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暑い日が続きますね。。。みなさん今日も楽しい一日を過ごされましたか。。。?
今日は、
豪商に学ぶ商才の知恵パート④松前屋西川伝右衛門 北海を制すパート2
を掲載したいと思います。
その前に前回は。。。
豪商に学ぶ商才の知恵パート③松前屋西川伝右衛門 北海を制す
こちらをご覧ください。
松前屋西川家の基礎を築いた初代伝右衛門は、商人であり、開拓者でもありました。
彼も近江商人としてのスタートは例外なく天秤棒商法でした。
当然ですが、最初から豪商ではなかったのです。
初代伝右衛門が独立したときの資金はわずか銭4百文で、細々と荒物菓子を商ったといいます。
やがて、呉服類を扱うようになり、北陸や奥羽地方まで行商で足を伸ばしていたといいます。
「往復天秤」で帰途は生糸、紅花、大小豆、漆などを持ち帰り、大坂で回送し、産物まわしに
よって、巨利を得るのです。
資金をためた近江商人は出店にたいして、異なります。多くの近江商人は江戸に出店しますが、
初代伝右衛門はさらに北に伸ばして北海の地松前まで渡ったのです。
弱冠24歳のときでした。
松前城下の枢要の地、大手門前の「御馬出口」の東側に店舗を構えるまで成長しました。
自家用の飲料水を城中より引いていたのである。城中より引くことを許されていたことは、
松前藩における西川家の地位をしめすことになるのです。
松前は、飲料水に乏しく、西川家は余った水を水瓶に溜めて庶民に分け与えたといいます。
この頃になると伝右衛門は、千石船を数隻所有するほどになっていました。
初代伝右衛門は、一介の行商人からスタートし、松前藩御用達の豪商にまで成功するのです。
41歳の時、さらに新しい土地を開拓するため西蝦夷探検の旅を実行するのです。
藩の了解を得て決行されました。
伝右衛門が成功して巨富を得れば、藩も運上金で潤うからです。伝右衛門は最初に
アイヌと親しくなって言葉を学び、彼らと雑居生活を試したといいます。
そのあたりが用意周到な近江商人ではないでしょうか。。。
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つづく