今日は祝日で、やることもなかったので、井の頭公園に来た。前々から予定していたわけではなく、掃除後にparksという橋本愛と永野芽郁の映画をみて。高校生時代よく来ていたことを思い出して。久々に来てみたくなった。吉祥寺駅から勘で歩いて来たけど、運良くまっすぐつくことができた。井の頭公園のinokaというカフェでアイスコーヒーを買い、それでこうしてベンチに座って、追突しないのか心配になるほど白鳥ボートでごった返している池を眺めている。二度と訪れることのないこの一瞬一瞬を、皆が過ごしている。かけがえのないこの一瞬。皆笑顔だ。

人を惹き付けられる文章をかきたい。しかし、その前に、文字を紡ぎ出す源泉となるものが自分の中に必要なのだ。それは深い感受性だと思う。今このとき、自分の目が捉えている風景からなにを感じるか。この空間に身をおいて、なにを思うか。ここで感じることが、目の前に映る景色と必ずしも直接的に関連している必要はないと思う。人間の思考や、感情は、その時いる場所や、その時見ている景色だけから影響を受けるものではないから。しかし、通勤電車に乗っている時に感じるものとは一致しない感覚がここにいると生まれてくるというのは確かだと思う。

あの人と来たら何を思うんだろう。こんな冷静にはいられないなきっと。終始緊張していそうだ。せっかく一緒に来たのに、身を寄せること一つも照れてできやしない。そして、あとで後悔するんだ。

人を愛するとはなんだろう。愛おしくてたまらない感覚はどんなものだろう。

神が私を愛してくださっているという感覚を持つこと。それは環境に依存しないが、環境には影響を与える。それを持てるのならきっと、もっとあの人を愛せるだろう。もしかしたら、今あの人に寄せている気持ちも、恥ずかしく思うほど未熟であったことに気づくかもしれない。神の愛を感じる前に、人を本当に愛することはできないと思う。だから、この自然をみて、人々の笑顔をみて、神を感じることが、あの人を愛するということに直結するんだ。自分が幸せになりたいと強く思う。しかしそれを得られるのは、それを忘れるくらい、神を愛し、他者を愛したいと思った時だと思う。

神様を感じるのは素晴らしい!!

その感覚を持つこと、

持てるように努力すること、

それも素晴らしい!!

ベクトルを神に向けよう。どんな時も。


井の頭公園内を一周した。老若男女が集う憩いの場だ。parksで映っていた景色が散見できてよかった。

井の頭公園を後にして、駅前のタレカツというお店に。10分ほど待ったのち、二段タレカツを頼んだ。今は読書をするよりも、文字を書きたい。僕は、自分の思いを文字に書き起こすことは好きだが、人に伝えることにはそれよりは関心がむかない。
量が多かった。待った分だけ、たくさん頼んでしまう。少し後悔。

でもできれば多くの人に読んでほしいかも。さらに、少しでも元気づけてあげられることができればさらにいい。

でも読む人は何を期待して読むのか。

この世には言説だの、コラムだの、ブログだの、他人の書いた文章に溢れている。その中で自分の文章が読まれるためには、ニーズが、存在している必要がある。僕は、神の息吹を読者に触れさせてあげられるような文章を書きたい。言い方を変えれば、良心を啓発させてあげたい。より本質的な部分で。

できるだけ苦しんでいる人の立場にたって。

ただその時書きたいことを書きたい。

正直、多くの人に読まれることよりも、自分の思いを的確に奥行きのある言葉で表現することの方に重きを置きたい。