※信仰のさんぽ道より抜粋

・愚痴を排除しましょう

 

「今はどこも景気が悪いから商売がうまくいかなくても仕方ない」

「あの人さえいなかったら・・」

「ここで暮らしてなかったら・・」

 

私たちは、わが身に不遇(ふぐう)を感じると、必ずといってよいほど、まわりの環境に責任をなすりつけ、


時には愚痴ばかりを心にいだき、そこから脱却するという努力を怠ることがあります。

 

もちろん多岐にわたる理由があるでしょうから、

一刀両断にして論じることはできませんが、少なくとも私たちは、この信仰で「因縁・果報」を学んでいます。

 

ならば、その因縁・果報というものを心で観じ、生活に役立ててほしいのです。

 

 

ことに「因縁観」というものは、頭でわかっていても、

「愚痴の心」では到底理解することができません。

 

日蓮大聖人は、

「弟子・信徒に様々なことを朝夕に教えているが、多くの人は、いざ何かあると、教えていることすら忘れて退いてしまう。」

と嘆かれています。

 

わが身に不遇が起きたとき、ややもすると信仰の基本を忘れ、時には世に多く広まる「宗教もどき」に救いを求めかねません。

 

大聖人は、

「路(みち)に迷った人がいた場合、路を作った人が悪いのであろうか、それとも迷った人が悪いのであろうか。」

と私たちに諭されています。

 

「春は花が咲き、秋にはくだものがなり、夏は暖かく、冬は寒いのも時の流れである」

 

季節の移ろいを示されつつ、今という「時」をあなたがどのようにして過ごすかは、その心にゆだねられていますが、

 

「極楽で百年も修行する功徳より、この末法の穢土(えど)で一日行う仏道修行のほうが、はるかに勝れている。」

と仰せです。

 

 

路=法、を踏み外すことなく、ご本尊を拝し、自分を律して向上をはかっていきたいものであります。