― 狩り人の山道 ―

 

 日が落ち切ると辺りは一気に暗くなった。

 ジェルミたちが立てる小さな話し声の中、テギョンは幾度も寝返りを打ったが目を覚ます事はなかった。

 

 「寝るだけの事なのに、なんだか苦しそうだ。」

 

 ドンジュンがテギョンを見て呟くと、誰もがテギョンを見る。

 ヘイにとってはその何もかもが面白くない。

 テギョンは火神であり人間ごときが評したり、手を出してよい存在ではない。

 にも関わらず、こっそり薬を持った事も、こうして見下ろすように話す事も不敬でしかない。

 誰もがテギョンを見つめる中、ヘイだけはミニョのあざとい心配顔を憎々しげに見つめていた。

 しかし誰もヘイに気を留めてはいない、ただテギョンの穏やかな寝顔を見ながら、ドンジュンが漏らすように呟いた。

 

 「縹炎の宗主は残酷だって話だけど・・・あっ噂でだよ、うわさ。」

 

 言ってる途中でフニと目の合ったドンジュンが、自分が言ったんじゃないと訂正すると、フニは気にする必要はないとニンマリと笑う。

 

 「いえいえ、その噂を流したのは私ですから。」

 

 今度はフニに視線が集中した。

 フニはそれをぐるりと見返して、まるでテギョンがするように火に薪をくべた後で、盛大に息を吐いてから、ゆっくりとその説明を始める。

 

 「ファン宗主は・・・、来るもの拒まずと言いますか、どのような人であっても一旦受け入れるんです。

 勿論その後に悪さをすれば、前にもお話しした通り、ええ、罰します。 それも気が触れるんじゃないかって罰です。

 ですが、問題さえ起こさなければ何事もなく暮らしていけるわけです。 宗主がお決めになった事ですし、それは間違じゃない。

 確かにそれは間違ってはいませんが・・・・・・。

 でもね、縹炎ですよ。 問題のない者が来るわけがないんです。

 問題のあった者だけが集まって来るんです。

 屍の捨て場だった場所に、一縷の望みとやらで逃げて来る者が増える一方で、宗徒になりたいって者も、どうしてだかいましてね。

 資金のない宗家に、誰がどんな目的で?

 民にしても宗徒にしても、やって来る者の素性も分からない状況で、水や食糧だけがどんどん必要になっていったんです。」

 

 フニは再び大仰(おおぎょう)なため息を落として続ける。

 

 「当時はもっと大変だったんです。

 何もかも初めてなのに、水や食料を買うだけの金はなく、宗主は大地を清める事に疲れている。 

 だから、私が一計を案じるしかなかったんです。

 誰もが安易に来ないようにってね。」

 

 熱く胸の内を語ったフニは、今では懐かしい思い出のように言い終えた。

 本来、宗家を名乗る事自体は難しい事ではない。

 だが名乗ったところで仕事がある訳でもなければ、税からの支給がなされるわけでもない。

 だから大抵は、どこかしらの宗家、もしくは複数の宗家によって管理されている地で、仕事の一端を請け負うのだ。

 その為に必要なのが、人脈やコネであり、かなりの資金(賄賂)を必要とするが、それでもすでに構造があるそこに入り込みさえすれば苦労はない。

 功績を上げ、国にも宗家として認められれば、手当てまでも支給される。

 だが、それが基盤すらも整っていない所で、すべてを一からとなれば、その大変さは計り知れないし、縹炎はあのような土地なのだ。

 誰の脳裏にも同じことが浮かぶ。

 

 「ファン宗主の子供の頃の話は聞いたけどさ、どうして縹炎に行く事にしたのかって話はまだだったよね。

 縹炎に行く前の宗主って、どんなだったの。」

 

 口火を切ったのはジェルミだった。

 

 「そりゃあ名うての女たらしでしたよ。」

 

 フニの返事にみな目を丸くする。

 

 「と言っても色恋じゃありませんがね。

 宗主はあの通りのお顔ですから、言い寄るお相手には、事欠かなかったって話です。」

 

 フニは眠るテギョンに目をやって言う。

 

