記事の更新が遅くなりました!
何も性行為に限定して勉強するわけじゃなかろうに…そんなのほっといてもどこからか情報を得るでしょう
まめたも無事一般病棟に移り、いよいよ大部屋デビュー
時が止まったように静けさのある集中治療室から時間が走りさるようなドタバタで賑やかな一般病棟…
まめたの状況についてはまたまとめます
初めての方はこちら
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前回のお話の続き
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入院中に患者図書館で借りた2冊の本のお話
読書レビュー
長文なのでお暇な時に読んでください
まめたのお世話になっている大学病院の院内学級の文集と院内学級の先生の手記
まめたが生まれた大学病院との連携病院のボランティアさんとNICUのお話
がっつり病院名出てくるので本の題名や販売先をブログ内やアフィリエイトで載せたりはしないんですが、命について深く考えることのできる本なので、興味があればメッセージいただければお教えしますね
大学病院の院内学級の文集
院内学級って知ってますか?
入院生活が長い義務教育期間の子どもの患者さんの対して病棟内に教室を作り、病院の所在地の学校区の小学校及び中学校から先生を派遣して教育の機会を提供するというものです
もともと病院のスタッフは子どもたちの幸せを願って治療に扮するわけですが…
治療で教育の場を奪われた子どもたちが、スムーズに元の生活に戻れず、
こんなはずじゃない、あの時死んでいればよかった
と言うこともあり…
子どもたちが成長するためには、物理的に身体を治すことだけが必要じゃなくて、心と脳を育む教育の場が必要とされ院内学級が生まれました
院内学級の先生は過酷です
小学校なら全科目教える教師ですが、中学校は教科制…
ただし、院内学級に配属される先生は基本的に1人なので1人でオール教科を教えないといけない
困ったとき、通常の学校に勤める教員は職員室に戻り管理職に相談することができるけど、院内学級の先生は1人で解決しなきゃいけない
何よりも、快方に向かう生徒ばかりじゃない
死と向き合わなければならない多感な子どもとその保護者と向き合い…
ときには教え子が亡くなった直後もポーカーフェイスで他の子どもたちに授業をし続けなければならない
過酷な仕事
私も特別支援教育の現場で働いてたので、何人か院内学級で働いていた先輩の先生がいるのだが…
やはり年間に何人もの子どもを見送るのは精神的にもかなりキツイものがあるようで、教育委員会にこのままじゃ心が壊れそうだから、死と遠い場所にある通常級の担任に戻してくれと懇願した先生もいます。
そんな命の現場だからこそ、日常では気づかない生と死の重さ、生きる強さそういったものを感じるのだと思います。
中学生で進路についての調査が所属学校から来る中、来年の4月まで命があるかどうか分からない子どもたちとどう向き合うのか
ゲームばっかりしてる子どもに
死ぬのが分かっとるんやったら、楽しいことだけしたらええ
でも、あんたは生きるんやろ!?
それやったら、やるべきことがあるやろ
と喝を入れるお母さん
その言葉に涙する中学生
ゲームばっかりする子どもに注意すること自身は日常茶飯事でしょう
ゲームばっか、ええ加減にしな
うるせぇな
そんな感情的な怒りとそれに対する逆ギレ
そんなとこでしょうか
そこに生死の話を出すまで話をシビアにする親子は中々いないでしょうし…
実際には、病棟で生きたくても生きれなかったお友だちがいっぱいいる…
死と向き合い恐怖に慄く子どもたちがいっぱいいる…そういう病室でするこの会話の重いこと
生きていることには意味があって成すべきことが残されている
死を前にそれでも、毎日淡々と勉強を続ける意味意味
変わらない日常を死の直前まで続ける意味
多感な中学生が自分の死と向き合ったり、友達の死と向き合ったり…
また病気を克服していく中で、生きていることの奇跡に気づいたり…
この子たちが生きている一分一秒と私たちの生きている一分一秒…
同じ時間が本当に流れているんだろうか…
とても思いのこもった涙なしで読めない文集です
そして…
もうひとつのまめたがお世話になっている大学病院と連携している病院のお話
その病院ボランティアスタッフ、産科、NICUのスタッフを追ったドキュメンタリーのお話
赤ちゃんの1番小さいサイズってご存知ですか?
