星の王子様展(ヴェルサイユ) | フランスジェンヌのVIVE LA FRANCE

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南米航空路の開発に尽くした飛行家であり、「夜間飛行」 (Vol de nuit(1931))等を著した作家としても知られたサン テクジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry(1900-1944)、略し てサンテックス(Saint-Ex))の傑作「星の王子様」(Le Petit Prince) は 、 1946 年 フ ラ ン ス の ガ リ マ ー ル 社 (Editions Gallimard)から出版されてより 250 ヶ国語に訳されて(日 本では内藤濯・訳)今日もなお代々読み継がれ、「聖書」と マルクスの「資本論」に次ぐ世界第 3 位の売れ行きを保っ ているそうです。(Il reste toujours le 3éme livre le plus vendu dans le monde après « la Bible »et « Le Capital de Marx »)



1942 年の春、当時アメリカに居たサンテック スは仕事も無く、フランスに戻って飛行家として空軍に加 わり活躍したいと考えていましたが、作家という身分、そ して何よりも既に 42 才という年令がそうはさせませんで した。(L’aviateur voudrait quitter les Etats-Unis pour   aller combattre en Europe, mais son âge,42 ans, et son statut d’écrivain ne le permettent pas.)

そんなある時アメリカの出版社の人とマンハッタンで昼食の折に、話をしながら何とはな しに紙ナプキンに描いた絵をみて「何かイラスト入りで物語を書いてはどうか」と冗談混じりの提 案がありました。
その後ロングアイランドに家を借り、友人のポール・エミール・ヴィクトールが 絵の具箱を贈ったこともきっかけとなって物を書き始めました。
彼の頭の中には 1935 年リビアの 砂漠に墜落した経験、モロッコに居た頃飼いならした子狐のこと、自分達には恵まれなかった子供 の姿の想像、、等が行き交い、ほぼ書き上げたものはコンスエロ夫人が描いた自画像をイメージし た「小さな王子様」でした。




1942 年秋、それ迄に書いたイラスト入りの物語を出版社に渡し、帰 ってきたら「小さな王女様」を書く、と約束して(Il promet alors qu’à son retour il écrira un nouveau conte qui s’intitulera La Petite Princesse.)激しくなってきた戦争の為に空軍に応 召され、サルジニアへ参集して行きました。

1944 年 7 月、空軍機で地中海上を飛行中に行方不明 (後に「私が撃ち落したらしい、、、」というドイツ軍のパイロットが現れたり、漁師の網に“サン テクジュペリ”と読める名前の入ったブラスレットが引っ掛ったり、、、)となってこの世を去るま でに彼自身は出版されたものを一度も見ることはなかったのです。

 出版後 70 年、当展では « le Petit Prince »と作者の横顔、 エピソード等を数々の資料、写真、イラスト、などで紹介 しています。その中にはエールフランスが保管する貴重な 飛行日誌(Carnet de vol)やコンスエロ夫人(Consuelo de Saint-Exupéry)の作品で「星の王子様」のイラストになっ たブロンズ像も展示されています。



2016 年 2 月 28 日迄ヴ ェルサイユ市のエスパス・リショー (Espace Richaud, 78,Boul evard de la Reine,78000 Versailles)にて、火 曜日を除く毎日 12 時―18 時(土、日は 10 時から)入場料 5 ユーロ(26 才未満無料)



Espace Richaud ・・・ルイ 14 世治 下で聖ヴィンセンシオ・ア・ポーロ女子修道会運営の王立 病院、1960 年迄病院として続き、他の病院に統合されてか らは、放置されたまま老朽化が酷く、ヴェルサイユ市が 4 年掛りで改修工事を行い、此の度文化センターとして再開。 特に 1859 年建立のチャペルは見る価値十分と思います。
(菅 佳夫)