今日は父の四十九日の法要でした。
未だに「もう父がいない」ということの実感がないです。
いつもそこにいて、今日はただそこにいないだけ。
存在感の無さが存在感の大きさでした。
当たり前にいる人だったから、そして当たり前に居続けるはずだと思っていたから、その時は気付かなかっただけ。
当たり前がそうじゃなくなって、あまりにも大きい存在感だったことに気付いたのです。
母は父との思い出を「この間…」とかという表現で私に話します。
本当に母にとっては「この間」まで一緒にいた人。
母の話を背を向けて聞いていても、母が時に涙を流しているのではないか…という様子がわかります。
母は昔から涙を見せない人です。
やっぱり寂しいよね…。
母がどれだけ父を想っていたかなんてわからないけど、母はこれからも心の中であの時のままの父をずっと大事に想っていくんだろうな。
亡くなってからじゃないとわからないことってありますね。
私は父と母の思いを受け継いでいくだけ。
父の名に恥じぬように生きるだけ。
それが私のするべきこと。
今日からまた頑張って生きる。
楽しく生きる。
悔いなく生きます![]()
