― 風林堂 ―

 

 黙々と山道を下りて行くシヌの後ろについて行った先は、見学の初めに見た道場だ。

 だがそこに居たはずの堂徒の姿はどこにもない。

 

 「堂徒はいいのか。」

 

 ガランとした道場に立ち、テギョンはシヌに訊く。

 時は経っていたが、堂徒の数を考えればまだまだ鍛錬していてもおかしくないはずだ。 

 

 「ここは風林堂の道場だが、ここで修練していた彼らは、まだ風林堂の堂徒ではない。

 風林堂の堂徒を目指す修行者と言った方がいいだろう。」

 (つまり彼らにはこの道場使用の権限はないと?)

 「ミナムの指導を見るのは、彼らにとって良い学びとなるはずだ。 なによりファン宗主の鍛錬を見る事は、縹炎宗に向けられている目を変えるきっかけになる。

 道すがら縹炎宗の鍛錬の話を聞き、風林堂で身体を動かしたいとの申し出があるかもと言ってはあったが、道場を空けたのは彼らがファン宗主を見る為だ。

 それで何をさせるんだ。」

 

 シヌはミナムを見て言い、テギョンは窓や戸口に目をやる。

 そこには中を覗く幾つもの目が、押し合うように並んでいて、テギョンはシヌの意図を理解はしたが口を絞ると僅かに突き出した。

 テギョンは、指導は苦手で面倒な事もあって縹炎宗の宗徒にも指導などした事はない。

 ミニョを鍛えようとしたのは命に関わる事だからだ。

 守るだけでは防げない事態も、鍛えておく事で命が助かる可能性は広がる。

 それに斐水門の門主が親なら、男として育てた娘を鍛えていないはずがないとも考えたからだが、ミニョの武術は剣術と共に未熟だった。

 とはいえ、それとシヌの意図を踏まえる必要はテギョンにはない。 ここでの目的はミナムだけだ。

 

 「ミナムが覚えているかだが、縹炎宗で教えた型をさせる。」

 

 言うなりテギョンはミナムに顎でやってみろと指示を出すと、自分は上座中央に足を投げ出して座った。

 相変わらず、宗主の佇まいというものには興味がないようで、その姿は炎の如き猛々しさというよりも、静寂、それもただ静かというよりも艶めかしい静かさという矛盾したものを感じて、ミナムは自分の不謹慎さ加減に目を背けた。

 それから少しばかり不満そうな顔で、仕方なくテギョンの前に進み出る。

 

 (この様子なら烈火の如く怒るって事はないだろう。)

 

 ミナムがそう思ったのは不安だったからだ。

 それを習ったのはミニョであって自分ではない上に、旅に出る前の古い記憶だ。

 頭で覚える事と違って、身体の記憶は動いてみないと分からないのだ。

 ミナムはテギョンに一礼し、細く長い息を吐きだしてから一つ目の型に動き始めた。

 

 (一の構え、二の構え、三、四・・・・・・意外と覚えている。)

 (十、十一・・・・・・十二、幾つまであったっけ。)

 

 頭の中で型を追いながら動いていると、「止め!!」と、テギョンの大声が飛んできた。

 ミナムには止められた理由が分からない。

 何って顔でテギョンを見ると、冷ややかない目がミナムを見たまま、その整った口が「いーち。」と動く。

 ミナムは慌てて一の形をつくった。

 

 「膝、腰、背・・・・・・二(にー)。」

 

 ミナムは声に合わせて形を直したが、テギョンは気に入らないようで『二』の後にまた『一』と言われてしまう。

 それだけじゃない、今度は立ち上がって近づいたと思うと伸ばしていた手を引っ張ったから、ミナムはそのままよろけてしまった。

 

 「もう一度。」

 

 見下ろす冷ややかな視線と盛大なため息、その後で落ちてきた声に何も言えずに立ち上がる。

 だが一の構えを形作るミナムに、テギョンの手が容赦なく飛ぶ。

 

 「膝!」

 

 肩を抑えられて重心が下がる。

 

 「重心の移動ができてない、腰をもっと落とせ。」

 

 さらに膝を曲げ腰を落として動き続けると、内ももが震えてきた。

 

 「何が悪いか分かるか。」

 

