※ネタバレ注意

 

 

これを読んでそんな馬鹿なと思うであろうそこのアナタのために、ワタシは今このブログを書いています。

 

まずは懇切丁寧に『ワンハリ』を振り返ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔は活躍してたけど今は落ちこぼれの主人公 リック

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな主人公を褒めて助けてなんでもしてくれる相棒 クリフ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人公の隣人美女 シャロン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか閉鎖的で感じの悪いムラ社会女集団 マンソン・ファミリー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後これは筆者独自の解釈だが、この映画の終盤、リックはLSDをキメながら犬の散歩に出てマンソンファミリーの車とすれ違ったところで殺されている。夜道だが街灯がともっている(=顔が見える)事が長めのカットで映されていたし、ラストのあの荒唐無稽なリアリティラインのジャンプもリックが殺される間際にLSDでトリップして見た幻覚だとすると納得がいく。

 

繰り返し強調したいのはリックはマンソンファミリーに殺されたのだという事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい昔は活躍してたけど今は落ちこぼれの主人公

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はいそんな主人公を褒めて助けてなんでもしてくれる相棒

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい主人公の隣人美女

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はいなんか閉鎖的で感じの悪いムラ社会女集団

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』はアメリカ版『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』である。

 

 

 

 

 

 

嘘だと思ったら見比べていただきたい。だってカヲル君がシンジ君のウォークマン(ペニスの象徴)を修理してくれたみたいにクリフはリックの家のアンテナ(ペニスの象徴)を修理してくれるんですよ。WILLEマンソンファミリーもどう見ても監督から見た感じの悪いフェミニズムの象徴だし、主人公のほとんどイマジナリーフレンドと言っていい相棒が最終的に敵対してる女集団の策謀で死んじゃうところまでまっっっっっったくおんなじ。しかもシャロンテート事件1969年初代ウルトラマンが放送されたのは1966年から67年なんすわ。本当なら「『ワンハリ』はアメリカ版『ヱヴァQ』だ!」と高らかに宣言したいところなのだが、悲しいかな現在日本国はアメリカ合衆国の誇り高き植民地(奴隷根性)なので日本政府は今すぐにでも庵野秀明に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・円谷プロ』に強制改題させるための法律を立法しなければならない(奴隷根性)。

 

とまれ敵味方も善悪も、というか脚本レベルでの作劇すらわけワカメでどう見ても混乱していた『ヱヴァQ』に比べると、その成熟ぶりにおいて『ワンハリ』の方が優れている事は間違いない。フェミニズムに関しても女性に甘えくさって一方的に批判するのではなく、チャールズ・マンソンという最悪役を設定する事によって一定の批評性を帯びているといえるだろう。まぁあの子役の少女を8歳に設定したのはいくらなんでもミソジニーというか、あの少女が12歳(つまり初潮がきてすぐ位の年齢)だったらもう少しミソジニーを脱臭できたのになと思わんでもないのだが。

 

 

多分詳しい人ならこの二作品から更に色々読み解けると思います。もっと分析できそうな人はワタシも読みたいので是非やってください。若輩もん(言い訳)のワタシではこんなもんですが、これ気付いた俺けっこうすごくね!?読んで面白いと思った人はSNSで広めてくだしあ(死語)。

 

ではでは