先日当ブログで「<閑談>「桜を見る会」と「沢尻エリカ逮捕」」という記事をアップしたところ、「さぶのブログ」のさぶさんから、「その薬物を利用したために他人に危害を加えたという事じゃないでしょ?」「自分にとって本当の‘薬’と思って利用し、自分の活動にプラスに活用したのだと思います」「酒もたばこも違法になっていないだけで‘薬物’だと思います」「彼女は自分の為に‘薬’を利用して、良い活動を世の中の為に試みたのでしょう」などのご意見をいただいた。(ありがとうございました。)

確かに薬物犯罪というのは、他の犯罪とは少し毛色が違う。違反すると罰せられ、悪質な場合や何度も捕まると刑務所に入れられるという面では同じなのだが、何となく罪として軽いような気がする。

一例を挙げると、北海道には野生で大麻が生えているところがあるという。散歩していると道端に大麻を見つけるかもしれない。そこで、葉を一枚摘んで家に持って帰り、乾燥させて吸うとしたらどうだろうか。誰にも迷惑をかけていない、被害を与えていない、健康にも問題ない、金もかからない、気分は良くなる、音楽家であればインスピレーションを得て名曲を作曲し、それが多くの人を幸せな気分にするかもしれない。「百害あって一利なし」という言葉があるが、それと正反対の「百利あって一害なし」ではないか。どこが悪いのか。

おそらく、このような疑問に正面から答えるのはかなり難しいと思われる。そこで、二つの方向から考えてみたい。一つは薬物を使用する個人からである。

違法薬物を使用する時、それを使用する人はそれが違法であり、警察に捕まったり刑務所に入れられたりすることを知っていながら使用している。ここが一つのポイントである。酒やタバコ、コーヒーなどもれっきとした薬物であり、酒やタバコは体にも害があるのだが、大麻などと大きく違うことは、酒やタバコなどは違法ではないということである。

あなたが現在、仮に20歳前後の酒やタバコを始める頃の年齢であるとして、酒を飲み、タバコを吸うと警察に捕まって裁判を受けるという社会で生活しているとしたら、それでもあなたは酒やタバコをやるだろうか。おそらく、まだ酒やタバコの味を知る前であれば、絶対に使用しないはずである。なぜ使用しないかというと、そんなことで警察に捕まっているようでは、せっかくの人生を棒に振ってしまうからである。

つまり、違法薬物の使用者というのは、はっきり意識していなくとも、人生を台無しにしても仕方がないと思って違法薬物を使用しているのであり、その不健全さは法律がどうのこうのという以前に、人として放置しておけないところがある。ちょうど、自傷行為、例えばリストカットなどをしている人、もっと言えば自殺しようとしている人を放置しておけないのと同様である。

そんなことならば、いっそのこと薬物の使用は合法にすればいいではないか、大麻も覚醒剤も酒やタバコと同じ扱いにすれば、警察に捕まることや人生を台無しにすることもなくなり、問題は解決されるのではないかという考え方もできるかもしれない。そのような観点に対しては、社会の側から説明することになるように思う。

分かりやすいのが覚醒剤である。これは、昭和26年の法律で禁止されたものであり、それまでは誰でも薬局で購入して使用することができた。私の若い頃、職場の大先輩が「覚醒剤を射ったことあるよ。昔は徹マン(徹夜麻雀)していて眠くなると射ったもんだ。」と言っていたのを覚えている。

せっかく自由に使用できた覚醒剤が禁止されたのは、副作用が大きかったせいである。覚醒剤を使用すると気分爽快、意欲満々という状態になれるのだが、それは薬のまやかしであって、体には疲労が蓄積していく。覚醒剤が切れるとその疲れを一挙に感じてしまうので、常用するようになる。その結果、肝臓障害、精神錯乱などが生じて人として使い物にならなくなってしまう。それが禁止された理由である。

 

比較的最近では、合法ドラッグ、脱法ドラッグ、違法ドラッグ、危険ドラッグなどと呼ばれた新しい薬物を法律上どのように扱ったらよいかで議論が起きたことを記憶されている方もいるだろう。それらをどのように処理したらよいか迷った末に、放置しておくと青少年にそれらの薬物が蔓延してゆき、事故も起きることから、法律で禁止せざるを得なくなった。

 

そのような社会的観点から薬物を禁止し、禁を犯した者には罰を与えることで実効性を持たせているのだが、禁止するかしないかでボーダーライン上に位置する薬物もある。その代表が大麻であり、国によっては合法のところもある。これは線引きの問題であるから本質とは別問題であり、どこに線を引こうがはっきり割り切れない境界線上のものが出てくるのは止むを得ない。だからといって線を引かないわけにはいかない。

覚醒剤にしたところで、使った回数は少ないし、誰にも迷惑かけていないし、自分の体も元気であるという人はいる。だから無罪にしましょうという考え方が論理として完全に間違っているわけではない。しかし、社会全体に対して法律を適用していくことを考えると、事情を問わず全面的に禁止して、覚醒剤を使用しながら元気に社会活動を行っている人にも罰を与えざるを得ない。副作用の出た人だけを罰するのでは人々の理解を得られないからである。

そのように割り切れない部分が残るならば反対方向に考えて、いっそのこと酒もタバコもコーヒーも紅茶も、薬物は全部禁止にしてしまったらどうかという考え方もないわけではない。実際問題、アメリカでは1920年から1933年まで禁酒法が施行された。しかし、良かれと思った法律のせいで社会がかえって混乱することになり、禁酒法を廃止せざるを得なかった歴史がある。

要するに、社会を成立させていくために一番流れがいいように法律を定めているのであって、個々の薬物の害悪やそれを使用する個人の事情などを考慮に入れて、一つ一つに論理的な整合性を持たせて制定しているわけではない。そのため、その薬物が本当に害があるのか、誰かに被害を与えるのか、薬物使用のメリットはないのか、その薬物を使う人は罰しなければならないほどの悪人なのかなどを突き詰めていくと割り切れない部分も出てくる。

そんな曖昧な部分が薬物の取締りにはあるのだが、とはいえ、法律に違反して捕まると否応なく厳罰を受ける。気の毒な気がしないわけでもない。特に沢尻エリカなどの場合は、美人だし可愛いし、一流スターだし、今回の件で芸能人としての生命を断つのは可哀想な気もする。

 

ただし、違法薬物で逮捕されて有罪になった場合には、芸能界に限らず厳しい処分がある。医者や弁護士、公務員や会社員なども資格剥奪、懲戒免職などの処分となり、復帰は不可能、ないしはきわめて難しい。芸能人だから特別厳しい扱いをされているということでもない。

さて、こうして長々書いているが、すっきり割り切れる結論は見出せそうもない。ただ、一小市民として言えることは、お互いの平和のために罰則のある法律は破らない方がいい、破ってもいいのはせいぜい反則金で済むスピード違反くらいのものでしょう(それとてショックは大きいが)という程度だろうか。