
共に長男を育んでもらってるなぁと
今日改めて感じた。
⁡ 
そこに、
言語をすべて理解しているかどうかは
大きく影響していないように見えた。
 
 



#大阪の小学校でも同じようにしてもらってたことを思い出した