 テギョンはシヌに向かって訊く。

 

 「足腰が弱い、だがそれは・・・・・・」

 「ドンジュン、五の型までなら覚えただろう。

 やってみろ。」

 

 シヌの言うのを遮って、テギョンはドンジュンに声を掛け、ドンジュンは慌ててミナムの横に立ち、今見たばかりの構えを形作る。

 それを見ながらテギョンはシヌに小声で言う。

 

 「女の身体だから、そう言おうとした、違うか。」

 

 分かってるって顔のテギョンは、ドンジュンの動きに目を細めている。

 

 「俺も最初はそうなのかもと考えた。

 だがこれは斐水門の特徴のようだ。

 足腰が弱いのではなく使い方が違う、これは水の中で動くからなのかもしれない。」

 

 テギョンの指摘にシヌも確かにと思い、これは鍛えるだけの型ではないのかと考える。

 

 「逆に風林堂は、修行を始めたばかりの者でも五の型までは容易くできるはずだ。

 五までは簡単だからこそ相手の技量が図れる型にしたからな。」

 

 これにはシヌも小さく感嘆し、テギョンは手足を放り出して座り込んだミナムに目を細める。

 

 「ミニョにも同じ指導を?」

 

 シヌはテギョンに訊き返した。

 技量を図り、どのような鍛錬が必要かを見極めての指導は宗主の能力を示すものだが、ミニョにもこのように厳しくしたのかと思ったからだ。

 テギョンは答える代わりに頷くと、起き上がってミナムの所に行き、襟首を掴んで引っ張り起こした。

 

 「最後までやりとげるか、それともあの石段を十往復するか。」

 「なんで僕ばかり。」

 

 ミナムは嫌だとばかりにまた座り込む。

 

 「できてないからだ。」

 

 上から落ちてくる淡々とした声に、ミナムは益々結んだ口を突き出した。

 

 「ならやり方を変えよう。

 型をしながら俺が出す手を五手かわす事ができたら終わりにするのならどうだ。」

 「五手、五手だけ?」

 

 ミナムの目に希望の光が宿ると、テギョンの顔が僅かに歪む。

 

 (えっ 判断を間違った?)

 

 ミナムがそう思ってしまうほど、テギョンの顔は悪い顔に見える。

 だけど五手なら何とかなる気がするのだ。

 ミナムは最後の力を振り絞るように立ち上がると、一の型から動き始めた。

 その周りをゆっくりと回りながら、テギョンが一歩踏み出してミナムの肩に手を伸ばす。

 それほど早くない動きだから、ミナムでも簡単に避けられる。

 だが次の習慣、重心の位置が変わった事で平衡感覚を失って尻もちをつくようにすっころんだ。

 そこにテギョンの手、正確にはテギョンの指一本がミナムの額に触れる。

 

 「どうする、立ち上がってやり直すか。」

 

 手を引き戻して言ったテギョンは、無表情なのに笑っているように見える。

 反対にミナムは悔しさが溢れた顔で、勢いよく立ち上がるとまた最初からやり直す。

 次は、次こそは絶対に避けて見せると意気込んでは、何度も繰り返し倒される。

 前から横から、それほど素早い動きではないにも関わらず肩を突かれ、足を払われ、ミナムは一手も避ける事ができない。

 

 「無理、こんなの無理だよ。」

 

 息を乱してミナムが投げ出す。

 

 「ヒョンニムにだってできないよ、絶対にね。」

 「俺ができたら石段十往復だぞ。」

 

 ミナムの頬がプクリと膨らんだ。

 それでも絶対に無理だと思えて、いいよと簡単に頷いてしまう。

 今度はテギョンが型に合わせて動き、ミナムが攻撃を仕掛ける側だ。

 気合いは十分、手首を回し肩を上下させて準備をすると、勢いよく手を出した。

 だがその手は簡単に避けられてしまう。

 軽々と容易く、馬鹿にしたように見えるその顔も、実際は無表情なのだが、今のミナムにはどこか飄々としているように見えてしまう。

 

 (なんだか頭にくる。)

 

 ミナムは続けて手を出したが、それもサッと避けられてしまった。

 

 (ウー なんでだ。)

 

