アジアご飯、とくにマレーシアご飯、時々つぶやき

2005年から2009年までの4年間、常夏のマレーシアで暮らしていました。2年過ぎた今でも、日本食は「ハレ」の料理でちょっぴりよそよそしく、アジア飯のほうが「ケ=日常」のご飯で、ホッとします。私にとっての食とは、味わいながら、みんなとつながることです。


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昨日のブログにも書いたように、先日、手話関連の公式行事に参加した。

当然のことながら、主役は聞こえない人。人数も断然多い。

 

夜の集いに参加したら、手話!手話!手話!の会話で、

さながら、異国に訪れた外国人のような気持ちになった。

目まぐるしい手の動きを追いながら、動体視力が養われそうだなぁ

なんてことも思った。

 

そんな集団のなかで、ときおり聞こえる人に出会と、

「あなたも健聴なんだ!」と、

ちょっぴりホッとした気持ちになる。

 

手話で会話をするときは、聞こえる人のほとんどは声を出さない。

手話と日本語は文法が違うので、

声をだしながら手話をするのは不可能だからだ。

なので、聞こえる人かどうかは、

自分で「僕、聞こえるんです」と告白するか、

「この人、聞こえるんだよ」と暴露されるまで、まったく分からない。

 

デフワールドのなかで、聞こえる人と出会ったときの気持ち。

それは、東京で同じ田舎出身の人と会ったときのような、

外国で、見ず知らずの日本人と会ったときのような、

宇宙で、地球人と会ったときのような(想像だけど)

そんな感じに似ている。

 

そんな気持ちを味わったとき、ふと思う。

 

きっと、聞こえない人が、聞こえる社会のなかで、

聞こえない人と出会ったとき。

圧倒的に数の多い聞こえる人のなかで、

手話で通じる人に出会ったとき。

 

きっとこんな気持ちがするんだろうなぁと思う。

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週末、手話関連の公式行事に参加してきた。

北の大地。山の見える美しい空気のなかで、たくさんの手の花が咲いた。

旅行気分もサイコーに良かったけど、

今回「あぁ、なるほどぉ」と思ったことがあったので、書いてみたいと思う。

 

それは「手話の使い方」について。

 

日本手話が本当の手話だ、とか、

日本語対応手話は手話じゃない、とか、

若い人は日本語対応手話だ、とか、

なんやかんやと色々言われているけど、

どっちかが大切で、どっちかが不要だという理論は、たぶん正しくない。

 

たぶん「手話はひとつじゃない。表し方は、状況によって変わる」と思う。

 

たとえば今回のような公式な行事。

そこでは、国に対しての提言のような文言でオカタイ言葉遣いになる

「応益負担は我々にとって由々しき問題。

断固として全面改訂してもらうよう提言すべきである」

なんて漢字ばっかりで、意味不明な熟語も入っているような手話。

それと「彼は車が大好きだから、いつも週末はドライブだって」

なんて普段の会話の手話が、同じ表し方であるはずがない。

 

それはまったく日本語でも同じことで、

舞台の上で挨拶をした人は、普段の生活では同じ話し方をしない。

わたしの書くブログと小泉さんのメルマガでは、

同じ内容を伝えたくても、選ぶ言葉が違うのと同じことである。

 

つまり、「言葉」というのは、誰に伝えたいかによって変わるものなのだ。

1000人が対象であれば、それにあった「言葉」。

1人が対象であれば、その本人の分かる「言葉」。

それが、伝える、ということだと思う。

 

ただ、もし1000人の場合、

同じ地域の人の集まりであるとか、全国から集まった人とか、

世界中の人だとか、そういう違いによっても、伝え方は変わる。

そして、残念ながら、1000人全員にまったく同じことを伝えることはできない。

それは、人それぞれ言葉に対する感覚が違うのだから、仕方が無い。

それが、「言葉の限界」というものだ。

 

たぶん、「やっぱり対応手話が大切」と考えている人は、

大会のような大人数での手話を想定していて、

ある程度、誰もが分かるであろうという中間的な手話を想定していると思う。

 

また、「日本手話が通じるための基本」と考えている人は、

ひとりの聞こえない人と通訳者が病院に行く、などのシチュエーションを

考えていて、相手に通じる手話を第一に考えていると思う。

 

