【家族日記】今も昔もこれからも、大好きよ。 | fufu official blog

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日野原希美と藤本ゲンのfufu( ふふ )のブログです。
『 夫婦 』 であったり
『 ふふっ 』 と笑う笑い声だったり
『 フーフー 』 と熱いものを冷ます行為だったり
母が子に与える無償の愛や、大自然が私たちに与える無償の愛のような
音楽を奏でています。

1/9(日)



7年前の1月9日。

希美母は光に還り、宇宙のひとつになりました。



明けて今日は母の命日です。



↓7年前の母が亡くなった日のブログ。

https://ameblo.jp/fufu-0327/entry-11975001344.html?frm_id=v.jpameblo&device_id=51ad5f1b9c284dff9c7191c77cc53346


↓なんて優しいまなざし。

↓見守ってくれる2人の背中。

↓母の拍手は宇宙一、あたたかい。

↓まだ私が生まれる前の母と兄たちニコ

やんちゃな男の子2人。

でも母、大変そうだけどなんだか楽しそう。

母が見つめる先には父がいるのです。

これはファインダー越しの父の景色です。

↓おませな京都時代。

何でも母の真似をして。

母に近づく子がいたらその子たちに嫉妬して。。

この母のことが私は宇宙一、好きだった。

「君映ちゃん(私の本名)には
結婚してほしくないわ」


と、
30歳を過ぎた娘に言うには
ちょっとコワイ言葉を普通に放つ母でした。


が。


私がゲンさんと出会い、
結婚を考えていることを伝えると


「歌は(これから先も)歌わせてもらえるの?
それならよかったわ。」



と、

すんなり受け入れ喜ぶ母でもありました。



父の愚痴を言う母があまり好きではなかったけど。

それはきっと

母に幸せでいてほしかったからだと。

母を幸せにしたかったからだと。

愚痴を言う母が幸せではない気がしたからだと。



すなわち、私は母が大好きだったのだと

今ならわかります。

私もずいぶん、もがいたなぁ。。



↓結婚してから4人で行った北海道旅行ニコ

寒い中、いきなりソフトクリームからスタート。

↓一緒に行った沖縄旅行。

4人でたくさん色んなところに行きました。

父も母も、

知れば知るほどゲンさんを好きになりました。

↓右は生前の母。

左は母が亡くなってからの父。

時を経て、偶然同じケーキを食べている2人ガーン


↓いつか、母が作って持ってきてくれたケーキショートケーキ

母の愛は偉大…だとこのケーキを見て思う娘。。

↓いつかのバス旅行。

花を撮るのに懸命な母、、を撮る娘、、

を撮るゲンさんゲラゲラ

↓母と行った最後の旅行。

由香ちゃん若女将のいる大松閣さんへ。

本当によくしていただいて。。

ありがとうございましたおねだり

↓2014年の年末。

母の最後の外出。

この10日後くらいに亡くなりました。

私はずいぶん長いこと、

「私の家族は幸せな家族」だと思っていて

そして17歳の頃あたり。

母からいろいろな話を聞くことになり

「私の家族は幸せな家族ではなかった」

と知りました。



そしてまたずいぶん長いこと

両親のことで

私なりに悲しい思いをしていました。



悲しみを切り離せなくて

でも切り離したくて

…親離れ、子離れとも関係するのだろうなぁ。



その時期、

私にとって

それはとても大きな学びだったと思います。



1番そばにいるのに分かり合えない夫婦。

そんなの悲劇だと心底感じて苦しかったし

自分は絶対に結婚しないしできない、

と、思っていました。



人生って本当に、

何が起こるかわからないおやすみ



そして、

母が亡くなるちょっと前くらいから

父の母に対する在り方が愛いっぱいなのが

目に見えてわかって。。



それは多分、

母の意識(我)が消えたあたりから。



我が消えた母に

張る意地がなくなった父には

そもそも根底にあったのであろう

母に対する愛のみが残ったのだと思います。



母もきっと

私には父の愚痴ばかり言ってたけど

それは母が父のことが大好きだったから

色んなことがもどかしかったのだろうと。。



別れが近づいてからの母は

私の知ってる母とは少し違う

女性の顔がそこにはあって

私はずいぶん長い間、

父と母のことを勘違いしていたのだなと。。



世の中はわからないことだらけだと、

そう感じる日々でした。



母の最後の外出になった、

あの日の写真の2人には…


↓2人が出会った頃のこの頃と変わらない、

愛が、ちゃんとあったんだなと。



私は愛されてたし、

愛の中生まれてきていた。



ということを

具体的に見せてもらったような気がして。。




「別れた方がいいんじゃない?」



と伝えたことがある中で

母と父が別れなかった根底には



「脳ある鷹は爪を隠す」



と同じくらい見事に隠された「爪」ほどの、

見事に隠された「愛」が、あったのだろうと。



私には思えたのでしたニコ




母は父と最後を過ごしたマンションで

自宅介護で息を引き取りました。



最後まで家族と共に。

最後まで過ごした部屋で。



たった10日ほどだけ。

本当に母が動けなくなったり

意識がなくなる時間が増えたその10日間ほどだけ

介護のようなことをさせてもらいましたが

ほんの短いその期間でも

それはとても大変で、気が遠くなったりしました。



なので長いこと介護に携わる方々を

私は本当に尊敬します。



そんな方々にどうか

支えや救いがありますようにと

心から祈り願っています。



そろそろ、母が息を引きとった時間がきます。

正確にはわからないのです。

家族を休ませて、1人で静かに逝ったから。



でももうすぐ、私が母の息がないことに

気づくくらいの時間がきます。



母が亡くなる前、

亡くなった後、

そして今も。

不思議なことはたくさんあります。



体を脱ぎ捨てても

ちゃんと私たちが繋がっていることを

母が教えてくれています。



母とだけではなく

私たちはすべての存在と、大自然と、

繋がっているし

いつでも祝福されているし

愛され、見守られています。



うまくいかないこともいくことも

すべては自分の、宇宙の、思いの通り。



だから

だいじょうぶなんだと。

ぜんぶ、まる、なんだと。



人間だからあがくけど。

生きてるからこそあがくけど。

でも、あがきながらも、

だいじょうぶであることや

ぜんぶがまる、であることを

忘れないでいたいと思うのです。



だって、

だいじょうぶだから。



お母さん、今も昔もこれからも大好きよ。

いつも本当にありがとう。



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