AAに行き始めの頃、
僕は「神」というのが、どうしても
嫌だった時期がある。
神を信じる、神が必要、神を語る、
神に祈るなど、
とにかく神と名の付く
概念、すべてが嫌だった。
当時まだ本気でAAに行っていない頃で、
スポンサーはいても、
ビッグブックを持っていても
AAで生き直そうとかの気持ちは、固まらず
どうしていいか分からない時期だった。
●いかにも神らしい?これが神か?
後に僕はこの時期をこう呼んだ。
― 神がどうしても嫌だった時期 ―
酒を飲むのも、止めるのも選べない時期。
ならばAAに行くのを止めるかというと、
そんな勇気もない時期だった。
●女神ならどうか?
僕が神概念を嫌なのには理由がある。
それは子どもの頃の宗教的なトラウマがあったから。
両親が幼いころから宗教に凝りだし
僕と弟も駆り出されたことが大きなトラウマになっている。
自分で何かを信じる、信じないの、選択肢もない
幼少期に、それを強制された。
これが大きなトラウマとなっていた。
宗教的な神や仏の概念を信じるというのに
心が拒否反応する。
●宇宙の始まりが神か?
しかし、それだけではない。
自分のアルコール依存症という病気が、
専門医療の治療で良くなると、
病気が治ると思っていたのが
病院で主治医の口から「一生、治りません」と
打ち砕かれたから、当時の僕は
もう、どうしていいか分からずにいた。
●ロザリオは神になるか?
― 医学でも治らない病気を神に頼る ―
そんな観念が先に自分の中に居ついた。
だからビッグブックを読んでも、
そこに書いている神に関する文章が入らなかった。
それが変わり始めたのには、あるきっかけがあった。
あちこちのAAミーティングに行くうちに、
何年も酒をやめているメンバーで
同じようなことを言うメンバーがいた。
●神じゃないが仏はどうだ?
「オレ(ワタシ)が飲まないでいるのは、仲間のおかげ」
という話をする人たち。
「仲間がいるから飲まないでいられる」
などの言葉・・・
AAのテーマ・ミーティング(※)に参加すると、
たいていビッグブックの第三章、第五章、第六章の
一部を朗読する。
人が朗読するときも、自分が朗読するときも
何となく聞いている。意味など考えない。
●荘厳な教会は神か?
でも、あるミーティング中に「仲間のおかげ」と話した
AAメンバーの話に、僕の心の中で第五章の「ある一節」が
よみがえった。それは・・・
『おそらくどのような人間の力も、私たちのアルコホリズムを
解決できない事』
当時は古い本だったので、正確には以下だった。
『恐らく如何なる人間的力も、われわれのアルコール中毒に救いを
もたらすことはできないこと』
僕はこのような言葉に反応した。
心の中で何度も反芻した。
― 僕のアルコール中毒は、人間の力では解決できない、人間にはムリだと言っている。アルコール中毒に人間による救いはないと言っている。医者も治せないと言った。それなのに仲間のおかげはおかしいのではないか? ―
こんな単純な疑問だった。
●厳しい修行を積む者は神か?
僕はスポンサーにアフターミーティング時で、
この疑問を聞いてみた。
「これって、おかしくないですか?」
彼は黙って僕の全部の疑問を聞いてから答えた。
「そうだね、よく気づいたね。ならば問題はアマナ君が、どうするのかだよ」
彼はつづけた。
「仲間のおかげという仲間はそれでいい。彼らの言うことがビッグブックと違うと言うなら、アマナ君はどうするのかだよ」
そう言われて僕は言葉に詰まった。
その時に僕は気づいた。人の事より自分の事だと。
彼は続けた。
「焦らなくていい。今、それに気づいたならビッグブックに神がどう書いているか、少し話し合わないか?」
それはビッグブックという本を一人で読んでいては気づかないことだった。
いつもミーティングで聞く、あるいは自分が朗読する一節だった。
12ステップのステップ3
三 私たちの意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした。
自分なりに理解した神 と言っている。
自分なりに理解した神 でいいんだ。
あの時の僕を、この数文字が救ってくれた。
むろんそれは小さな始まりだったが大きな進歩だった。
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(※)テーマ・ミーティング=その日のミーティングのテーマを会場の司会者または主催グループの係が決めて、そのテーマに沿って分かち合うミーティング形式。