 次は頭を使う。

 これまではやみくもに手を出したが、型の動きは知っている。

 今度は慎重に先を読んで、次の動きで右脇が空くからそこを目がけて今度こそという思いで手を出した。

 なのにそれすらも分かっていたように避けられて、ミナムは宙に浮いたままになってしまった手を握り締める。

 テギョンは何もなかったように動き続け、ミナムは膨れた頬で肩を落とした。

 すると横からシヌの手が飛び出してきた。

 

 とっさの事だったし、それもゆっくりとした動きではなかったからか、テギョンは避けるのではなくシヌの手を片手で受け止めた。

 何が起こったのかとミナムが目を丸くする。

 シヌは休むことなく手を出し続け、テギョンは紙一重で避け続け型の構えどころではない。

 それでもシヌが一呼吸置く間には形作る事を忘れないのだから、ミナムは膨らませた頬を窄めてヒューと息を吐く。

 テギョンはただ避けるだけでなく、シヌの手を受ける事でかわしたりもして、繰り出されるシヌの手をことごとく受け流していく。

 

 (ああ、こう言う避け方もあるのか。)

 

 ミナムはテギョンとシヌの攻防を見ながら、次にやる時の参考にしようと考えた。

 シヌは手だけでなく、足も使って容赦なくテギョンを攻めたが、彼は軽々と飛んだり片手で側転したりとミナムが想像もしなかった避け方でかわしていく。

 その内に、ミナムはシヌのあまりの真剣さに別の疑問を抱き始める。

 

 (シヌヒョンはなんで? 僕を可哀そうに思った?

 だからってあそこまでする? 

 それとも別の理由がある?)

 

 どれほど考えても、この答えを知る事はできない。

 テギョンの表情に変化がなければ、シヌの表情も変わりない。

 なによりこのままでは終わらない。

 となればミナムにできる事は一つだけだ。

 

 「分かったよ、分かった! 僕の完敗、認めるよ。

 これからはヒョンニムの言う通りの事をする、だからシヌヒョンも・・・・・・」

 

 もういいよと言おうとしたミナムだったが、シヌの全身からは止める気はないって空気がビンビンに伝わって来て、そこでミナムは言葉を飲み込んでしまった。

 

 一方シヌは少しばかり意地になっていた。

 かわされる事は想定していたが、こうもあっさりと一手も突く事ができないのは、シヌの自尊心に火を点けられたようなものだ。

 だからといって感情的になっているかと言えば、そこはすこぶる冷静だ。

 テギョンの動きに呼応して、繰り出す手はますます速さを増してはいたが、そこには悔しさや苛ただしさ以外に、どこか楽しさに似た思いがあったのだ。

 シヌにとってテギョンは初めてできた好敵手であり、越えられない壁のようでもある。

 

 (楽しんでる?)

 

 もしかして、まさか、そんなはずは・・・・・・

 

 (でもやっぱり楽しんでる?)

 

 二人を見ながらそんな考えがわいて来たミナムは、何故だか面白くないという感情に包まれる。

 シヌほどの能力が自分にはないのだから仕方がないが、どうにも面白くなくて口が歪む。

 

 (だからってこれほどの攻防は宗家には必要ないだろう。

 つまりシヌヒョンは僕に見せつけてる?

 これくらいできなければヒョンニムの相手は無理だって言いたいのかも。)

 

 そう考えると、ミナムは何故かテギョンをシヌにとられる、そんな気がしてしまった。

 

 「そこまで!!!」

 

 どうしてそんな気がしたのかは分からなくても、ミナムは二人の間に割って入って声を上げる。

 

 「二人がすごいのはもう十分に分かったから。

 ヒョンニムの言いたい事も・・・・・・すぐには無理だけどこれからは真面目に取り組むよ。 それで、・・・それで今日は終わりにしよう・・・・・・だってこの後まだ弓も残っているんだよね。 

 それでもって石段を往復したら、ゆ・・夕餉を食べ損ねるよ? ヒョンニム。」

 

 ミナムはこれまで以上に『ヒョンニム』の言葉を甘えるように言い、テギョンはそんなミナムを嫌悪するように目を細めて見返すと、そのままジェルミやドンジュン、ジフンにも目を向ける。

