― 風林堂 ―

 

 テギョンは自分の推測に漏れがないかを、迅速に黙考すると、そのまま思考しながら口を開いた。

 

 「光焔教事件は噂が少ない、それがずっと疑問だった。

 人の口に戸が建てられない以上、あれだけの事件があれば誰かが何かを口にする。

 たとえ箝口令を敷かれたとしても、何を見たか、何を聞いたか、何があったか、光焔教事件に直接関わりがないだろう事も、必ず誰かが口にしたはずだ、だがそれすらもない。

 という事は、それができない状況だったと考えた方が筋が通る。

 これは最初に出した結論だったが、引っ掛かったのは光焔の地が封鎖されたという話も聞かなかった事だ。

 だとしたら光焔の民はどこに行ったのか。

 三栗谷街道の山賊、鉄砲水の被害者だけでは数が合わない。 光焔出身者はもっといたはずだ。

 なら、それが一夜の内に消されたか、逆に逃げ出したと考えるべきなんだが、俺にはそのどちらも考えられなかった。

 消すには屍の始末をすることになるが、かなりの人数だ。

 焼けば匂いが立ち込めただろうし、埋めるにしても運んで掘ってと人手が必要だからだ。

 逆に逃げ出せたなら、箝口令に関係なく噂は残ったはずだ。

 とすれば、閉じ込められていたと考えるのが、一番自然だと思っていた。」

 「だだだだっ・・だったら、こここ光え光焔のたっ民は、どどどこ・・どこにいっいい行ったんだ。」

 

 珍しくジフンが声を上げ、テギョンはジフンを見て答える。

 

 「・・・・・・縹炎。」

 

 (縹炎!?)

 誰もが一瞬呆気に取られて目を見開く。

 それからさっきの山賊か盗賊まがいの奴らの事かと思うが、それも時期が違うと気づくまでの僅かな間だ。

 

 「考えてみろ、俺に頼んできた奴らは鳥のことを知っていた。」

 

 テギョンは、ここまで言えばわかるだろうって顔で言葉を切ったが、他の誰もが一向に分からないって顔で見返していて、テギョンは小さく嘆息する。

 誰か代わりに説明してくれる者がいないかとも思ったが、ここにフニがいても役には立たないのは分かっている。

 そもそもテギョンという男に思考を共有する習慣はない。

 考えて行動するのは常に一人でだったからだ。

 だから仕方なさそうにその重い口をまた開いた。

 

 「鳥の事を知っているのは、縹炎を調べたからだ。

 聞いた話という事だったから、当然奴らが調べた訳じゃない。

 鳥の探索からやっとの事で戻った後、縹炎を調べさせたって話を探させたが、宗家の名はおろかどこにもそんな話は見つからなかった。

 だから梅香楼でその話を聞いた時、初めて模諜枢教と縹炎の断片が結びついたが、光焔までは結びつけては考えなかった。」

 

 これなら分かっただろうとするテギョンに、ドンジュンが待ったをかける。

 

 「ファン宗主、どういう事か全く分からない。」

 

 これには言葉も出ないテギョンは、周りを見回した後で、シヌを見た。

 

 「あ~多分だが・・・・・・」

 

 シヌはテギョンの言った事が分からないわけではなかったが、疑問が残っていた。

 

 「最初に縹炎を調べた者は、光焔の民だと考えていると思うんだが・・・・・・、ファン宗主、宗主は光焔の民が縹炎に逃げ込んだと考えているのか。

 しかし教徒でもない者が、あの呪われた赤い砂地に行くとは思えない。」

 「逃げたんじゃない、行かされたんだ。

 家族が人質で、縹炎がどのような地か情報を持ち帰った者だけに家族の解放を約束すれば、誰だって進んで行くはずだ。」

 

 違うかとテギョンは首を傾ける。

 

 「そんな話はどこにも残っていない。」

 

 シヌは風林堂の情報網を信じていて、落ち着いて否定する。

 だがテギョンは勿論だって顔をした。

 

 「残っているわけがない、残っては困るからだ。

 今と違って三栗谷街道もなく、縹炎までの道もなかったはずだ。 あったのは山や谷を越える命懸けの道だけだ。

 行く者がいるなんて誰も思わないだろう。

 思わなければ誰も気にかけないし、目を向けない。

 あぁだから、考えれば考えるほど都合のいい案だ。」

 

