明治天皇の新潟巡幸の少し前

東京で大久保利通が殺害された



犯人は政府に不平を抱く

石川県士族の島田一郎たちだ



当時、大久保と親しかった

大警視の川路利良も

暗殺計画を掴んでいた



だが



「石川県人に何ができるか」



と相手にしなかったという


川路の無念は言うまでもないが

この巡幸ルートには金沢県が

含まれており

さらなる不穏な情報もあった


よって天皇のお側には

剣客で知られた山岡鉄舟をはじめ

香川敬三など十余名が

奉仕することとなった


さらに川路は

警視庁の中より剣術に秀でた

巡査四百名を選抜し

乞食や行商人に変装させて

道々に配置するなど

その警備を徹底させた


これら警備の随行員のほか

三種の神器から天皇が使用する

日常のテーブルや椅子

組み立て式の厠などなど

持ち運びの道具も多かったため

行列は総勢は八百人にも及んだ


一方で迎える方にも

大きな負担があった


当時

政府は民衆への負担を懸念し

不要な準備は求めなかった


ところが

実際にはそのようなわけにはいかず

各巡幸先では県の指導のもと

新たな道路や橋

トンネルなどが次々と整備された


こうしたインフラ整備の発展も

明治期における

天皇巡幸の効果であった