 「私が宗主と再会したのは、光焔の村で別れて三年後ですから、宗主がえっと・・・十五歳くらいですね。

 その頃の宗主は、あどけなさの中に愁いがあって・・・まぁあのような生い立ちですから、無邪気ではいられなかったんでしょうが、ある一定の年齢に達した女人にとっては、庇護欲を掻き立てられる存在だったのは確かです。」

 

 

― 十年前の斐水 ―

 

 うららかに晴れた船着場、斐水の都からはまだ遠く離れてはいるが、人通りも多く、斐水を出て行く者たちと斐水を訪れた者たちで活気に溢れ、笑い声があちらこちらから聞こえて賑わう、陽光に満ちた町だ。

 

 「おまえ!」

 

 マ・フニは見覚えのある剣に、それを持つ者の腕を掴んだ。

 思った通り、振り返った顔は成長してはいるがあの時の少年だ。

 元気だったかと少年テギョンの腕をバンバン叩くと、見開いた眼がみるみる細められていく。 どうやら彼も気づいたようだ。

 

 「・・・マ・・・フニ?」

 

 テギョンの口から出た名にフニは大きく何度も頷いた。

 たった一日、たった一晩の事なのに、今よりも少年だった彼が、自分の名を覚えていた事にフニは目を潤ませて抱きついた。

 

 「うわっよせ、何をするんだ!!」

 

 懐かしがるフニを少年テギョンが押しのける。

 名まで覚えてくれているのに? どうして? 責めるようなじっとりとした目で、フニはこの麗しく成長したテギョンを見つめ直した。

 少年と呼ぶにはすっかり大人びてはいたが、だからといってまだ青年と言えるほどではない。

 

 「仕事で忙しい。」

 

 短く言ったぶっきらぼうな物言いは、三年前と変わらず、フニの郷愁を誘う。

 光焔の村を離れたフニに、知人と呼べる人は一人もなく、だからなのかも知れないが、フニはそれを聞いた瞬間、彼の傍を離れたくないと思ったのだ。

 

 「仕事? 何の仕事・・です? 手伝いますよ。」

 

 フニの言葉に少年テギョンは怪訝な顔をする。

 

 「ほら、腕を救ってもらったって事は、命を救ってもらったようなものです。 これは言わば恩返しですよ。」

 

 フニは本心を偽ってはいない、郷愁も本当だ。

 ただそれよりもほんの少しだけ、この少年の剣術や度胸を見込んで、そのおこぼれに与(あずか)ろうって考えの方が勝っていたのも事実だった。

 しかしテギョンが言った仕事は、報告を残しているだけで、フニの出番は針の先ほどもない。

 テギョンはそれを伝えたが、それでもフニはテギョンの傍を離れようとはせず、三歩と空けずに後をついて来た。

 それをテギョンが許したのは、今から行く先が関係していて、つまりはフニにとっては、ただ運が良かったと言えた。

 

 テギョンが「ここだ。」と言ったのは、周りの家よりも立派な門構えを有する家屋で、門をくぐると仕事を依頼したのだろう女が待っていた。

 テギョンが何かを話し終えると、依頼人の女は妙な猫なで声で、賛辞の言葉を並べはしたが、感謝の言葉はなく、代わりに代金の入った巾着を手渡した。

 それから食事の用意をしてあると侍女らしい者に案内をさせる。

 

 フニはテギョンと共に通された部屋に入ってまず驚いた。

 続けて、卓の上の提子(ひさげ)に驚く。

 たとえ大人びて見えようとも、テギョンはまだ子供なのにと思いながら席に着くと、フニはすぐさまその酒に手を延ばした。

 そして一口、口に含んで吹き出した。

 まじまじと提子(ひさげ)を見る。

 なんでこんな甘い酒が、と思ったが、黙って座っているテギョンを見てお子様用かと納得した。

 フニは、何事もなかったように提子(ひさげ)を元の場所に戻すと、そのままその手を、大きな鉢に盛られた骨付き鶏肉の煮物に伸ばした。

 

 「豪勢だ・・ですね。 さっき受け取っていた巾着にも、たんまり入ってるようだっ・・でしたし、いったい何をしたんです?」

 

 フニは鶏肉にかぶりついてから訊く。

 

 「探し物を見つけただけだ。」

 

