久々のブログは、私の大事な OHANA PROJECT、略してOPについてだ。
実はこのテーマでのブログは初めてになる。
ご存じのとおり、私には16歳になる重度自閉症で知的障害をもつ、非常にユニークな娘がいる。
1歳10か月で診断を受け、5歳まではシングルマザーで育ててきたが、現在は再婚して夫と二人で彼女を育てている。
2行で済ませた診断から今までの経緯だが、孤軍奮闘、紆余曲折、暗中模索、苦心惨憺、四苦八苦、悪戦苦闘、四面楚歌・・・・・四字熟語だけでもいろいろ思い浮かんでくる今までの道のりだ・・・・。
そういえば、シングルマザーで彼女を育てていたころ、何度となく心中しようと思った。
孤独だった。
だれも、自分たちの苦しみを分かってくれないと思っていた。
が、そのときも、<正しい誰か> が現れ、導かれ、救われた。
求めよさらば与えられん
私は無宗教だ。
なので、この言葉の意味は
「物事を成就するためには、与えられるのを待つのではなく、みずから進んで求める姿勢が大事だということ」
と、とらえている。
助けてください、と求めたら療育センターのスタッフさんや、同じ境遇のママともたちに苦しみを一緒に背負ってもらって、なんとか立ち上がることが出来た。
求めたら、道が開けていった。
今も意思疎通が難しく、コミュニケーションスキルはほとんどない娘ではあるが16歳になり、養護学校卒業まで2年を切ってしまった。
さて、困ったのだ。
卒業後、どうやって彼女は生きていけばいいのか?
最重度の障害をもつ彼女は、就労は選択肢にない。
家で過ごすにしても必ず誰かの目が必要だ。
生まれてこのかた、療育センターから養護学校へ進み、地域の学校に通った経験もなく、まして兄弟もいないので、この地域に友達も知り合いもいない。
いるのは、お世話になっているデイサービスのスタッフさんや、学校の先生。
非常に小さい世界で生きている。
娘にどんな障害があり、どんな特性で、どう接したらよいかをしっている地域の人はほとんどいない。
これでは、親亡き後も地域で生活していくことは不可能だ。
施設に入り、その世界の中で人生の終わりまで、ある程度予想のつく生活を障害者年金のなかでつつましく送っていくのだろう。
しかし、その施設もどこも飽和状態に近づいており、多かれ少なかれ問題を抱えている。
待っていても与えられない。自らなんとかしなくては!
そして、このような環境下にいる障害を持った人たちはコミュニティーに大勢いるのだ。
なので、これは地域にとっても大きな問題。
そして・・・・
私の考えは数年前から、
他力本願をやめて自分でなんとかしてやろう!
と思うようになってきた。
だって、
障害者の親になったからって幸せになれない社会なんておかしいんじゃないか?
安心してどんな子供も生きていける社会を作るって「大人」の責任なんじゃないか?
障害者に「ほどこす」んじゃなくて、障害者も一緒に地域で生きていける「しくみ」をつくっていくのが本来の福祉の考え方じゃないのか?
ってどんどん「思い」が折り重なってもう心の中にこれ以上しまっておけなくなってきてるから。
でも、女一人で出来ることなんてしれてるし、大きなことを語ってもなかなか現実的でない。
そこでOHANA PROJECTを2年ほど前に立ち上げた。
コミュニティー全体が家族的にいろんな方向から交わって、障害者もそれを支える人も楽しく仕事が、生活が出来る 「しくみ」。
福祉の仕事がかっこよくて、やりがいがあって、ながく続けられる魅力的な仕事の創出。
まだまだ具体性に欠けるけれど、青写真は出来ている。
それを、地元のコミュニティーで実現させたい。
世界の、重度自閉症・知的障害者を抱えるコミュニティーの取り組みのモデルになるような、作るんだったらおもいっきり良いものを作り出したい。
10年後、20年後に、いろんな人が私たちの先駆的な取り組みを参考にしたいと見に来てくれるような、そんなプロジェクトをこれからスタートさせたい!
