人は何故怒るのか? | 酒の友は我が友也

酒の友は我が友也

酒好きで女好きとの評判な筆者が、意外と適当じゃないことを綴るブログ。
きっと何か発見がある。たぶん、本を買うより安上がり。
合い言葉は、『愛だろ?愛』

人間は基本的に自己中心的な生き物だ。
このことについて異論がある人は少ないと思う。
どれだけの主義主張があろうとも、価値観があろうとも、
それは主観的であって客観性には乏しい。

“怒り”について何度か書いたことがある。
結論としては、「恐れることなく怒ればいい」
「それで切れる縁なら、所詮その程度の縁ということだ」
「顔色を窺ってばかりで、何が楽しいか。面白いか」
「怒りの感情をぶつけた時、相手の真価が判る」
Are you angry? より

しかし、怒ることが常習化してしまってはいけない。
要するに、「怒る時は怒る。けど、無闇には怒らない」
何故なら、時間の浪費、体力の浪費、精神力の浪費だから(3R)
それに、怒ることが常習化したら、相手は萎縮して本音を言えなくなるし、
関係自体が、ぎくしゃくしたものになるだろう。
だから、無闇に怒ってはいけない。

では、人は何故怒るのか?
そこの部分について、少し考える。
譲れない思いや主義主張がある場合は解る。
不当な扱いを受けたと感じた時なども解る。
怒るポイントはいくらでもある。

しかし、根底にあるのは…。
答えは簡単。自己中だから怒る。
自分の思い通りにならないから怒る。
思い描いていた展開と違うから怒る。
基本的には、自己中の為せる業だ。

世の中は思い通りにならないことの方が多い。
ましてや、他人を思い通りに動かすことは難しい。
他人は他人の考えがあって、自分自身の“駒”ではない。
そこを上手く動かそうと思うのなら、それなりの努力が必要だ。
が、その話は今回のテーマではないので割愛する。

ここで、以下の考え方が生きてくる。
「違うことを前提で話をするのと」
「同じことを前提で話をするのでは大きな隔たりがある」
「国、人種、性別、環境、その他諸々、全く一緒の人間は存在しない」
Are you angry? より
この前提を頭に叩き込んでおけば、無闇に怒ることはなくなる。
怒りに頭を支配されることはなくなる。

話が少々逸れるが…。
叱られているのに、よく「怒られるから…」と話す人がいるが、
この言葉が出る時点で、その人は相当自己中だ。
何故なら…“怒ると叱る”は本質的に全く違う。
“怒る”は自分の感情を優先させ、それをぶつけること。
“叱る”は相手の為を思って諭すことだ。

叱られているのに、怒られていると感じる時点で、
相手の思いを汲み取ろうとせず、自己中が幅を利かせている証拠。
自分という殻に閉じこもり、排他的な考えが頭を支配している。
そして、これは相手のことを認めていない証拠でもある。

主義主張や意見をぶつけ合うのはいい。
むしろ、それは個人的には歓迎すべきことだと思っているが、
どんな場面でも一方通行にならないように気を付けて欲しいと思う。
相手をねじ伏せるのではなく、相手の意見を取り込む。
取り込んで新しい枝を伸ばしていく。
それが理想ではないだろうか。

怒りのパワーは、上手く使いこなせば強力な武器(モチベーション)となるが、
使いこなせず振り回されるようでは、相手ばかりか自分自身も傷つけてしまう。
そういう意味では、怒るときも、どこか常に冷静な自分を持っていて欲しい。
それが、結果として互いの関係を深め、枝葉を伸ばすこととなる。
本音を言い合えるのと、怒りをぶちまけるのは似て非なる。

あなたは怒りに振り回されていませんか?