さぎぬまに第2の母ができました | フットサル施設「フロンタウンさぎぬま」オフィシャルブログ

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みなさんこんばんは。

フロンタウンさぎぬまの遠藤です。

 

まずはこちらのブログをお読みください。

 

先日のブログで浦野さんおにぎりが9/20で支配人の任務が終了と発表されましたが、

シフトの都合上10/20までさぎぬまでの勤務を延長しております。

 

刻々と迫る浦野さんのさぎぬまでの勤務終了。

寂しい気持ちと悲しい気持ちでいっぱいですが、このブログで浦野さんとの思いでを振り返っていきたいと思います。

 

某年7月

まだ大学3年生だった私は、当時サッカー部のチームメイトであり、

元フロンターレユース出身のコアラを誘ってフロンタウンさぎぬまのアルバイトとして門をたたくことになります。

 

早々に面接日が決まり、ドキドキしながらフロンタウンの階段を上がり、

クラブハウス内に入ると推定年齢30代前半~後半の女性と面接することになります。これが浦野さんとの最初の出会いです。

(後に支配人と判明。そして脅威の5真顔歳ということも判明しました。)

 

その後、アルバイトとして入社が決定し、働くことになるのですが、

働き始めてからさらなる衝撃を受けることになります。

 

とある日のことです。

私は部活の練習の都合上17時からシフトに入っていましたが、

当日の練習時間の変更により17時に間に合わなくなってしまいました。

 

すぐにフロンタウンに連絡をし間に合わない旨を伝えると、浦野さんからはこんな言葉が返ってきました。

「シフトのことは気にしなくていいから気を付けて来なさいね」

第一声にシフトの心配や代わりが見つかるかどうかではなく、

私が焦って来ないように心配をしてくれたことを鮮明に覚えています。

 

簡単そうに感じますが、第一声にそれを伝えることが容易でないことは、

社員としてフロンターレに入社した今になってさらに感じております笑い泣き

 

日曜日の遅番時に色々と語りあった思い出作り。

就職活動の時期に遅くまで話を聞いてくれ導いてくれたこと。

日々さぎぬまで笑顔溢れる環境を作ってくれたこと。

 

まだまだ書ききれないこともたくさんありますが、

書ききれない思い出の1つ1つは心の中にしまっておきます。

 

あの日に面接をしてもらいアルバイトを始めていなければ、確実に今の自分はいなかったと思います。

 

さぎぬまで第2の母「浦野さんおにぎり」に出会えて本当に良かったです。

これからも浦野チルドレン(末っ子)として背中を追いつつ追い越していけるように頑張ります上差し

 

そして、新支配人であり、浦野チルドレンの先輩である大木ハンバーガー支配人を支え、

フロンタウンさぎぬまがさらに多くの方の笑顔が生まれる場所であり続けるように尽力していきます炎

 

まだフロンターレを辞める訳ではないので、

これからもたくさんのことを教えてもらおうと思っていますグラサン

 

人生100年時代、生涯現役の浦野さん。

これからもこんなバカ息子ですが、よろしくお願いします。

(これは珠里さんのJポーズですラブ)

 

 

 

 

 

フロンタウンさぎぬま  遠藤チューリップ