それには、多くの人の協力が必要だ。
多くの「正しい人」との出会いが必要だ。
まずは、このブログを読んでくれた人で知恵を貸してくれる人、手を貸してくれる人、出資してくれる人、一緒に汗をかいてくれる人がいたら、そのどれか一つでも協力できるという人がいたら、私に声をかけてほしい。
OHANAのメンバーになってほしい。現在10人程度のメンバーで月に一度程度の割合で勉強会をしている。
多くの人の気持ちでこのプロジェクトは育っていくと思うし、必ず良いものが出来ると思う。
是非、
何かを作り上げていくその過程を一緒に体験し、実現させていく喜びを分かち合おう!
この新しいプロジェクトが実現することで、関わったすべての人が幸せになれると信じているので、是非、力を貸してください!
日本中、世界中のひとにサポーターになって頂きたいと思っています。
女湯。
女だけの、裸の園。
老いも若きも皆んな裸の女湯での色んな事を、全く自分勝手な私感と独断とちょっとの偏見をもって書き綴ってみる事にする。
ここでの人間観察はことのほか、有意義で楽しい。
女湯では誰もがきっと、その大きな鏡に映る自分の身体と、他の裸の女体を比べ優劣をつけているに違いない。
今日は昼間の空いている時間に温泉に入ったのだが、10人ほどの女性たちと一緒だった。
年齢層は、25歳から80歳といった所だろう。
若い✨というのはそれだけで美しい。
今日見た20代らしき女性は肌がツヤツヤしていた。
が、おもむろに髪をかきあげた時にその健康的な両腕の付け根から貝割れ大根並に脇毛がはみ出していて一瞬ガン見してしまった。
え?
夏だし、半袖にもなるだろうに。
あ、もしかして最新のファッション?
マドンナもそーいえば生やしてたっけ?
しかし、黒々してど肝を抜かれてしまい思わずトリートメントで洗顔してしまった。
あっと言う間に洗髪を終えた貝割れちゃんは結構、男らしくザバーンとお湯に入り目を瞑って瞑想を始めた。
きっと、彼氏は今いないだろう。
私は、顔を洗い直しながら鏡に映る自分のお腹がチョと残念な感じだけど、胸は綺麗だよね❤️とか自分を励ましながら洗髪を始めようとしていた。
洗い場には私1人。
私は端っこにいたので、まさかピッタリ横に誰かが座るなんて思っても見なかったから、60代の超~ふくよかな女性が真横に座った時には不覚にもシャンプーが目に入ってしまうくらい驚いた。
ものすごーーーく、洗い場はガラガラなのに、何故かふくよかさんは、私にピッタリくっついてムダ毛処理を始めた。
えーえーえー!
いきなりカミソリいっちゃいますか!
せめて石鹸つけてー!痛そうよ!
ふくよかさんは、私のお腹よりさらに分厚く横に3つに割れていた。
でも、歳の割には胸が美しかった✨
なんか、ピンクで眩しかった。
まけてられないな、と気合いが入った一瞬だった。
彼女、寂しがりやかな?
さて、露天風呂には70代から80代の女性たちが数名タオルを頭に巻いて入っておられた。
人間の皮膚はここまで下垂するのだな、と生物学的見地からも色々考えさせられることも多く、今後の自分への心の準備が出来た。
今日は腰痛のため、ゆっくりお湯につかりすぎ脱衣所で倒れかけた。
直ぐさま、50代の女性が親切にも声をかけてくださった。
それから世間話になり、彼女のお嫁さんの話や愚痴を一通り聞いてあげたりした。
私の肌がキレイだ、とえらく褒めて下さり使っている石鹸や基礎化粧品を聞かれたりした。
彼女の日常のストレス、少しは解消出来たかな?