その間で、右往左往をしているのが、手話通訳者だと思う。


また、聞こえる人であれば、自然と言葉が耳から入ってくるので、

難しくて、新しい言葉も、何度も聞いているうちに、

なんとなく知ったような気になってくる。

でも改めて「この漢字はどんな意味?」なんて聞かれても、説明できない。

なんとなく分かったつもりでも、実際にはよく知らないんだ。

 

でも、聞こえない人は、新しい言葉を自然に見るという機会はあまりない。

新しい日本語が作られて、それが手話になるには、時間もかかるし、状況が違う。

それに、手話には、日本語にはない美しくて、やさしくて、

便利で、愉快で、相手にビビッと伝わる言葉がたくさんある。

 

話しが少しそれてしまったけど、とにかく、手話は状況に合わせて変わるということ。

それをもっと明確にして、できるだけ使い分けていくことが、

通訳にたいする不満を減らすことにつながるような気がする。

 

言葉はとても大切なものだけど、

全部伝えようと思っても伝わらないのが、言葉というもの。

それは日本語も手話もまったく同じなのだから。

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昨日の夜のこと。

 

体調が悪いなと思いつつ、ひとりご飯。

冷凍庫のなかを開けると、毛蟹が一匹ぽつんといる。

肉も魚も野菜もないし、これで蟹のスパゲッティでも作るか。

牛乳を加えて、毛蟹のクリームソースを作ってみる。

なかなかイケル。

スパゲッティといえば、ワインですな。

ポンッとコルクを抜く。

 

明日までに返さなければいけないビデオを見始める。

甘いなぁこのワインと思いながらも、ついついグビグビ。

喉が渇いていて、思わずグビグビ。

残すのもったいないからなーと思い、なんとなくグビグビ。

 

映画は「ラスト・サムライ」だ。

映像がとても美しくて、

渡辺謙さんの坊主姿も凛々しくて、

小雪の華奢さが和美人に見えて、

トムクルーズのおじぎもかわいらしくて、

なんだか泣けてくる。

 

これって、いい映画かもしんないぞ。

最後の方は、ボロボロとずーっと泣いていた。

 

ワインは2/3くらいまで頑張ったけれども、

それ以上はもう飲めなかった。

だんだん気持ちが悪くなってきて、

眠くてたまらなくなってきて、

泣きながらも、最後の10分が耐えられなくて、とうとう寝た。

 

そんな状況でも、

「ラスト・サムライ」は、けっこういい映画だったと、

記憶にインプットされている。

 

しらふのときに、ここまで泣けたかどうかは分からない。

感情が豊かにあふれてくる酔っ払いちゃんは

映画をみるときには、意外にいいかもしんない。
どんな映画でも、飲みながら見ると、大泣きする自信がある。

泣きたいときには、ビデオwithアルコールがオススメである。

(なんのこっちゃ笑)

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ちゅ、ちゅ、注文してしまいました!

布ナプキン。

 

月と太陽の柄が赤、青と、目立たない全面レッドのものと、

持ち歩きのケースまで。

サイズもM、L、スーパーLとそれぞれです。

 

ドキドキです。うまくできるかなぁ。

きちんとできるかなぁ。卒倒しないかなぁ(笑)。

 

体にもやさしくて、環境にもいいなら、これは見逃せない!

久しぶりに心をワシづかみにされたインパクトもあるし!

おまけに、わたしは自由業だしね。

(と、なぜか自分に納得させているような記述…)

 

新しいものへのチャレンジです。

使い心地、いつかご報告します。

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久しぶりに、おー!と思う情報に出合った。

それは布ナプキン。

 

思えば、生理用のナプキンくん。

かれこれ20年近く使用し、ずーっと休むことなく

どんどん使い続け、ポイ捨てポイ捨て。

えっと、たぶん、およそ5000枚!!