お子さんをお持ちの親御さんなら即答ですよね
新生児の服は50cm
売り場にはたくさんの衣装が並び、オーガニックコットンのもの、いろんなブランドの服、きらびやかなベビードレス…
全部買ってあげたくなっちゃうほど小さなベビー服売り場は癒される
妊娠した時から、ちっちゃなベビードレスを眺めて、退院するときにはどんな服で子どもをおうちに連れて帰ろうか…と誰もがワクワクするはず
でも世の中には手で包み込めるような大きさでお母さんに会いに来てすぐにお空へ帰る子どもたちがいます
産声をあげない子どものために一生懸命、お産をし…
50cmの新生児服ではお顔も出ないほどブカブカで裸ん坊のままお菓子の箱にそっと子どもを詰めて帰宅するお母さん
こんな悲しい現実にどうか子どもの存在を肯定してあげたい
ちゃんとこの世にやってきた赤ちゃんに合う服を用意してあげたいと立ち上がった病院ボランティアさんのお話です
よく流産、死産をしたお母さんに
また、子どもに恵まれるわよ
今いる上の兄弟を大事になさい
などと、母の悲しみを紛らわそうと声をかけることも昔はよくあったようです
今もかな?
『人は苦しみに直面している人に無関心であってはならない』
本文の言葉ですが、お母さんは悲しい思いをされている
でも、その悲しみを手放すために手を借りたいわけではなく…
悲しみなんて手放せないですから
悲しみに寄り添うことが必要…
小さな小さなベビー服を手にすることで、亡くなった赤ちゃんが無かったことにされず、誰かにお腹の中で一緒に過ごした愛おしい日々を認めてもらえることが救いになる。
私は流産や死産の経験がないので…
その悲しみは如何程か…分からないんです
ただ…悲しみに寄り添うこと
すごく大事だなぁって思います。
よく、月齢とのギャップがある小さなまめたを連れて外来とか行くと
月齢を聞かれて驚かれ(大体いつも平均の半分の体重)
治療歴なんか話してて驚かれ(現時点で5回の開胸術)
手術多くて大変ね、きっと元気にすぐ大きくなるよ
と励まされる
そこには、相手の善意があるので全く腹は立たないし、本当に気さくに声をかけてくださり、見ず知らずの私たち親子にエールを送ってくれることはありがたく…
私もおしゃべりな人間なもので普通に病院の待ち時間とかで隣に座った人とピーチクパーチク楽しくお話させてもらうこともありますが…
体重が増えないのは心臓の負担を軽減するために敢えてミルクの量を絞っているから
この子の手術が多いのも生きるために必要だからやってることで…
手術も体の小ささも悲しいことじゃなくてまめたの頑張ってる証なんですね
早く元気に大きくなればいいね
ではなく…
今頑張ってるまめたを見つめてくれる方がありがたいという欲もあったりする
闘病という現実から目を背けて「元気になるといいね」は正直すごく軽い…
言葉だけだとすごく軽い
でも、そこに相手方の精一杯の真心があるから「元気になるといいね」もエールになり、結局はあったかいんです
言葉じゃなくて、そこに込められた想いが1番大切だから
私の場合、なんでも聞いてくれる方がありがたいくらい
どうしてこの治療をして、この薬を飲んで、体を絞って…
その理由ひとつひとつにまめたの頑張りの意義があるから
ただ…それと同時に
『悲しみと直面すること』は決して甘っちょろくはないのも現実です。
誰かれ何も考えず、何でもストレートに聞けばトラブることでしょう
連携病院の小児病棟で入院すると、たまに一般病棟が満床とか重症患者が多くて大変なとき、NICUの看護師さんが助っ人で入ってくれることがあります。
引き継ぎがなくてもできるような清拭や点滴の防水、血圧測定、アイスノンの交換、シーツ交換、経管栄養、担当看護師への伝達など…
私はこの瞬間が堪らなく好き
久々に会うNICUの看護師さんに頑張って大きくなったまめたを見てもらう瞬間がとっても嬉しいのです
NICUでは治療はもちろん、モニター表示の見方、採血結果の見方、カンガルーケアやモニターの巻き方、まめたは第一子なので、オムツ替え、沐浴、着替え、爪切り、直母、瓶哺乳…全ての私たち家族の原点が詰まってます。
その時NICUの看護師さんに
新生児の頃からいうとだいぶお顔が変わって見違えちゃったね〜
でも、お母さんのお顔見てすぐにまめたくんだって分かりましたよ
毎日長時間来てくれてたものね
とよく言われます。
確かに…
私自身、NICUでまめたに会わなかった日というのは
西日本豪雨で車を出す自信がなかったこの1日だけなのです
でもかわいい頑張ってる我が子に会いに行くのは母の責務とも思っていましたし、当然だとも…
正直、産後すぐに、深夜まで3時間おきに搾乳して病院に通うのはしんどい…
体力的にしんどい中、NICUを退室するときに明日は何時ごろ来られますか?