とまあ、とりとめのない女湯事情だったがここまで読んで下さってありがとう。
まとめ
女湯は女同士密かに身体チェックの場。
なのかもしれない。
どんなに歳をとっても女はオンナなのだ。
男と女。
生物学的には、この地球上にはこの2種類のSEXしかないわけで。
中間的なSEXの人たちもセクシャルマイノリティーとして確かに存在するし、ジェンダーという社会的意味合いから見た、男女の性区別ということで言えば、単に生殖機能がどっちだということだけでなく、多様性があるように思うわけですが。
子供のころ、「男に生まれたかった?女に生まれたかった?」の問いには間髪入れず、「男!」と答える自分がいました。
理由は簡単。
「女の子なんだから、〇〇しなさい」
「女の子はそういう言葉は使わない」
「女の子は制服がスカート」
などという、「女の子はこうあるべき」的な、社会からの押しつけが苦手だったんだと思います・・・。
だからあえて、男の子のような言葉使いをしたり、スカートをはかなかったり、ピンクや赤を避けたりと、可愛い抵抗をしていたっけ。
今ですか?
ピンク大好きです!
可愛いモノが大好きです!
イケメン、大好物です!
重いものは男子に持ってもらいたいです!
壁ドンとかにあこがれます!
あ~、女に生まれてよかったな~と実感しています。
女子はそうとう男子より「賢い」と思います。
ポテンシャル高いです。
女の体から、男も女も生まれ出てくるんです。
すべての起源はやはり女性なのでは?と思っています。
どんなに優秀で強い男性も女性から生まれてくる。
この世の中はやはり女性が強く、賢く、可愛く、美しく、清く、ときにズルく、回していかないとだめなんだろうな~って思ったりしてます。
その女性たちが回してる世の中を自由に泳いで行く男性たちが、時には世界を変えたり、リードしたり、守ったりしているのが理想的な世界なのかな~と、変なことを考えている今朝の私です。
まとまりありません。
多分、南信州女性100人会議に出席して女性ってすごいわ~と感じたからかな?
ま、とにもかくにも。
男と女、なかよくやっていきたいですね!wwwww
生物学的には、この地球上にはこの2種類のSEXしかないわけで。
中間的なSEXの人たちもセクシャルマイノリティーとして確かに存在するし、ジェンダーという社会的意味合いから見た、男女の性区別ということで言えば、単に生殖機能がどっちだということだけでなく、多様性があるように思うわけですが。
子供のころ、「男に生まれたかった?女に生まれたかった?」の問いには間髪入れず、「男!」と答える自分がいました。
理由は簡単。
「女の子なんだから、〇〇しなさい」
「女の子はそういう言葉は使わない」
「女の子は制服がスカート」
などという、「女の子はこうあるべき」的な、社会からの押しつけが苦手だったんだと思います・・・。
だからあえて、男の子のような言葉使いをしたり、スカートをはかなかったり、ピンクや赤を避けたりと、可愛い抵抗をしていたっけ。
今ですか?
ピンク大好きです!
可愛いモノが大好きです!
イケメン、大好物です!
重いものは男子に持ってもらいたいです!
壁ドンとかにあこがれます!
あ~、女に生まれてよかったな~と実感しています。
女子はそうとう男子より「賢い」と思います。
ポテンシャル高いです。
女の体から、男も女も生まれ出てくるんです。
すべての起源はやはり女性なのでは?と思っています。
どんなに優秀で強い男性も女性から生まれてくる。
この世の中はやはり女性が強く、賢く、可愛く、美しく、清く、ときにズルく、回していかないとだめなんだろうな~って思ったりしてます。
その女性たちが回してる世の中を自由に泳いで行く男性たちが、時には世界を変えたり、リードしたり、守ったりしているのが理想的な世界なのかな~と、変なことを考えている今朝の私です。
まとまりありません。
多分、南信州女性100人会議に出席して女性ってすごいわ~と感じたからかな?
ま、とにもかくにも。
男と女、なかよくやっていきたいですね!wwwww