 

布ナプさん紹介ページによると、

バケツのなかに水をくみ、そこに浸しておくと、

かなりキレイに落ち、最後の仕上げは洗濯機でヒョヒョイ。

もちろん何度もくり返し使えるらしい。

 

コットン100%なので、使い心地もよくサラサラで

生理通が軽くなった、という報告もあるのだとか。

 

さらに、バケツのなかの真っ赤なお水を

植物にあげると、ムクムク元気になったりもするんだって。

(ハイ、ここでわたしの彼はドン引きしましたけど)

 

思えば生理の血って、とってもキレイなんだよね。

汚れてない、とってもピュアな赤。

 

海に入れない、温泉に入れない、と面倒だけれども

その血を毎月見ると、自分が「人間の女性」という生物体で

あることを実感するのも事実。

 

うーん、意外と意味あるじゃん、生理って。

今まで厄介もの扱いしててゴメン。

 

なんだか、布ナプさん。

ここまで書いていたら、使ってみようかとその気になってきたぞ…。

紙製と布とうまく使えばいいんだな。赤ちゃんのおむつみたいにさ…。


布ナプさんHP

http://www.nunonapu.jp/

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イスラム教では、豚は不浄のものなので食べない。

ヒンズー教では、牛は神聖なものなので食べない。

 

生理中の女性をパワーの強い神聖なものだとして、

日常から切り離したネイティブ・アメリカン。

生理をケガれたもの、不浄なもの、恥ずかしいものとして、

整理中の女性を宮廷に近づけなかった古代の日本社会。

 

香田さんは、自分でイラクに行って殺されたので政府は知らんぷりだった。

中越地震では、突然襲われた天災で被害に合った人に政府は義援金をだした。

 

チカン行為を警察に訴えられ、つかまる人。

チカン行為を何も言われずに、日々ふつうに生きる人。

 

――

同じ現象でも、意味がまったく違ったり、

同じ現象がおこっても、結果がまったく違ったり。

この違いがわたしにはよく分からない。

 

肉体の死というのは、誰にとっても平等じゃないの?

チカンというのは、どういう状況でも悪いことじゃないの?

神さまにとって、このふたつの違いって何だろう?

 

ものすごく違う気もするし、

結果的に同じな気もするし、よく分からない。

わたしのなかで、まったく説明がつけられない

 

そもそも比べること自体ナンセンスなんだろうし、

説明がつけようとするのも変だろうし、

こんなことをずっとこだわってる自分自身も

よく分からない。

 

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実家には、小さな庭がある。

カラフルな花が季節で顔をだし、木は空に向かって枝をのばす。

ときに枯れたり、葉っぱを散らしたり。

大輪の椿がパーッと咲き、何日か後にはポッキリと落ちたりする。

 

大人になったある日、

実家の木々の葉っぱの色鮮やかさに、心がドキッと脈をうったことがある。

それは雨あがり。水にしっとり濡れた木々の緑が

生命エネルギーをたっぷりと色濃く湛えていて、

それがあまりにも生ナマしくて、

正直、すこし怖かった。

 

いまのわたしの部屋を満たすものは、

パソコン、テレビ、机、CD、本、楽器……。

それらは、自分で息をし、自分で成長しているような生物ではない。

気づかないうちに背丈が伸びていたり、

水をあげないと死んでしまったり、

毎年同じ時期に花を咲かせたり、

寿命がくると生命を絶ったりするような

そんなものではない。

息をせず、便利にわたしの指示に従ってくれる無機質なモノ。

 

いつの間にかわたしは、

そんなモノたちと自分を同化してしまっているような気がする。

手入れをしなくても、電源さえ入れれば、いつも動いてくれる強固なわたし。

壊れれば、修理をしすればいいし、

すっかり動かなくなれば、誰かと交換が可能な、使い捨てのわたし。

無機質なモノという仲間に囲まれていると安心し、

うごめく生命のエネルギーの前では圧倒され、

不安を覚えるようになってしまった。

 

本当は、わたしは人間なんだよ。

息をして、ご飯をたべて、エネルギーを発している生命体だよ。

パソコンよりも、大きな木のほうがずっとずっと仲間なんだよ。

パソコンルームよりも、ジャングルのほうが、

居心地がよく感じられるはずなんだよ。

 

机、椅子、窓……そんな、めったなことが無い限り、

その機能を失うほど破損することはないものと、

わたしを一緒にしないで。

 

年月がたてば必ず歳を取り、肉体は衰えて、

意識は変化し、生き方も変わる。

それが人間という生命体。

 