といつも聞かれるのがプレッシャーでしかなかったのも事実
本を読み進めていくと、
NICUのお話で、毎日3時間おきに絞った母乳を冷凍して毎日子どもに会いにくるお母さんもいる
(ほぉほぉ…私のことね)
一方で
子どもの状態や障害が受け入れられず、足が遠のく親もいる
そこを繋ぐ法的拘束力はないので看護師がお母さんへの声かけをして母子を繋いだり
赤ちゃんはお母さんが分かってるから、お母さんがくると心拍などバイタルの数値が変わることを伝え、赤ちゃんお母さん待ってたよ〜嬉しそうだねって声かけするようです
実際、私もしてもらって、すっごくこれは嬉しかった
ほとんど寝ていて焦点も合わない目
管だらけでコットに寝かせられ触れれる場所が少ない
小さな顔も酸素マスクで覆われてむくんで目も開かない
しんどくて声も出せない
あの時はそれでもまめたは世界一かわいいと真剣に思ってたけど…当時の写真を見て、浮腫と管の取れた今の顔を見比べ…産後すぐに痛々しい我が子を見に毎日よく通ったなぁ…
自分が思う以上に、必死だったんだろうなぁって
そこを支えてくれたのはやっぱり連携病院のNICUのスタッフのみなさん
正直我が子がこんなに痛々しい姿で何を思って生きてるのか分かりゃしない…
そういう時、母親の声かけで変化する脈拍数や血圧の数値を看護師さんに教えてもらえると
嬉しくてずっと何度も名前を読んで喋り続けるよね
まめくん、まめくん…
今日天気良かったよ
いつかお散歩しようね
今日は朝ごはん目玉焼き、我が家はパン派なの
えっと…昨日はドラマ見てさ、俳優の誰それがかっこよくてさ…それからえっと…
↑身動きを取らずぐったりしてる我が子に一方的に喋り続けてネタ切れしちゃうのもあるあるです 笑
ドラマとかどうでもええのや
結局困ってずっとコット脇で音痴な子守唄歌うとか
それでも、やはり受け入れられずお母さんが引き取れず、乳児院や里親制度を利用する赤ちゃんもいるそうで…
あっ…と思った。
20床くらいあるNICUのベッド…
全員のお母さんが揃ってることはなかったなぁ…
単純に産後の肥立ちが悪いのかと思ってたけど…それだけじゃないんだ…
NICUに限らず、ほとんど入院してる子どもを見に来ない親も実際見たこともある
遠方であったり、母の体調不良だったり
他にも病棟違いで入院してる家族がいたり
様々な事情があると思うので何とも言えないけれど…
やはりそういう現実があるんだ小児病棟っていうのは…
逆にいつも顔を合わせたり、毎日NICUに長時間いるお母さんは限定されるので、そこで仲良くなったお母さんとは今でも繋がりがあったりもします
この状況だけ見ると母の精神的キャパ量に目がいくけれど、本にも書いてあるのですが、
家庭環境、夫婦関係、経済状況…
重い障害や病気のある子どもを受け入れるのは気持ちの問題だけではなく様々な環境因子が絡むデリケートな問題なようで
昨今の悲しい虐待ニュースなんかも見ると
何が幸せか本当にわからないけれど、赤ちゃんはそれでもお母さんを信じて生まれてきたから、お母さんの選択肢を受け入れて強かに生きていくのでは…
それでも、どうか一緒にいれるうちにはいっぱい抱きしめて、いっぱい赤ちゃんのこと考えて悩んであげて欲しい…
我が子を愛して、悲しみと直面したことはきっと意味があるのではないだろうか…
と思うのは綺麗事ですかね
『悲しみと直面すること』
望んでいた子と生きて対面できなかった母親
難しい病気や障害と闘う我が子と向き合えない母親
その悲しみから目を逸らさず向き合い続ける命の現場のスタッフはどれだけ大変な仕事なんだろうと…
ただし、NICUというのは赤ちゃんの集中治療室
ここは悲しみとともに奇跡が起きる場所
普通の大人のICUでは助からないっていう状況も赤ちゃんはすごい生命力と回復力で乗り越えたりもするそう…
きっと赤ちゃんが生まれてくるってすごいこと
赤ちゃんは命ある限り、大人と違って変な邪念も恐怖もなく生きることだけにエネルギーを注いでるんじゃないか…
生まれてくるってことはすごい
現実に出産して産声をあげられる赤ちゃんも亡くなる赤ちゃんも…
きっと命ある限り、私たちが気づけないだけで、お腹の中でたくさんの奇跡が重なるようなドラマをつくってるんでしょうね
『人間にはつらさを優しさに変える力がある』
本文の言葉ですが…命の現場は奇跡的ばかりではなく、悲しみもつらさも苦しみも尽きないから優しさが溢れるんだと思います。
つらさを優しさに変える力、それは命の尊さを知っているということだと思う。
だからこそ、命について一度立ち止まって考えてみてほしい
生きていることの奇跡
実はこの本、本文にはフリガナも打っている児童書なんですが、大人が読んでも十分読み応えがあり、正直小中学生が読むのには重すぎんじゃない?と思うくらいの内容
死産の話、中学生への助産師さんの訪問授業の性教育の話、未熟児で生まれた我が子を受け入れられないお母さんの話…
でも、これだけ性教育について賛否両論出ている日本の教育現場の現状を考えると思春期を迎える子どもたちと一緒に読んで欲しい…
まず…性教育というネーミングがナンセンスだと思うわ
そのネーミングから連想する事で敬遠する教育委員会も保護者もいるんじゃない?