 ないものと思っていたテギョンの返事に、フニは、前とは違って話すようになったんだと思う。

 

 「探し物? そういうのは宗家の仕事じゃ・・・」

 「宗家が三月探して見つけられず、困っていた。」

 

 それを聞いたフニは、目を上の方に向けて少し考えてから小さな声で呟いた。

 

 「横取りしたのか。」

 

 独り言のようであり、問い掛けているようでもあるが、テギョンは動じていなかった。

 そこに依頼人の女が入ってきた。

 

 「口に合う?」

 

 赤い唇が問う。

 少年テギョンは無口になって頷いた。

 依頼人の女が提子(ひさげ)を手にすると、少年テギョンは一言も発せずに前に置かれた酒器を返して伏せ、注げなくする。

 

 「あああ、彼はまだ子供なんで・・・、代わりに・・・・・・」

 

 フニは代わりに頂きますよと酒器を差し出しはしたが、口を付ける事はしなかった。

 フニの目から見ても派手好きのこの依頼人の女が、金持ちなのはすぐにわかった。

 装飾の施されたその部屋は、仕事をしたとは言えただの孤児の少年を通すような部屋ではない。

 多分に何か事情があって、もてなししているんだろうなと考えた時、依頼人の女は養子縁組の書面を取り出した。

 フニはテギョンに読めるわけがないと思ったが、テギョンはそれに目を通し、養子になる気はないと断った。

 

 「人を探して旅をしている。 なので一つ所に長くはいられない。」

 

 そう言うと、箸を置き、礼を言って家屋を出た。

 フニはというと、最後にもう一つ骨付き鶏肉を手に取り、テギョンの後を追いかけて、同じ宿に転がり込んだ。

 

 家屋を出た後で、「依頼を受けた時に厄介だと分かっていたから一緒に来る事に反対しなかったが、明日にはここを離れる。」と、テギョンが言ったからだ。

 (離れるとは言ったが、ついてくるなとは言われていない。)

 フニは置き去りにされないよう、朝一番にテギョンの部屋の前で待てば、否が応でも離れる事はないと考えたのだ。

 久々の旨い飯の後は寝るだけだ。

 部屋に入ったフニは、そのまま寝台の上に横になった。

 だが、目を閉じると、ふとした疑問が頭を過(よぎ)った。

 

 (たしかに利口だと思ってはいたが、まだ子供だ。

 なのに宗家も見つけられなかった物を見つけただって・・・。

 教育も受けずに育ったはずが、この数年どこにいたんだ?

 それに、親もいないのに書面が読めるほど、どうやって学んだんだ?)

 

 この時代は誰もが学べるわけではない。 学ぼうと思えば金が必要になるからだ。

 だから金のない者は、大抵ある年齢になると自分の状況を受け入れていくものだ。

 フニ自身もそうだった。

 光焔にいた頃はそれなりの暮らしで、毎日好きでもない学問を学んでいたが、親を亡くし、住む家を追われ、それまでの環境が一変したあの日から、ただ生きていく事に必死になった。

 それまで学んだ事など、あの村では何の役にも立たなかった。

 だから、役に立たない学問は捨てたのだ。

 

 (今からまた学び直すか。)

 

 横になったまま、とりとめのない事を考える。

 その考えは、たまたま頭を過っただけで、もとよりそんな気は、はなからない。

 どうせならもっと実用的な事を学ぶ方がいいからだ。

 そう考えると、あの歳で仕事をしているテギョンが、この三年どう生きて来たのかに興味が湧いた。

 どうやって探ろうかと考えながら眠ったが、意外な事にその答えはすぐに見つかった。

 きっかけは、出発しようとしているテギョンに、別の養子の申し入れがあった事だ。

 

 相手は大店(おおだな)の夫婦で、着ている物も上等だ。

 それに昨日の依頼主よりも格段に品が良い上に、いきなり書面を出すようなこともなく、理由の説明を始める点も気に入った。

 そしてその夫婦の説明に答えがあったというおまけ付きだ。

 

 子を亡くし、跡取りとなる子を探していてテギョンの事は同じ商売仲間から聞いたと言う。

 

 (ハハ~ン、昨日の依頼主もどこからか聞いていたんだな。)と、フニは思う。

 

