自分で自分を許すこと、愛すること


誰の許可もいらなくて


ただ自分で許すだけ、愛するだけなのに。


自分にとって


自分という存在よりも


他人、世間という存在の方が大きいから。


自分を愛したり、許したりする権限を


他人に渡しているから。


自分は自分にとって、力の無い存在だって無意識に思っているから。


だから難しくなっている。


自分のことは、自分で許していい。


自分で愛していい。


誰の許可も、必要無い。


他人から許されないことが苦しいのではなく


自分から許されないことが、苦しみの原因。


自分から愛されないことが、原因。


自分で自分を許すことは


他人から許されることに比べて、価値の無いことだって


本当は、逆。


自分で自分を愛することより


他人から愛されることの方が価値があるって


本当は、逆。


今の自分を許し、愛することが出来ない、そのことに強く直面した時に


私は、手当たり次第、新しいことに手をつけてきた。


今の自分を愛することが出来ないから


どうしたら自分から愛されるんだろうって焦って


資格を取ろうとしてみたり


人生変える系のことに手をつけたり。


自分史上、何かすごいことを成し遂げれば


きっと自分に愛してもらえるようになる


そう思ったから。


でもそんなの、愛なんかじゃない。


これを成し遂げたら、愛してあげる。


それは、愛じゃないよね。


条件があるってことは、愛じゃない。


自分を愛することに


必要なもの、って無いはずなんだよね。


あとこれが必要、みたいなの。


あったら、愛じゃないのよ。


愛するために、あとこれが足りない、なんてものは無いのよ。


自分からの愛を感じて生きるのに


そのための努力って、あってはいけないのよ。


他人からの承認の上に成り立っていてはいけないのよ。


自分で設定した条件の上に成り立っていてもいけない。


愛は、もう今、自分の中にある。


私という意識が存在した時から。


今に至るまで。


いつもあるのよ。


無くなったことなんか無いのよ。


でもどうして、無いように感じるのか。


その存在に、気付いていないだけなの。


何も意識しなくたって


私の全細胞が生きる活動をしていること


私の意識が、この宇宙に存在すること


必要だから生み出された、私という存在。


何のために?


ただ、必要だから。


だから生み出された。


この宇宙空間の中に。


何のために?って思うのは


何か凄いことを成し遂げなければ自分には価値がない、と勝手に思っている自分の発想なんだよね。


必要ってことは、何か特別な理由があるはずだ、って。


何か特別なものを持っている人だけが、何かから必要とされるんだ、って。


ただ存在しているだけでは価値は無い、愛するに値しない、って。


自分は、人からの承認を受けなければ価値のない小さな存在だ、って。


自分を愛したいと言いながら、条件だらけなんだよね。


もう全然、愛なんかじゃないの。


愛するとは、それらの条件を、全て外すことです。


私の中の私は、そんな条件なんか一つも無しに、初めからいつも、私を愛しています。


これを成し遂げないと


こうならないと


こうでなければ


そんな壁に次々と直面し


クリアして自分を愛せるようになるぞと挑戦するたび


どうにもこうにも挫折してしまう経験を繰り返すのは、どうしてでしょうか。


自分を愛するために必要なのは


条件をクリアしていくことなんかではなく


その条件を、全て外すことなんだと、気付くためなんだとしたら。


私という存在の価値は、そんな条件をクリアすることによって満たされるような、そんな次元の存在ではないんだと、気付くためなんだとしたら。


私は今まで、経済的自立をしようと、やりたくもないことに挑戦してきました。


どうして、やりたくもないことに大金をはたいたのか?


経済的自立をしたかったからです。


どうして、経済的自立をしたかったのか?


経済的自立をすれば、自信が持てると思ったからです。自分を愛せるようになると、思ったからです。


私がしたかったこと。


それは、経済的自立ではありません。


自分を愛すること、なんです。


だから、挫折したのです。


自分を愛するということは、そういうことではないんだよ、ということなのです。


これを成し遂げたら自分を愛せる


それがすでに、愛では無いのです。