 テギョンは思わず独り言(ご)ちる。

 

 「人が歩けば道ができる。

 一人や二人じゃ無理だが、十人、百人と踏みつけ続ければそこは道になる。

 つまり縹炎までの道を作ったのが光焔の民だ。

 彼らは聞かされていたはずだ。

 縹炎は赤い砂が異様に見えても、それ以外は何もない所だと。  

 だから遠巻きに眺めるだけなら、ただの未開の地に過ぎなく見えるからな。  

 もし何も問題がなく安全だと分かれば、開拓も可能だ。  

 逆に危険があるならそれはどのような危険かを知る必要があった。

 獣かそれとも風土に根差した事か、その報告を待って次の手を考えられるからだ。

 その為には情報が必要だが、未開の地に足を踏み入れる事には危険が伴う。 危険が伴う以上配下を何人も送り込めない、だから使い捨てにできる者が必要だった。

 たとえ襲われることがあっても問題ない命・・・・・・

 いやむしろその方がよかったのかもしれない。

 縹炎で命を落とせば、骨さえも残らないからな。」

 

 テギョンはこの推測を確信を持って言ったが、ジェルミは違う。

 

 「まるで見てきたように言うけど、それは憶測に過ぎないよね。

 それって模諜枢教を陥れる為じゃないの。」

 

 苛立たしげに言うジェルミにテギョンはゆっくりと目を向けた。

 この問題はジェルミが生まれる前の事で、ジェルミを責めたい訳じゃない。

 だが、知らずにいるべきではないではないとも思う。

 模諜枢教の継承者である以上、関係ないとは言い切れないからだ。

 

 「なら考えてみろ。

 税の疑惑、消えた帳簿、解明されずに封じられた光焔教。

 民が消えてもそのままにしたのはどこの宗家だ。

 誰も知らない縹炎の化け物をおまえに教えたのは誰だ。

 生活すらもままならない辺地に、税を要求しているのはどこの宗家だ。

 これにあと何があれば、憶測でなく推測にする事ができると言うんだ。」

 

 テギョンの問いにジェルミは口ごもったが、引き下がれずに抵抗する。

 

 「ぐぐ偶然かもしれないだろ、絶対と言い切る証拠はないだろ。」

 「確かに証拠はない。

 だからおまえに認めろと言うつもりはない。

 だが模諜枢教が関わっている以上、おまえは向き合わなければならないんじゃないのか。

 当時、何があって何が隠されたのか、なぜ光焔教の事件が光焔全土に関わったのか。

 大勢の命が絡んだ事件で、二度と繰り返さない為には明らかにするべきだとは思わないのか。」

 「そっそれは・・・・・・」

 「そもそもが他宗家の事には口出さないという掟が、事件を闇に葬り、コ・ミニョを軟禁させたんだ。」

 

 ミニョの名を出されると、ジェルミはますます何も言えなくなった。

 重い沈黙が本堂を包んでいた。

 光焔教とコ・ミニョを結びつけるのは、少しばかり飛躍し過ぎとも思えたが、間違っているとも言い切れない。

 しかしそれをここで論じても、解決には向かわない。

 光焔教事件は済んでしまった事で、コ・ミニョはミナムとなってはいるが今ここに居る。

 ただ確かにこの若い宗主の言う事は、よく考えなければならない事だと思うに至った。

 カン堂主は思慮深く頷いた後でコホンと一つ咳払いをして、中断してしまったテギョンの話を戻そうとする。

 

 「それで、水や木がどうして全滅に繋がる。

 むしろ生き延びる事ができると思うが・・・・・・」

 

 これにはテギョン以外の者がハッとした。

 この中で唯一カン堂主だけが縹炎の赤い砂漠を見ていないのだ。 だから、普通ならそう思う事なのだ。

 

 「毒・・・・・・」

 

 聞こえてきたドンジュンの声にテギョンは頷く。

 

 「何も育たないはずの縹炎の砂、その砂に溜まった水。

 その水を飲めば、即座に命を落としたはずだ。

 水を飲まなくても草や花は邪気を放っていただろうからな。

 誰もが希望を持ってそこに駆け込んだはずだ。

 そしてまず水を飲んだ者が苦しみ、次に休んでいただけの者が肺を侵されて息絶えた。」

 「それを見たのかね。」

 