きっと自然のなかで暮らしていた昔の人は、

そういうことを肌で知っていたのだろうな。

生があれば死があり、それは自然の法則だということを

自然のなかで他の生物体と接して、実感していたのだろうな。

 

きっと自然と接しないということは、

己をコンピューターにしてしまうのと同じことなんだろうな。

 

 

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豆腐料理の店に取材に行った。
「全国のいろんな大豆で豆腐を作ってみましたが、
 どんなに名の知れた大豆でも、1種類だけでつくる豆腐はおいしくない。
 いや、ひと口目はいいんですよ。でも食べ続けると必ず飽きる。
 それに比べて、何種類かの大豆をブレンドしてつくる豆腐、
 これこそが、味の深みがでてうまいんです!」
 
たしかに、カレーのルーもいくつかの銘柄を混ぜるとコクが増すと聞くし、
わが家の朝は、ダージリン、アールグレイとブレンドした紅茶を飲んでいる。
 
文化だって、人種だって、生物だって、
時間が経つにつれ、いろんなブレンドが起こり、変化しあって、
新しい価値を生み、進化を遂げている。
 
もちろんこの進化は、いい意味でも、悪い意味でもない。
その名のとおり、進化し発展することである。(広辞苑より)
 
でもたぶん、わたしはブレンドが好きだ。
いろんなものが混ざり合って、新しい世界を見るのが好きだ。
新しい世界にたどりついて、
今までいた場所の美しさを顧みる瞬間もとても好きだ。
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友人おすすめのレストランに行った。
アンティークな色調に包まれたオープンテラスのお店。
北京ダックが首でビニョーンと吊られた厨房がガラス越しに見え、
活気あふれる中華料理店だった。

そこには、色とりどりの絵が飾ってあった。
深い緑で、ツタや葉っぱが描かれた植物。
カラフルな色が、画用紙から浮き出ているような花々。
細かく描写され、今にもフォ~ンと音を鳴らしそうなクラシックカー。
壁のいたるところに絵が飾られ、
レストランは、画廊のようにもなっていた。

この絵は、知的障害をもつ人々が描いた絵だ。
お店のオーナーが絵を気に入って、
彼らをデザイン部門のメンバーとして「雇用」したのだという。

絵のことなんて、なんにも分からないわたしだが、
彼らの絵を見て、心がジーンと震えた。
彼らの絵に、ひとりひとりの心を感じる。
彼らが目にした風景、見つめた曲線、感じている思い、
それをそのまま絵に描き写したような、そんな気がする。

もちろん、技術的にも、とても上手だ。
色の使い方、構図の取り方など、
テクニカルなことも、しっかりと絵の先生のもとで勉強している。
絵のセンスゼロのわたしには絶対に真似できない、素晴らしい絵ばかりだ。

お店のオーナーは言ったそうだ。
「慈善じゃないよ。彼らの絵が好きだから」
その言葉どおり、お店にもウェブ上にも、
誰が絵を描いた、などという紹介文はどこにもない。
ショップカードやメニュー表にも堂々と絵が使われていて、
オーナーの思いを感じた。

彼らは「雇用」されたという。
一般の人々と同じように、仕事の成果を要求され、
それに対する給料をもらえる。
それは、作業所、という知的障害の人が働く場所では、
もらえる給料が1000円単位で、
多くの人が国や親からの補助で生活しているという現状からみれば、
思いもよらない出来事なのだろう。
そのぶん責任も重いし、面倒なことも起こるかもしれない。

それでも、「雇用」されたという事実はすごいと思う。
自分でお金を稼ぐということは、何よりもの独立だとわたしは思う。

昔も今もわたしは、「無償のボランティア」というのが、どうもしっくりこない。
お金をもらうとなると、シャキッとなり、
お金無しとなると、なんとなくダラケてしまう自分がいて、
「わたしって、意外とお金至上主義だ……」と自己嫌悪になったりもする。

でも今回彼らの絵を見て、そうだったのか!とハッとした。
わたしが疑問に思っていたのは、無償への違和感じゃなかった。
ボランティアという言葉の裏にひそむ、
強者弱者の関係が嫌だったんだ。

やってあげるという立場。
やってもらうというお願い。
それは、主従関係にも似た、権力の強弱のように感じる。
もちろん全部がそうではないけれども、そういう関係はたしかにある。