いのちの教育とかにしましょうよ
どちらかというと保健体育というより倫理的や道徳的なジャンルとして、命に対する責任について学ぶ機会が絶対必要よ
私たちは生きている
息をする
ごはんを食べる
眠る
体を動かす
考える
この奇跡に気づくことって中々ない
「生きてるって当たり前じゃない」
言葉だけだと薄っぺらい
言葉だけだと、どうとでもありがたいお話ができるんです(私の今回の記事だってある意味そう)
やっぱり本気で命を懸けるほどに生きないと気づけないし、薄っぺらい
だから、命を懸けて闘ってる人の記録を読むのは面白い
本は、自分の一度しかない命の中でたくさんの人の命の軌跡(奇跡)を感じることができる
大学病院の患者図書館は確かに県立や市立の図書館に比べるとちっぽけだけど、闘病記や病気、病院生活に関わる本も多く、読み応えがある
命を懸けるほどに生きたこと…あるのかなぁ
一分一秒が惜しいとくらいついたことがどれだけあるかなぁ
30歳を目前に全くもっていい加減に生きてきたなぁって痛感します
久々のブログ更新やな
そうそう…
実はまめた、
術後順調でして…一般病棟に移り、経口で栄養摂取ができるようになったんです
すげーな、手術って
あのひどい嘔吐がぴたりと止まるんやな
でも今まで経管栄養で全注入だったのが自力でお口で飲むようになって睡眠リズムが狂ってね
大部屋で泣かれると気もつかうし…
深夜まで廊下で抱っこしててさ、ブログ書けなかったのよ
最近ようやく、寝るようになったわ
というか…まめたの病院…
大学の方は小児の心臓手術の腕が全国的にピカイチなんは聞いたことあったけどさ…
連携病院も書籍化するほど有名な病院なんやなぁ
そうそう、特にまめたがお世話になったNICUや産科は、心臓に関わらず県内外からたくさんの訳ありベイビーや出産リスクの高い妊婦さんが入院してたよ
本当にご縁あって大学病院と連携病院…どちらも素晴らしい病院ですが、そこの多くのスタッフに愛情込めて治療をしてもらってきたまめた
この2つの病院に出会えたことに感謝しかありません
おかげさまでまめたは順調です!
今回は私の体験と私的感情の偏った読書レビューでした
文章力がなく、長文失礼致しました
皆さまも読書の秋をお楽しみください
この秋も私たち親子は出かけれそうにはないので読書を楽しもうっと
同じ病棟に入院してる男の子に紹介してもらってハマった漫画←漫画かよ 笑
白血球や赤血球、ウイルスなどを擬人化したバトル漫画(白血球はウイルスに対する殺し屋、赤血球は運送業とか 笑)
心臓の循環や血液の役割、感染時に体に何が起きてるのか、輸血の必要性…
ダンナさまとネットの試し読み読んでハマり
漫画なんて久々に買ったけどおもしろかった〜
炎症反応のcrpの値が上がって〜
輸血が必要〜
体温維持が難しい
房室弁が逆流して〜
当たり前に毎日病院で話してる話を漫画で読むとなるほど〜ってクスッと笑えます
病気と無縁の人も結構軽ーく読めます
でも、ウイルスやっつける時、結構…絵が…
うん…パワフルなので…そこはネットとかで試し読みしてみてくださいね