2/25(土)
今年初めて
『12月の発表会「天使の歌会」に向けて
レッスンを重ねてみませんか?』
と4月からのレッスン生募集を
投げかけてみたのですが
その投げかけに反応してくださった方の中に
青春時代を共に過ごした
親友・ひろみんもいてくれていまして
もう今月から通ってくれているのですが
↓ひろみんのブログシェア
https://ameblo.jp/hirotake1007/entry-12787809653.html
今日のレッスンではなんと
「穴のあいたものを
買っていきたかったの〜」
と…(笑)
ゲンさんが今月我が家にあけた2つの穴にかけて
(畳とお風呂 )
バウムクーヘンをプレゼントしてくれる親友(笑)
ひろみんは最高に愛と笑いに満ちた人である
↓ひろみんに送った写真
私の手の中のバウムクーヘンが逆さまや
まだ10代の若かりし頃。。
一緒に演劇を学んだひろみんと
時を経てこうして貴重な時間を過ごす中で
今日ふと心によぎることがありました
「我(が)」
「我」って…
表現者にとって
あるいは
何かを極めるにあたり
とても大切なひとつでもある
…のだけれども
それは
己の内側に静かに持ち続けながら
ときに手品師のように
「はい、消えました〜」
と、あたかも
最初からどこにもないかのようにも見せられ…
一般的には
あまりよくは思われていなさそうだけど
でもきっと
誰しもが持ち合わせているものでもあり…
自分が何者でもないことに不安を感じれば
我が強く出るし
何者でもないことを誇れれば
我を通すことも我を強く出すこともなくなる
のかな?
ま、
人それぞれ、なのでしょうか
「がむしゃらに」
ひたむきに・一生懸命に、という意味で
「がむしゃら」を使うとすると。。
本来の漢字とは全然違うけれど
「我無砂楽」
と私は書きたくなるのです
「我を忘れて
砂遊びを楽しんでいた子供の頃のような自分」
そんな自分で
学びたいことを学び
吸収したいことを吸収する
そうして吸収したいろいろが
「我」
をより一層深めて肥やしていく
以前も書きましたが
「素直であること」
いくつになっても
どんなときでも
本当に大切なことだなのだなと感じます
あらためて自分自身に
「いま、私はどうか?」
を問いながら
この先も歩みを進めていきます
ひろみんの「在り方」が本当に素敵で
声も歌もどんどん変わっていくのに
感動の日々です
さてさて…
先日我が家に来てくれた優れ物が
↓仲良くしていただいている
Reijiさんが手作りしてくださった
締め太鼓のケース!!!3つも!!!
↓ちょっとサイズをお伝えしただけで
ご自身で考えてデザインして
貴重なお時間を製作に費やしてくださって…
↓3ついっぺんに持つことも
余裕のよっちゃんで、可能!!
ゲンさんの和太鼓教室のときに
ケースがないことを知って
作ってくださったのです
本当に…
ものすごい…
そしてReijiさんの作られる
物の幅が、広いっ!!
革製品も素晴らしいし
イヤリングなど小物も可愛いのを作られてたり…
すべて手作りのオリジナル製品で
使う人のことを最大限に考えて想像して
頭の中に浮かぶいろいろを形にされるのが
もう、本当にものすごい
Reijiさん、
本当に本当にありがとうございました!
さぁ
次の太鼓の日がまた楽しみだー!
↓【いばらきフラワーパーク】
「風の坂道 / 小田和正」fufu coverとともに
↓【箱根】九頭龍神社さんへ
↓「いのちの歌 / 竹内まりや」
↓fufuオリジナル曲「優しい涙」
↓埼玉から竜王ラドン⑨ゴール!
↓実おじさんに捧げるゲンさんのピアノにのせて
↓「灯火 / 優河」
↓藤本ゲンの和太鼓教室
「たいこを打つ会」1分動画
↓「帰ろう / 藤井風」fufu cover
水元幼稚園さまでの豆まき写真と共に…👹
↓「おにのうた」
↓fufu主題歌担当の
アニメーション映画『算法少女』 の予告編