― 風林堂 ―
フニとは別々に案内されたヘイは、部屋に入るなり案内してきた女堂徒にミナムはどこの部屋になるのかを訊いてくるよう言いつけていた。
困惑顔をしながらも、「確認してまいります。」と出て行ったから、すぐに戻ると思っていたのに、待っても待っても、戻ってこない。
待ちきれなくて本堂に行く事も考えた、だけどあの本堂は縹炎宗の六角堂と同じできっと門前払いをされるはず、だったら姿を消して入り込むという手もあるが、どうでもいい話を延々と聞くのだけは避けたい。
(それにこっそり行っても口は挟めないもの。)
それで我慢して待つ事にしたが、やって来た老齢の女堂徒は、まさかのミナムとテギョンの同室を伝える。
呆れてしまって口は開くし、厳正な風林堂なら正式な性別で判断しないのかと悪態を吐きたくなる。
「知らないだろうけど、ミナムと名乗ってる男は、本当は女なのよ。」
ヘイは、老齢の女堂徒に向かって言うとすぐにも出て行こうとする。
「存じています。
私が面倒を見ていた時がございますから。」
女堂徒はとても丁寧に、そして穏やかな口調でそう言ったから、ヘイは立ち止まってだったらって顔を向ける。
「ミナム様は難しいお子様でした。
どなたにもお心を許されず、一見素直でおられるのに頑固な一面をお持ちで、人がおられるとお休みになれなくて、それでお小さいのに、私の隣の部屋でお一人でお休みになられてました。
そのミナム様が今、本堂で眠っておられるんです、縹炎宗のファン宗主のお隣で、ぐっすりと。
正直、私は縹炎宗など信じてはいませんでしたが、縹炎宗の宗主はミナム様のお心を開かれたようです。
だからカン堂主様もお任せする事に決められたのだと思います。」
彼女は老齢ながら背筋をピンと伸ばし、この決定を称賛するかのように僅かに微笑んだ。
「とにかく会談が終われば風林堂の見学ですから、それまではこちらでお待ちください。」
これにはヘイも怪訝な顔になるが、女堂徒は儀礼的にそう告げるとそのまま部屋から出て行ってしまった。
(ミナム様? 難しいお子、素直で頑固・・・・・・
いい加減で、お喋りで、ずるいだけの者が、ミナム様?)
ヘイにはその姿がどうにも想像できなくて考え込んでしまう。
考えればヘイが知っているのは水神の娘そのままのミニョで、子供の姿はどこにもない。
なにより子供の頃の事が、今の判断に関係してくるとは思ってもいなかったと、ヘイは部屋に留まって考え始めた。
一方カン堂主がテギョンの申し出を受け入れたのは、一つはテギョンが男だと断定した事だが、もう一つはドンジュンが止めなかった事にあった。
「ミナムは僕の言う事なんか聞きません。
でもファン宗主だけは怒る事ができるし、ミナムも従うんです。
ミナム云(いわ)く、ヒョンニムはミニョを助けてくれた。 だから恩返しに来た。
そう言うくらいなので、当然なのかもしれないのですが、僕はファン宗主に託しても大丈夫だと思います。」
ドンジュンはミニョの従兄だとカン堂主も知っている。
ミナムであっても妹のような存在には違いない事も分かっている。
だから彼のこの言葉は大きかった。
それにカン堂主はこれと似た事を、昨夜シヌから聞いていたのだ。
「ミニョとミナムではファン宗主の対応に違いがあります。 ありますが、それは男女の違いに対してで、それ以上のものは感じません。
私が見たファン宗主は、まず口数少なく冷ややかで、一見怠惰な名ばかりの宗主との印象でしたが、縹炎を出てからここに戻るまでに、冷ややかではなく無常なのだと思い直しました。
ミニョに対しては責任感、ミナムに関しては・・・・・・ファン宗主の方が引っ掻き回されて、人間味が表に出る事もありました。
ですが、総合的には状況判断の能力も、先を見越す力も、秀でたものがあり宗主を名乗るに十分な資質を持っていると思います。」
カン堂主は、自分の息子を疑ってはいなかった。
ただシヌはまだ若く、風林の外に出た事も多くない。
それを考えれば、人を見抜く眼力もまだまだ経験が乏しいと考えられる。
なにより彼が、人も住まない未開の地に縹炎宗を開いたのは、宗主になるのが容易だからとも考えられなくない。
言葉巧みに見せかけているだけかもしれないとさえ、思わずにはいられなかった。
だからこそ自分の目で見ようと思ったのだ。
だが今や、この若き宗主に対して嘆かわしく思う点は多々あれど、宗主としての人となりは信用できそうだと思い直した。
少なくとも、噂のような傍若無人ではないと、ミナムとの同室を認めたのだ。
これでカン堂主に残る問題は、先に質問した縹炎の深部、それこそが本当の姿かもしれない場所の話だ。
それはテギョンも分かっていたし、だからどう言おうかとも考えていた。