 カン堂主は疑っているわけではなかった。

 だが余りに荒唐無稽な話に思えて、にわかには信じ難かったのだ。

 そしてテギョンが頷くと今度はジェルミが言い返した。

 

 「でも、ファン宗主はここに居る。」

 

 そこで死ぬなら生きてここに居るテギョンは、それを見ていないって事だ。

 

 「俺は近づかなかった。 

 確かに足を踏み入れようとはしたが、近くに化け物がいない事を不審に思ったんだ。

 あの縹炎の砂地を歩いたんだから分かるはずだ、日陰のない砂地がどんなものか。

 化け物だって水は飲むはずだ、日陰があれば身を休めるはずだ。 それが全く見当たらない。

 だからすぐにその場を離れた。」

 

 テギョンは思い出すように目を閉じる。

 

 「離れる為に、とにかく歩き続けた。

 だが目印となる物はなく、方向さえも分からなくなっていた。」

 

 脳裏に浮かぶのは延々と続く赤い砂。

 歩き続けて、疲れを感じていても休むことはできない。

 砂に足を取られないよう気を付けながら、流砂も注意しなければならない。

 こんな所で砂嵐に巻き込まれれば、終わりだとも思う。

 日除け、砂除けに布を頭からかぶり、一滴の水を望みながら荒れた息で歩き続け、それが目の前に現れた。

 

 「赤い砂の上を彷徨い続け、突然それが現れた。

 ・・・・・・石の檻だ。」

 「石の檻?」

 

 声に出した者、心の中で呟いた者、誰もが頭の中にそれを想像しようとした。

 だが実際に見ていない者には、砂地に岩か巨石が並んでいるくらいにしか想像できない。

 そして、なぜ檻だと思ったのか、見間違えたんじゃないか、それこそ幻覚だったんじゃないかといった考えに至ってしまう。

 「どうしてそんなところに檻が?」と訊く者がいれば、

 「何の為の檻なのか?」と問う者もいる。

 だがそれは、テギョン自身がその場で自分に突き付けた問いだ。

 

 どうしてこんなところに檻が?―――

 違う、檻だけじゃない、縹炎の中でもここは異様だ。

 あの化け物は、何故ここにだけいるのかと、さらに疑問が広がった。

 ならこれは何の為の檻なのか?―――

 中に人の骨でも転がっていたなら、化け物の食糧くらいには言えただろうが、檻の中は空っぽで、周りにも痕跡は何もない。 血の跡さえないのだから、何の目的で誰が立てたものかも分からない。

 ただその大きさから、遠く離れていても見えたはずだが、近づくまでまったく気付かなかった。

 それはあの鳥もそうだし、あの水源地もそうだ。

 

 今より若かったテギョンは、縹炎に住んではいたが縹炎を知っているわけではない事は分かっていた。

 ここはとんでもない地で、だから案内も渋ったのだ。

 だからこれも、縹炎の分からない事に入るだけで、さらに言えば分からなくても困らないし、別段知りたい事でもなかった。

 あの化け物たちと同じで、何故いるのか何故そんな姿なのかを考えたところで意味がないのと同じだからだ。

 そうしてテギョンはすっかり忘れていたのだ。

 

 だからテギョンには、問われた事に説明のしようがなかった。 そして彼は口を結ぶ事には慣れていた。

 

 「説明が難しいのなら、描くという手段もある。」

 

 おもむろにカン堂主がそう言うと、テギョンは珍しく慌てた様子でダメだと首を振る。

 だがカン堂主は、堂徒に墨と硯、そして紙と筆を用意するよう言い、周りからの集中する視線にテギョンは諦めたように額に手を当てて嘆息する。

 堂徒はテギョンの前に文机を置くと、紙を文鎮で押さえ、墨と硯を配置すると筆をテギョンの前に差し出した。

 仕方なく筆を手に取ったテギョンは、サラサラと迷うことなく手を動かして書き上げていく。

 しかしそれを見た誰の目も、点になって困った顔に変わった。

 あの何にも動じないテギョンが、あれほど慌てた理由が分かった。

 

 「ヒョンニム、これって絵?」

 

 誰も言い出せないでいる中、そう言ったのはミナムだ。

 一斉に誰もがミナムに目を向けると、寝起きらしく片目を擦りったミナムは、絵を指さすとテギョンに顔を向けて笑い出した。

 テギョンも笑うなって顔でミナムを見て「起きて早々言う事がそれか。」と返す。

 

 「だって、これって何の絵?