その強弱の関係を打ち破るひとつの方法が、お金だ。
ある行動に対しての、対価の支払い。
お金を支払うことでやっかいな権力関係は消え、
ある意味において、間違いなく、対等な立場になる。

以前、ブログを始めた頃に書いた、
北海道の「べてるの家」では、知的障害をもつ人々が商売をしている。
彼らは彼らのルールで、きちんとお金を稼いでいる。
きっとその事実が、べてるの人の思いを世に広めた理由のひとつだと思う。

もちろん、権力の強弱を無くすのは、なにもお金だけじゃない。
彼らのもつ才能や、わたしたちには思いもよらない考えや気持ち。
そういうことを知り、思いを馳せることで、わたし自身の世界も広がる。
そういうことも、対等な関係に導いてくれるものだと思う。

わたしは誰に対しても、対等な立場でいたいと思っている。
なぜなら、わたし自身が、そういう関係で接してほしいから。

わたしには、たくさんの尊敬する聞こえない人がいる。
彼らのような巧みな話術はわたしにはできないし、
空間をそのまま体で描写するような豊かな表現力や
絶妙なモノマネの上手さに、いつも感動している。
そういう気持ちが、わたしのなかの彼らとの対等な関係につながっていると思う。

たぶんきっとそんな仕組みは、意外と簡単にできるんだよ。

社会常識や、こうあるべき、というモノ差しではなく、
ちょいとひねって遊んでみる。
すると思いも寄らないところから、ポンとなにかが生まれる。
それは人のつながりという財産かもしれないし、
お金という経済効果かもしれないし、
ひとりの人物の独立という輝きかもしれない。

まっとうな福祉や社会保障充実もいいけれども、
社会の民間の仕組みは、世の中の大きな流れをもたらしてくれる。
うまくいけば、みんなが住みやすい世の中につながるかもしれない。

彼らの絵に包まれたレストランは、
とても居心地が良く、また来たいと思うほど
鮮烈な印象をもたらしてくれた。

そこには不思議なほど自然に、
みんながハッピーな法則が息づいているような気がした。

     2005年 5月  由木 音

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ヘッドホンから音が漏れる。

かなりの大音量で聞こえてくるのは、妙な機械音。

「ツツツタンツツタン」「タッタッタッタ」

同じテンポでくり返されるドラムようなリズムに

ときおり何かの機械音が、かぶさり、

そのたびに、ヘッドホンの持ち主は頭を揺らす。

 

小さく横にブンブン。

中くらいに横にバンバン。

角度を変えて、縦にガンガン。

 

わたしにとって聞き慣れない音楽だからなのか、

この妙な機械音を耳に直接とどろかせ、

ときに頭を動かし、目をグイッと見開いて窓の外を見つめている彼が
ちょっと怖かった。

「機械の星からワープしてきた、瞬きをしないマシーンマン」と

遭遇した気持ちだった。

 

そして、次に現われたのは、

「6歳にて色気を放つ、おさげ美少女戦士、プリティ」

 

はじめわたしの横に立っていた彼女は、

居心地が悪かったのか、スタスタとバスの降り口近くに

移動していった。

 

手すりにもたれて立つ。

バスが揺れるたびに少女は手すりに全身をあずけ、重心をささえる。

そのたびに、茶色でやわらかいおさげの髪がハラリ。
その姿がとても美しくて、かわいくて、そして色気もムンムンで、

近くにいた大学生ぐらいの若者は、すっかりドキドキ。(のように見えた)

少女を見下ろしながら、ニッコリ微笑んだりしている。(これは本当に)

 

親密な空気が流れるふたりの間。

つかのまの愛の劇場。

「揺れたり、危ないことが合ったら、オレが守ってやるよ」

「ハイ、お兄さん。頼りにしてます」

 

そんな契約が心のなかで交わされ、少女は安心、若者は戦士気取り。

 

しかしバスの終点で、その契約はブッチリ終わりを告げ、

お互い右左に歩き出す。


つかのまの空間と時間を共有したものたち。
そんな瞬間のひとときでも、こんなに色んな人がいる。
わたしの頭で想像できるタイプ以外の人がいっぱいいる。

いっぱいいるってことが、良いとか、悪いとかを超えた真実。

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