問題なのは、この話をして信じるとは思えない事だった。
僅かに突き出した口を左右に動かしたテギョンは、何から話すかとしばし考えてからその口を開いた。
「縹炎は至る所が赤い砂で覆い尽くされた地で、雨も少なく木も草も育たない、砂以外に何もない、一見ただの砂漠にしか見えない地だ。
だがその砂の中には多くの屍、骸が埋まっている。
ひとかけの骨になったものも、砂の一部となった亡骸もあるが、全ての魂が上天するわけじゃない。
縹炎は、上天せずに残った魂が砂の上を浮遊する地だ。
俺は端から端まで歩いたわけじゃないが、それでも縹炎宗を開いた場所は比較的新しい屍が多かった場所で、屍は新しければ新しいほど砂の中に残っている物も多い。
骨、着ていた衣や佩(お)び物があれば、供養をして鎮魂する事ができる。
そうしてどうにか浮遊霊を鎮めた場所に結界を張った。」
カン堂主の目が鎮魂の技をどこで学んだのかと動く。
「護符はどこででも目にする事ができる。
そこら中に貼ってあって、本物もあるが紛(まが)い物も多い。
あれは書かれている事の意味さえ分かれば、誰にでも書く事のできる物だ。」
それを聞いたカン堂主がテギョンを見据える。
(確かに霊符は書くだけなら誰でもできる。
ただしそこに霊力が宿っていなければ、それはただの紙に過ぎない。)
紙でしかない符に、鎮魂の力も結界の力もあるはずがないと、カン堂主は追及しようとする。
「霊力は・・・・・・」
「見よう見まねで初めて書いた符は、縹炎で必要に迫られたからだ。
見知らぬ霊に憑依されるのは嫌だから、なんとか霊を払おうとした。
最初は小さな空間で、それを少しづつ広げていっただけで、試行錯誤はその都度したが、切羽詰まればなんとかなる。」
「殺生門の結界を破れるほどにか。」
カン堂主がこういうのには意味がある。
護符は剣術とは違い、導く者がいなければたとえ切羽詰まっても書けるものではないからだ。
「符は感性で書く。 と言っても俺の符は人ではなく霊に対してで、風林堂とは全く違う。
だから穴を開けるつもりが、門の結界を壊してしまったんだ。」
ここまで話して、テギョンはこめかみをポリポリと掻いた。
「縹炎は誰でも入ってこれる。
今でこそ減ったが屍を抱いた者、逃亡者、それを追い返せば縹炎では命に関わる、だから誰でもやって来る事ができるようにしてあった。
縹炎宗を開く前、二十人程の男たちがやって来た。
格好は山賊や盗賊だが、手にしていた剣や弓はどれも同じで、見た限りガラの悪い兵のように見えた。
奴らは金を出すから縹炎を案内してほしいと言い、俺はその場で断った。
周りは砂地で何もない、山は危険だが案内の必要はない、行きたければ好きに行けばいいと言ったが、奴らは諦めなかった。
その頃の縹炎は今よりも何もない所だった。
奴らは、『鳥を捕まえに来た。』と言い、俺は空を指さした。
次に、『地上にいる鳥だ。』と、金が増やされた。
自給自足のできない縹炎で、怪我人、病人、逃亡者と、日を追うごとに人が増えていて、住む所に食糧、そして着る物も必要で、結局俺は金と引き換えに、その仕事を受けた。
ただし、何が起きても手は貸さない事を条件にだ。
・・・・・・その時は気付かなかったが、今からすれば、あれは模諜枢教の教徒だった。」
この発言に過敏に反応するのはジェルミだ。
なんでもかんでも模諜枢教の名を出すなんてと、そう言い切る理由をテギョンに問う。
立ち上がり、興奮し声を震わせながらも辛うじて抑制している。
逆にテギョンは落ち着いていて、ゆっくりとジェルミに目を向けた。
「ジェルミが自分で言ったんだ、砂の中で泳ぐものや、足が大きい化け物の話を。」
テギョンは忘れたのかって顔を向け、ジェルミはそれが?と怪訝な顔だ。
「それを知る者でなければ、鳥のことを知るはずがないからだ。
縹炎の中でもそこは多分特別な場所だ。
確信はないが縹炎がああなのは、この場所によるものかもしれないと思う程にな。
奴らは案内と言って来たが、一面の赤い砂に道はない。
だが、何故だかその鳥が現れる場所が、化け物への入り口だったからだ。」
テギョンはかつて見た光景を思い出そうと、天を仰ぎ目を閉じる。
「鳥は、まずその大きさで目を引く。
それから極彩色の鮮やかな羽に目を奪われる。
尾は長く、つがいで戯れているかのように寄り添っていて、凶暴には見えない。
それまでひたすら続く赤い砂と、繰り返し襲ってくる砂嵐以外に何もない世界を歩き続け、足を踏み入れたがる者などいないだろう死の世界を歩き続け、突然その鳥が姿を現す。
赤い砂の上にいて、この世のものとは思えない美しい鳥から命を感じ、言葉もなく、誰もがただ口を開いて見惚れてしまう。