 下手な竹の絵にも見えなくはないけど、ただの線の練習って言うのがピッタリだよ。」

 

 言いながら墨を磨り始めたミナムに、テギョンは怪訝な顔だ。

 テギョンを見たミナムは小首を傾げてニコリと笑う。

 

 「うーん、まだちょっと残ってるけど、よく寝たから気分はマシになったよ。

 だから今度は僕が手伝う番だよね。」

 

 ミナムは手本にならない絵を見ながら筆を持ち、説明を待ってるって顔でテギョンを見返す。

 

 「石は白い。」

 

 テギョンは硯の中の墨を指さして言い、ミナムは磨ったばかりの墨に水を足して薄める。

 

 「円柱で高さは俺の背を優に超える。」

 「太さは?」

 「細くはない。」

 

 短い会話でミナムの筆が動く。

 

 「続けて。」

 

 迷うことなく筆を動かしながらミナムが言うと、テギョンは思い出そうと目を閉じる。

 

 「何本もある石は上部が弧を描いて別の石と繋がっている。」

 

 この説明だけでは意味が分からなかったが、幸いテギョンの絵があった。

 ミナムは想像力を使って描きながら、テギョンをチラリと見た。

 

 「ヒョンニム、昔はこんな大きな獣がいたのかな。」

 

 筆を置くと、ミナムは描いた絵をテギョンに見せた。

 そこには獣のあばら骨を伏せたように置かれた絵が描かれている。

 あまりに大きすぎて、部分的に見ていた時には気付かなかったが、改めてこうして見ると確かに獣のあばら骨に見えなくもない。

 だがこれほど大きな獣は見た事はなく、これが獣の骨だとも断定できない。

 ただ、何があってもおかしくないのが縹炎だ。

 テギョンはその絵をカン堂主に渡したが、それを見たからといって何が変わるわけではないと分かっていた。

 

 「縹炎は・・・・・・」

 

 言いかけて止めたカン堂主は考え込んでしまった。

 風林堂は宗家として確かに大家で、随所に情報を集める者を置いている。

 唯一、縹炎にだけは今まで一度も人を送った事がなかった。

 正確には、考えなかったわけではない。 ただ縹炎は風林からは遠く離れた地で、関わる事はないと考えていたから、まさかこのような物がある地だとは思いもしていなかったのだ。

 

 「縹炎はずっと閉鎖されていた。

 いつからなのか、何が居たのかも分からない。

 獣か魔物か・・・・・・それともこの世とは違う世界と繋がっていたのか・・・・・・

 分かっているのはあの地で戦があったのだろうという事。

 ただしそれが人間同士だったかは、これで分からなくなった。」

 

 テギョンがポツリポツリと呟くように言う。

 正直、今の今までは分からなくてもよかった。

 縹炎を知りたいと思った事もなかった。

 ただ居場所を求めて辿り着いた地で、その時は人が増えるとは考えもしていなかった。

 だがそれが、ミニョが現れて一変したのだ。

 カン堂主も思いもしない話に混乱していて、ゆっくり考える時が必要だった。

 

 「ミナムも起きたようだし、先に風林堂を案内させよう。」

 

 絵を文机に伏せたカン堂主は、堂徒を呼び、昼餉の手配と部屋への案内するよう指示し、テギョンたちには荷を置いたらここに戻って来るように告げた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~ 

うわ~更新されたなかった、焦った~!!

朝から最後の推敲してて遅れてたんだけど、

更新したつもりで閉じてしまっていた。

気にかけてくださっていた方がいれば、ごめんなさい。

 

やっと過去からの遺物、石の檻が出てきました。

ここはもともと回想録のように描く事も考えたんですが、

やたら長くなってしまう事もあってこっちにしたんだけど、やっぱり長くなったわと言うのが今日の感想です。滝汗

 

でもこれで縹炎は危険地帯と風林堂に認識されたので、

この縹炎深部の話はここで棚上げして、

本筋に戻りますよ。

 

この深部は、番外編で書けたらいいなくらいに思ってるんですが(それもあって回想録にしなかったんだけど)

まだどうなるか手探り中。

 

斐水に向けて出発と言いたいのだけど、

まだもう少しこの風林で騒動が起きます。

 

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