本牧徒然雑記。「1月暦絵・ある「ベクトル投書」」。

新年おめでとうございます。今年が良い年でありますように。

当ブログも7月には6年目を迎えます。よろしくお願い申し上げます。


今回は昨年末朝日新聞投書欄にあった若い女性による清々しい文章を転載(画像)して、年頭にふさわしく明るい気持ちでスタートしたいと思います。

投書の見出しは「ベクトルへの感謝忘れず先生に」。高知県の22歳大学生です。

「「大発見  数学に人生への意義アリ」(11月27日)を拝読しました。私も高校時代、数学が大の苦手でした。それなのに、生物を勉強したくて「なんちゃって理系」を選択しました。そこでは、周りの「数学力」に圧倒されます。私が1時間粘ってもできない問題をすらすら解いていくのを見て、何度後悔したことか。そんな私を救ってくれたのがベクトルでした。特に空間ベクトルは、頭の中で立体を動かして、大きさや角度を考えます。確率や積分と違って数値だけの世界ではありません。新しい線を引いて解答への道筋を立てていくのです。そこを乗り越えた爽快感はたまりませんでした。結局、文系に進んでしまった私は、来春から小学校の先生になります。算数が苦手な子も多いはず。でも、「何に使うのか」ではなく「考え方」を大切に、算数・数学の魅力を伝えられる先生になりたいです。ベクトルへの感謝は忘れずに」。

男子高校生による「大発見……」の投書は僕も注目してその要旨を「12月暦絵」に書きました。

やはり同じ投書に注目した大学生がいたのですね。

僕は「昔ながらの若者」という時代遅れの表現をしますが、ジャーナリズムがニュースバリューのある特異な若者達、「歌舞伎町のトー横」とか「ホストクラブ借金」とか落ちこぼれた青少年ばかりを取り上げる傾向の影には、ずっと多くの健全な同年代の諸君が存在していること、将来の日本はそうした青年層によって支えられるだろう、それを期待する、そうしたことをこのブログでも訴えたいのです。

この女性は恐らく様々な困難にめげずに立派に教職を貫き、多くの子供達の記憶に残る「先生」の職責を果たすことでしょう。教育の意義はまさしく「考える子供を育てる」ことですから。

ついでに余計なことを書けば「微・積分」や「確率」もただ数値だけの世界ではないし、「何に使うのか」も世の中で実に重要な事柄ですが ……。彼女もそれに気がつく機会があるでしょう。

NHKTVで「サブカルチャー回顧」の番組があります。そこで映し出されるかつての「竹の子族」も「荒れる教室」も当時の若者の現在は普通の中年者の家庭生活を送っていることと思います。

しかし同時に、そのまま転落人生に落ちこぼれた者も少なくないと推察もします。

結局は一律論ではなく個別論なのです。そして僕の個人意見ではそこに「自己責任」が全く関与しないことはない。そうして社会と個人の歴史は動いていくのだ。時は移り世界は回転していくのです。

日本の将来もこの投書者達のような「物事を考える」若者で支えられる限りは決して暗くないはずです。僕はそれを信じてこの新しい年を迎えています。


大晦日の夜は第九や年間コンサート・ハイライトのTV音楽番組を見た後、横浜港停泊船舶の一斉汽笛やみなとみらいの盛大な花火音(我が家からは見えない)が聞こえる年越し。

元旦は子供・孫の来訪と孫娘の希望で中華街夕食。コロナ明けの盛況で結構な事だけれど何週間前から萬珍楼などは満席で予約が取れず。やっとローズホテルの部屋がとれていて、そこでの夕食後は夜のイルミネーションを見に行く孫達と別れて老夫婦は帰宅。録画設定してあった「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」を見ようとしたら能登地震で放送なし。仕方なくこのブログを書き出して翌2日に完成・送稿する次第です。明3日は日中来客予定あり。夜の「ニューイヤー・オペラコンサート」を楽しんで僕達夫婦の三ヶ日は終了です。今週末にもうひとつ「徒然雑記」を書くつもりです。