今日は私の体調は少し回復したが、精神状態があまり良くない。
昨日の夜中、2・3度父が2階の私の部屋に来て起こされた。
要介護で体が思うように動かないところに、急に耳が聞こえなくなり、夜中不安になって私のところに来るのだろうと思う。
でも私だって弱い人間だ。体調の悪い中、寝る前に将棋をしたり、雑談したりしてから寝る準備をし、机の上には写真や学会の励ましが載った自作の本が何冊も置いてある。
私なりに、できる事はやっているつもりだったが・・。

父は意思表示をしないで相手任せ(要するにズルイ)、それで気に入らないと、思うように動いてくれない。
しかも日によって(して欲しい事が)違うので厄介だ。
でも、自分でトイレ行けるし、食事もできる。認知機能低下でも、こちらの言う事は理解できる。
傍から見れば「比較的楽な方」に見えるのかもしれない。「誰もわかってくれない」そんな気持ちがイチバンキツイ。

朝の勤行の時、父が「ちょっと待って」と言ったが、15分程度待たされてしびれを切らし、先に始めてしまった。
父は少し遅れて勤行をし、一緒に題目して終わった。
その後、寝たり起きたりで食事も薬も口にしない。でも今日は基本放置。
父が何か言ってくるまで、動かない。 ・・じゃないともたない。

昼過ぎに様子を見ると「ミニクリームパン2個」を食べていた。
その後も殆ど父は寝ていた。
5時半に勤行で起きたが、また寝て午後8時半に起きたので夕食のハンバーグを暖め直したが食べる気なさそう・・。

今日は久々に精神的にシンドかった。
でも要介護になりたての頃よりは切迫していない。
当時はいきなり「パーキンソン症候群」の影響で要介護状態(何故か判定は要支援)になり、でも要支援だからケアマネもいない。
私自身も糖尿病と脳梗塞でそれぞれの医師に入院を勧められる状態。
そんな中、信頼していた人達が、父が要介護状態(判定は要支援)になった瞬間、見事に父から離れって行った。これがイチバンきつかった。
当時、介護自殺とか介護殺人という言葉が他人事ではなかった。

今は尊敬できる先輩もできたし、デイサービスの人達が父のために良くやってくれている。
孤立していた当時よりも、頑張れる。もちろん今も油断できない。いつ心が折れるかわからない。
一日一日、心が折れないように頑張るだけ・・。

※要介護状態・・・当時、父を診ていた病院の医師(泌尿器科・神経内科)や看護師の方達が、要支援判定に強い疑問。
しかし、主治医を勝手に「薬をもらうだけのクリニック」にされてしまったのが、影響したのか?
当時介護のシステムを全く理解していなかった。当時の包括センターの方は不親切で車椅子の父と一緒に相談しても、介護認定もケアマネの存在も何も教えてくれなかった。
このクリニックは父の前立腺肥大の相談をした時に、検査もせずにあまり利かない薬を処方して、イタズラに時間が過ぎ、尿道にカテーテルまで悪化させてしまった。
しかもカテーテルを装着してくれたのは医療センター。某クリニックは対応できないなら早く言って欲しかった。
医療センターの泌尿器科の医師には「尿が出ないのは命に関わる」と言われた。
(これらの事は今の病院で診察・治療をしてわかったこと)