fufu official blog

日野原希美と藤本ゲンのfufu( ふふ )のブログです。
『 夫婦 』 であったり
『 ふふっ 』 と笑う笑い声だったり
『 フーフー 』 と熱いものを冷ます行為だったり
母が子に与える無償の愛や、大自然が私たちに与える無償の愛のような
音楽を奏でています。


テーマ:
10/12(木)

昨日の日記で左足の太もものことを書きました。
そのことから思い出したこと、気づいたことがあります。

昨日も書きましたが
希美さんは左足の太ももの前面の筋肉が
縮んでるらしいんですね。
正座まではできるんですけど
それ以上は曲がらないので腰が反るか太ももが上がるかします。

希美さんは沖縄生まれで
沖縄がアメリカから返還された
翌年に生まれたのですけど
亡き母の話によると、
当時クーラーがある病院がアメリカ病院だけだったので
アメリカ病院で希美さんを産んだと

そこで、生まれてすぐに足にできものができて
その治療のために17日間続けて両足のももに
注射を打ったそうなんです。

たぶんそれが原因で
希美さんの左足は現在のようになってると
物心ついてからは両親からそのように聞いています。

同じ状況にあった子で
小学校に上がる頃に歩けなくなった子がいた、
という話も聞いて
(新聞に載っていたらしい)
聞いた話でしかないけれど
もしそれが本当ならば
希美さんはまだラッキーだったんだろうと思います。

両親がこのことに気づいて病院にカルテの提示を求めたら
カルテはないと言われたと、
カルテを隠された?と言っていました。

足は普通にしていればさほどわからないのですが
走ると引きずる格好になるので
(あれ?なんかおかしいな?)
とはわかる感じですのでよく走る機会があった頃は
小学校ではなんだかんだとからかわれ、
中高では「足痛いの?」とか
「大丈夫?」と聞いてもらっていました。

痛みはないんです。
短距離も早かったから常にリレーの選手だったし
ただ、長距離は足が重くなって走れなかったり
動かし過ぎると腰に負担が来るとか
それぐらいの感じでした。
あ、あと今でも靴の左足のつま先がすぐ減る

とにかく、両親からそんな経緯だけは何度も聞いていて
私的には(しょうがないな)とは思っていたと思うんです。

高校に入って演劇に出会って
高校演劇と共に当時住んでいた長崎の
カルチャーセンターのミュージカル教室に行き始め
そしてさらにそのカルチャーセンターの先生が主催している
ミュージカルが主の市民劇団に入りました。

当時長崎では有名どころでは
劇団四季くらいしか上演がなくて
初めて四季にふれてからは
ごく自然にミュージカルに憧れていきました。

そんな時、ミュージカルをやりたいなら
足は治さなければいけないだろうと
初めてももの件で病院に行ったのです。

(仕方ないよね…
から
(なんとかなるものなら…
に変わったんですね。

初めて足を診てくれた先生は
「この足は治りません」とおっしゃいました。
手術したらしたで傷が残るし
もう少し早い段階だったらまだ可能性はあったけどと。

予測していたことでもあったけど
夢見る高校生だった私には
奈落の底に突き落とされるような時間でした。

(ミュージカルの舞台には立てないんだ
と思ったら泣けてきて泣けてきて
帰りの車の助手席で、
泣くまいとすればするほど涙が溢れたのを
思い出しました。

憧れのミュージカルはダメなんだと決めつけた
うら若き女子高生だった頃の私は
それ以上自分が傷つかないためにも
自分の夢の置き場所をミュージカルではなく
ストレートプレイに移しました。

そしてそのように時は流れました。

運良く桐朋学園の演劇科に入学し
3年学んだ後に文学座の研究所に入り
そして映像事務所のお世話になり…

その間も様々踊る機会はあって
授業でも和物から洋物まで一通り科目があったし
ぜんぶ、それなりに無難にはやっていて
その中でも特に短大の時に出会って長く続けたのが
津軽の民舞でした。

日本舞踊に近いけど
日舞が畳一畳で踊れる踊りだとすると
津軽の民舞は野っ原で踊るような踊りで
私にはものすごくしっくりくるものでした。

ある時。
民舞のお稽古の時に
動きができないのを左足のもものせいにしたんです。
「私にはできない。」と
そのポーズがうまくいかないのはもものせいだと。

考えてみたらそれまでのさまざまなシーンで
私はよく、できない事をもものせいにしてたんです。
しょっちゅう。
言い訳にもしてたと思う。

本当にできない事もあったけど
でもある日、もものせいでできなかったんじゃないことが
民舞の稽古の時にわかった時がありました。

私の心が弱かったんだと気付かされた瞬間。

ももさん。
随分あなたのせいにして
卑屈になったり
悲劇のヒロインになったり
向き合わないまま避けてきたことがありましたね。

23.4だったあの頃。
あの稽古の時の、
カミナリが落ちたようなあの瞬間の気づきは
「私のせいじゃないー!!」
というももさんの叫びだったり
「いつまでも甘ったれてんじゃないー!!」
というご先祖様達からの喝だったり…

とにかく、
さまざまな愛で気付かされたことがあったわけです。

それでも心のどこかに
あわよくばミュージカルに…と
そんな気持ちもありつつ
でも私には無理なんだと気持ちを抑えつつ。

そんな葛藤の中でも
自分企画の一人芝居や2人芝居で
民舞を使って踊り歌うような舞台は上演していました。

お客様からのアンケートには必ず
「もっと歌が聴きたい」というのと
「踊りがいい」というのがあって
当時、大変お世話になっていた大学の恩師の
「アンケートに同じ内容のことが
3人以上から書かれていたら
それは次回に生かしなさい」
という教えを生かしていくように
和物ではあったけど歌と踊りは増やしていきました。

長くなったけど何が言いたいのかというと
ずっと逃げてきた憧れのミュージカルに
私、やっと出れるんです

すべてはご縁であり、タイミングであるから
今、ココが私のベストなタイミングなだけなんだけど
私はずっと、和物にも逃げてきたし
とにかく、覚悟が足りなかったんだなと。

叶う叶わないじゃなくて
夢は見てていいんだと思うのです。

ミュージカルに憧れた16歳から
夢やぶれた気持ちになった18歳。
そこから25年かかって憧れの舞台に出ます。

いっぱい責めたももさんから
お許しを頂いたのかもですね。
いやいや、ただのご縁、かな。
でもそのご縁を繋いでくれるのは
出会いであり人でありご先祖様であり
与えられた身体をはじめとした自分自身。

改めてご縁と身体に、
そして出会いに経験に感謝しつつ
全身全霊で観に来てオーラを出しまくります
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