だが、しばし見惚れて目的を思い出した。
奴らの中から数人が、一歩また一歩と慎重に近づいても、鳥は鳴く事も暴れる事もない。
一人が、大きさに惑わされて用心し過ぎたとばかりに縄を持った手をやにわに伸ばした。
刹那、男の悲鳴が砂の上に響き渡る。
嘴(くちばし)が男の目を啄(ついば)んだ。
周りの男たちがとっさに剣を掴んだが、目的は捕獲だ。
縄や網も手放さず、なんとか捕まえようとしては広げた羽がはばたくたびに、風に払われ横倒しにされる。
止めろと言ったが、奴らには聞こえなかったか、聞く気がなかったのか、倒れては立ち上がり、捕まえようと格闘しては倒され続けた。
俺は距離を取り、ただそれを見ていた。
その内に、一人また一人と倒れてもすぐに立ち上がれない者が出て来た。
欲見ると砂の中の虫が襲っていた。」
「砂虫。」
思わずドンジュンが、あの不気味で不快な姿を思い出して身震いしながら呟いた。
だがテギョンははっきりと首を横に振る。
「いや違う。 砂虫は噛み付き、肉を引きちぎって喰うが、それは砂虫よりも小さく、人の身体に入り込んで中から喰い荒らす。
あいつらの好物は人間の臓腑だ。
肝、腎、腸や心の臓と臓腑を無数の虫に喰われる死は壮絶だ。
砂の上をのたうち回ってもがき苦しみ息絶える。
だが息絶えた方がまだマシだ。
なまじ息があれば、鳥に容赦なくその目玉を餌とされ、さらにはその他の捕食生物に噛み付かれる事にも耐えなければならないからだ。
息があろうとなかろうと、肉は喰い尽くされ、俺の目の前で、奴らはあっという間に姿を消した。
そうして一刻と待たずに砂煙を立て波立っていた砂は動く事を止め、鳥は見つけた時と同じように二羽が並ぶ。
俺はしばらくそこに止まって、様子を伺い戻ろうとした。
そこで見たのがその化け物だ。
それらはかつて人だったのか、それとも獣だったのか、何があってこのような姿をしているのか、これも神が作ったものなのかと思う程、それらは奇異で異形でおぞましい姿で、歩いていた。」
「歩いていた。」
誰かが訊き、テギョンが頷く。
「俺は近づかなかった。 近づかなければ問題は起こらなかった。 だから本当に恐ろしいのはそれらじゃないと気が付いた。」
「それらじゃない?」
そう訊き返したのはカン堂主だけじゃない。
「じゃあ何が・・・・・・」
「どんな・・・・・・」
口々に問うがテギョンの口は重い。
「形は、・・・ない。 いや、ないわけでもない。
木々だったり花だったり水だったりする。」
誰もが顔を見合わせる。
それはこれまでの話と違って普通の事のように思える。
多分に化け物から逃げるのに必死で気付かなかっただけで、きっとかなり遠くまで動いたんだと考える。
「忘れるな、そこは縹炎で砂しかない地だ。
そこに突然、木が姿を現すんだ。
緑豊かで木は影を落とし、花は甘く香り、どこからともなくコンコンと湧き出る水の音がする。
砂嵐の中、永遠とも思える砂地を歩き、化け物からも何とか逃げ切って、それを見たら人はどうする?」
「どうするって、決まってる。
水を飲み身体を休め・・・・・・」
「そうだ、誰もがそうする、そうしたくなる。
・・・・・・だから光焔は全滅したんだ。」
テギョンの言う意図が分からず、やはり誰もが怪訝な顔のままだ。
だが言ったテギョンも最初から分かっていたのではない。
そこはまさしく別世界で、足を踏み入れさえしなければ、気にする必要はないと深く考えずにいた。
これまでは忘れていたと言った方が近いだろう。
だからテギョンも、話しながら気が付いたのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~
やっと縹炎の話にもふれました。
ここはこれまでに2度かく機会を作って、
2度とも止めた話です。
1度目は冒頭、旅に出るところで案内する。
(その為に作り込んだんです、虫とか鳥とかね)
でもミニョ連れで、そんな危険な所に行くかと考えて即座に止めました。
2度目は梅香楼での交換条件。
ここで語らせることも考えたんですが、
どうにも中途半端になってしまう。
模諜枢教という手もあったんだけど、
こっちは話が盛りだくさんと言うか、
もしかしたら縹炎どころじゃなくなるかもなので、
やっぱりここだと
次回やっとミナムが起きます。
二日酔いの経験がない方は分からないかもですが、
酷くなると起き上がれません。
(私は一度経験しました。
もう二度と飲まないと誓って、三日後には飲んでましたが
何話もかけて書いてますが、まだほんの数時間で、
時間にしてお昼といったところで、
昔の何でもよく効く薬も飲んでますから、
(韓ドラ華ドラあるある)
そろそろ起きてもらって次に進みます。