エスのあったところに自我をあらしめよ。

 

 

とはフロイドの残した有名な言葉だが、いやはやシグムンド。まさかこの映画でまたお前の世話になるとはな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

え?まだ見てないって?

 

 

この記事を開いたあなたなら、エウレカシリーズを一度も見たことがなかったとしても、キャラクターやロボットのビジュアルくらいはうっすら知っているでしょう。

 

 

 

 

 

 

なんなら2005年にヒットした第一作以来、色々なメディアミックスや続編が作られたことも知っているでしょう。

 

 

それで十分です。

 

 

本作は京田知己監督自身が述べている通り、同窓会映画ではない。

 

 

賢明な諸君が筆者の今年No. 1映画を劇場で見逃さない事を祈る。

 

 

 

 

 

 

以下、『ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』のネタバレが含まれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじをざっくり振り返ろう。覚えてる人はとばし可。

 

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舞台は地球。14年前に突如出現した巨大スカブ「エウレカ」は73の国と26億の人類を滅ぼした。エウレカ撃退のために結成されたASSIDは死闘を繰り広げるも未だ戦果なし。

 

人類が滅亡の危機に晒される中、ASSIDは最後の戦力で現在東京に出現した7番目のエウレカ、通称エウレカセブン(with ニルヴァーシュX)に挑む。

 

7年前に父を亡くした少女アネモネはダイブシステムによるエウレカセブン内部への伝送に成功。14年間負け続けていた人類はエウレカセブンの一部撃退に成功する。

 

アネモネは父の残したA. I. エージェントドミニクと共にダイブを繰り返す中でエウレカセブンの中心である少女エウレカと遭遇する。

 

エウレカは夢を現実化出来る能力「シルバーボックス」を持っていた。最愛の人レントンが死んでしまいエウレカはシルバーボックスを発動したが、何度エウレカの世界をやり直してもレントンは死んでしまうのだった。人類を滅亡の危機に追いこんだ巨大スカブはエウレカのあまりにも強力なシルバーボックスの力の残滓がアネモネの世界にも現れてしまったものだった。

 

エウレカを救う決意をしたアネモネはガリバー・ジ・エンドに乗り込んでエウレカセブンと戦い、再度ダイブ。

 

レントンのいない世界に生きていても意味がないから殺してと言うエウレカ。あなたをそうさせた呪いに立ち向かいなさい、立ち向かうならば私はあなたのそばにいてあげると言うアネモネ。

 

崩壊を始めた世界から脱出する二人。エウレカを失って崩壊していくエウレカセブン。エウレカの世界とアネモネの世界が統合されていく。

 

姿を現したニルヴァーシュZの胸にはEUREKAの文字。それはこの世界のどこかにいるレントンからのメッセージだった。

 

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主人公アネモネには監督の自我が、事実上の悪役であるエウレカには監督のエスが、それぞれ投影されているのは誰の目にも明らかだろう。

 

 

 

 

 

 

それだけではない。本作の面白い所はアネモネ世界そのものが監督の自我エウレカ世界そのものが監督のエスのメタファーになっているところである。

 

 

例えばアネモネ世界の日本政府によるアネモネ父の死の隠蔽工作は、父の死から目を背けてしまうアネモネ自身の心象がそのまま世界に反映されたものだ。

 

アニオタの人に分かりやすく例えると本作におけるアネモネエウレカはそれぞれの世界における涼宮ハルヒ的存在といえるだろう。

 

 

 

 

 

 

7年前に戦死したアネモネの父は、2012年にエウレカセブンAOを作り自分としては正しいと信じることをやったが社会的には敗北を喫した監督の過去の姿である。

 

 

父の死を受け入れられないアネモネはAOで敗北を喫した過去を受け入れられない監督を表している。

 

 

アネモネとその父親に対してある事ない事騒ぎ立てる一般大衆やマスコミは、文句ばっかり言いやがるアニメオタクの観客であろう。

 

 

 

 

では、アネモネ世界に出現したスカブコーラルエウレカセブンは一体何を表しているのか?

 

 

 

筆者はエウレカセブンは、抑圧されていた監督のエスが自我に回帰した結果噴出した症状(ex. ヒステリー、強迫観念)のメタファーではないかと考える。

 

 

 

「…こうなれば、エスと自我との間には、友好的な関係はすでにたもてなくなってきている。それでも、衝動は執拗に、エネルギッシュに衝動目標を達成しようとしつづける。衝動は自我から批判され、変容をせまられるので、尋常な方法をすてて、奇襲作戦をこころみ、自我を圧倒し、満足をえようとする。衝動がこのような敵意にみちた侵略をするから、自我は疑いぶかくなる。自我は反抗作戦をこころみ、逆にエスの領域のなかに侵入してゆこうとする。自我の反抗作戦の目的は、衝動を永久に沈黙させることである。自我は適当な防衛法を利用して、衝動の侵略をふせぎ、自分自身を維持しようとする。…」 

(A・フロイド著、外林大作訳、自我と防衛 p.10, 11より)

 

 

 

これはまるでこの映画の中で行われているASSID(アネモネ世界)エウレカセブン(エウレカ世界)の戦いそのものではないか。

 

 

監督は2005年にエウレカセブンを作って以来、ずっとエウレカシリーズの続編を作り続けてきた。その様子は本当は第一作を自分の思い通りにやり直したいのだが、会社の事情でそれは許されないので代替物を形成する強迫神経症のようだといえなくもない。

 

 

この第一作以来ずっと抑圧されてきた監督のエスが、本作でレントンを生き返らせようとシルバーボックスを発動して何度も世界をやり直すエウレカに投影されているのは言うまでもないだろう。

 

 

この神経症的状態を治すにはどうすればよいか。

 

 

シグムント、キミにきめた!

 

 

 

 

シグムント♂ 「シグ~!」

 

 

 

エスのあったところに自我をあらしめよ」

 

 

エウレカのあったところにアネモネをあらしめればよいである。

 

 

エウレカの脱出後に崩壊していくエウレカセブンは監督の症状の消失を意味する。

 

 

思えばエウレカセブンが露骨にエヴァ・ゴジラ的なルックスなのは、自分がオリジナリティを欠いた庵野秀明のエピゴーネンに過ぎないのではないかという監督自身のコンプレックスの表れとも読み取れるだろう。

 

 

 

 

 

 

ニルヴァーシュZの巨神兵オマージュは監督が庵野のフォロワーである事をコンプレックスから誇りへ昇華できた証である。

 

 

最後に一点。

 

 

筆者は本作におけるアネモネとエウレカが涼宮ハルヒ的存在と先述したが、アネモネはシルバーボックスの能力を持っていない。ただアネモネ世界にゲートが出現してA. I. ドミニクやガリバー・ジ・エンドが現れる下りはどう考えてもシルバーボックスの能力としか思えないのだが、この辺はクライマックスだから許される奇跡といったところだろうか。

 

 

 

 

本作は昨今全世界的に蔓延しているリメイク、リブート、続編商法に関して誰よりも思いつめてきた京田監督だからこそ辿り着いた見事なアンサーである。

 

 

もう夢なんて見なくていい。

 

 

 

衰退の現実から目を背け、やれオリンピックだ万博だとのたまうこの国に今一番必要なメッセージではないだろうか。