フランス滞在3年間のうち、1年ほどは

低所得者層の人たちが住むアパートに

住んでいたことがある。

 

ほとんどはアラブ人やアフリカ人たちで

確かに日本人は私くらいしかいなかったアセアセ

 

一カ月のアパート代が15,000円くらいで

電気も水道代も全部込みだった。

でも、トイレもシャワーももちろん

共同だった。

 

ただし、お世辞にも”快適”とはいえないその

アパートでの体験は、私にとって

ものすごく有意義だったと言える。

 

フランス社会の底辺で暮らす人たちの

暮らしぶりや考え方に触れられたからだ。

 

だからと言って、娘にも住んで来い、とは

とても言えないもやもや

 

アパートの中で売春をしている女性も

いるくらいだったからだ。

つまり、住人を客として暮らす女性も

いるといううわさだった。

 

その女性が誰かまではわからなかったけれど....

 

とにかく、殺伐として誰一人ほかの

人たちと仲よくしようという感じはなかったアセアセ

 

でも、私は自前の好奇心もあって、

アラブの人たちと話すことも多かった。

見た目はともかく、中身は人懐っこくて

いい人も多かったからだ。

 

ある日、話がイスラエルとアラブの関係に

及んだ時、誰かが

 

「ユダヤ人を虐殺したヒトラーは

 よくやった!」

 

と言い放った。

 

ほとんどのアラブ人たちがうなづいた。

彼らにとって、ヒトラーはヒーローのような

存在だということが、私にも伝わってきた。

 

でも私は、その考えに納得がいかなかった。

”人道的”に許せない、とか、そんな

きれいごとではない.....

 

...................で、

思い切っていってみた。

 

「でも、ヒトラーがそんなことをしなければ

イスラエルは存在しなかったかもしれない!」

 

空気がピリピリになったのがよくわかったもやもや

 

でも、何人かのアラブ人たちが私の考えに

大いに賛同してくれて助かったアセアセ

 

「君は正しい、なんてことを彼(ヒトラー)は

しでかしてくれたんだ!」

 

とかばってくれた人もいたもやもや

 

イスラエルの建国について、

私がとやかくいう資格はない。

何があったのか全く知らないし、知識もないからだ。

 

ただ、2000年の長きにわたり

流浪の民としてさまよってきた人たちが

自分たちの国を持つためには

信じられないような犠牲が求められるような

気がする。

 

(パレスチナの地を離れたことは決してない、

というのがユダヤ人たちの持論なのだが)

 

その犠牲が”アウシュビッツ”だったのかも、と

思うこともあった........。

 

あの惨状をみた人たちは、

もうこれ以上ユダヤ人を捨てては

おけないと....

そう思ったのかもしれない.....

 

逆に言えば、やはりあの悲劇が

建国のエネルギーになったのではないのかな....

 

「君の言うとおりだ」

といってくれたアラブの人はシリア人だった。

 

国に帰ったであろう彼の無事を

日本から時々祈っている。

 

.......この話は長く封印していたのだが、

最近の惨状をみるにつけ、なんだか

つい話してみたくなってしまった....

 

どちらがどう、ということではなく、

ただ根深い怨嗟のような感情は

宗教が絡めばなおのこと、

決して溶け合うことがないんだと

あの時も、そして今も、つくづく思う....

 

 

 

 

↓竜安寺の石庭です。壁の黒いシミは

 500年前に練りこまれた油です。