 その目は明らかに『何をしている?』と言いたげな目だ。

 あれだけ激しく戦ったのにすでに彼の息は整い、先ほどまでの攻防の名残といったら、テギョンの大きく開いた襟元から覗く大粒の汗くらいだ。

 一見涼やかに見えるシヌも、額や首筋には汗が滲んでいて、きっとしっかり閉じた衣の内側ではたっぷりと汗を掻いていると思われる。

 もちろんミナムも顎につたう汗を手で拭っていて、来た時と変わらないのはテギョンが見た三人だけだ。

 

 いや、もう一人、テギョンはフニを見ている。

 フニは実力は伴わなくても宗士である以上、修行を怠らない事がテギョンとの約束だった。

 だがフニはフニである。 自分が俗物だと知っているし、子供の時から修行を積んでいないのだから、腕っぷしを多少鍛えたところで宗家の中では役不足だ。

 むしろ自分の役割は、この口とこの頭でテギョンの補佐をする事だとの自負がある。

 フニはつぶらな瞳を三日月のように細く丸めると、口元には心配と不安を浮かべ、手をすり合わせてテギョンを見る。

 

 「湯あみはよろしいのですか。」

 

 これはテギョンを知り尽くしているから出て来る言葉だ。

 

 「山風の中で二刻もの間座禅を続け、冷えた身体に今度は大量の汗です。

 宗主がここにいる全員の事をお考えだというのは分かりますが、お三方は継承者でご自分の事はご自分で出来るはず、となれば残るのは私だけ、私だけです。

 ですが私よりもむしろ気がかりなのはミナムさんの方です。

 今からでしたら弓の修練後に湯あみも可能でしょう、ですがここで私なんかの修行にお付き合い頂いていては、湯あみの時を失います。

 夕餉の後にとなれば、お身体を流れる汗がべったりと纏わりつき、不快感この上ないだけでなくお身体にも障(さわ)るというもの。

 もちろん宗主は日ごろから鍛錬を積まれてますから、それでどうにかなるという事はないと思いますが、ミナムさんはどうでしょうか?

 見るからに鍛錬不足のお身体なのに、寒の体質なんですから、汗が引く時に奪われる熱の事も考えませんと。」

 

 フニは首を傾け、下から斜め上にテギョンを見上げた目をパチパチとさせて、いかにも心配なのですって顔で不安を煽る。

 テギョンは自分の状態を確認すると、ミナムを見てしばし考え、何も言わずにそのままスタスタと弓道場に向かってしまった。

 誰もが呆気に取られている中、この何も言わないテギョンの考えを読むのがフニだ。

 

 「ささ、今の内です。 サクッと終わらせてしまいましょう。」

 

 フニは茫然としているミナムに向かって言うと、そのままテギョンの後を追い掛けて行く。

 ほんの少し遅れただけなのに、すでに的に向かって立っているテギョンは、片腕を袖から抜いた半裸の状態で弓を引いていて、ピンと伸びたその背は、滑らかな筋肉に沿って流れる汗がキラキラと輝いて見えた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

どんだけ風林堂に時間かけるんだと、

自分で突っ込んでいます。滝汗

この辺りはミナムがミニョに戻る為の布石・・・

準備・・・みたいなもので、

シヌとテギョンの変化と、

ミナムとテギョンの変化も入れたかったの。

 

前にミナムがミニョに戻った時は、

テギョンと目が合ったミナムが川に落ちたからなんだけど、

ここはあらすじを考えている時点で、決めてあったの。

あらすじで決まってると楽なのよね、何よりかこの話だし。

 

でも今回のミニョに戻る場面は、

まだあれこれと思案中なんですよ汗うさぎ

あらすじでは簡単にミナムになる、

ミニョに戻るとしか決めてなくて、

どうミナムになるか、ミニョに戻るかは、

都度考えながら進めているのだけど、

ミナムになるのは、割とすんなり決まったの。

 

問題なのはミニョに戻るで、

これでミナムは最後だし、テギョンも関係してくるし、

で、ずるずると長引いてるの。

今日も内容はほとんど進まなかったけれど、

各自の小さな変化は描けたわ。

(週一のペースなので話しの方も進めたいんだけどね)

次回、ミニョに戻る最初のきっかけ場面が、

最後の弓の場面です。 ではでは、また来週照れ

 

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