 それによるとテギョンは斐水に来る前は風林に一年いて、慈善家の世話を受けていた。

 目つきは鋭いが、綺麗で物静かな少年は頭がよく教えた事をすぐに吸収する優秀さを見せた。

 少年は慈善を受けるだけを拒み、活動を手伝い、起こった問題を次から次へと解決していく。

 それが噂となり、引き取りたいとの申し出が出始めたころ、少年は斐水に用があると風林を離れたらしい。

 

 その話を聞いて以来、その少年を探していたと夫婦は言ったが、テギョンは昨日と同じで、その申し出を考えることもせずに断った。

 フニはテギョンの腕を掴んで引っ張っていくと、「どうして断るんだ。」と訊く。

 名家とまでは言えなくても、着ている物からしても良い家で、養子になれば住む所ができ飯にも困らない、人柄だって昨日と違って良さそうだと耳打ちする。

 フニが、テギョンを説得しようとするのも、大店の跡取りとなれば自分を雇う事だって可能だと考えての上だ。

 

 なのにテギョンは、フニを見て嘆息すると、無言でその手を振り払い、夫婦の前に戻った。

 仕方なくフニは三人から少し離れた横手に立って、もったいないと思いながら見守る。

 

 「・・・断る理由を・・聞かせてもらえるか。」

 

 夫婦の夫が訊くのを、フニは残念だなと思いながら見ている。

 テギョンは答えないはずだからだ。

 話すようになったとはいえ、必要ない事は言わない質(たち)だと、理解している。

 だがそれも、この三年の間に変わったようだ。

 

 「・・・捨てられただけなら、断らない。 でも、色々複雑で、迷惑をかける事になる。 これまでも、これからも、誰かを頼るつもりはない。」

 

 十五の少年は、そう言った。

 

 

― 狩り人の山道 ―

 

 「私は胸に詰まるものがありまして、その後も宗主の傍を離れませんでした。 

 宗主は、斐水の外れから少しづつ中心地に移っていきました。

 頭を使う仕事だけじゃなく、力仕事なんかもしながらのその日暮らしではありましたが、私も仕事を見つけて楽しくやってました。

 斐水の民はおおらかで、よそ者の私や宗主を受け入れてくれて、正直このままここに根を下ろして、なんて事を思っていたんですが、その矢先、宗主が突然ここを離れると言い出したんです。

 

 それこそほんっとに突然で、残りたければ残れ、俺は行くって言いだして、・・・ですが、何があったのかは今も分かりません。

 でもきっと、とんでもない何かが起こったんです。

 その後の宗主はひどい状態で、食べない喋らない眠れないのないない尽くしでした。

 なのでなんていうか、こう・・・抜け殻、そうまさしく抜け殻のようでした。 が、そんな宗主を引っ張って、とにかく斐水を出て、模諜に向かったんです。」

 

 フニの話に誰もが沈黙したが、ミニョは青ざめていた。

 テギョンが斐水を離れた理由が、自分だと気づいたからだ。

 

 


~~~~~~~~~~~~~~~~ 

提子(ひさげ)はお銚子と同じでお酒を注ぐためのものです。 

 

↑こんなのね。

 

15才相手にお酒を出すのはどうかしらと、

ちょっと悩んだのだけど、今と違う昔の十五。

今だとまだ全然子ども扱いだけど、

昔は元服の歳(12~16才くらいまで)なので、

少年と書いていますが、実際は大人扱いされててもおかしくない。

だけどそれを表現しようとすると、また長くなるわと考え、

お酒で表現しちゃった。(イメージは甘酒だけど)

 

ちなみに養子縁組も、子供が欲しいからではなく、

あくまで後継者、老後やその後も面倒みてね、

代わりに財産分与するからねって契約です。

 

それよりも、やっとテギョンとミニョの最初の出会い、

その側面を書けました。

(まだテギョンサイド、ミニョサイドで書き尽くしてないので、

 この先また浮上してくるけど、脇から見た感じは書けた)

後は、縹炎に行く事になる事件の話が残っているだけよ。

 

次回は残りの過去(今回書ききれなかった分ね)と、

爆睡後の元気なテギョンの予定です。ニコニコ


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