私と母の間には

見えない壁があった。

 

私が小学生の頃に離婚して

出て行った母のことを

「お母さん」

と呼ぶことすらできてなかった。

 

そんな母が息子を我が子のように溺愛し、

地元に連れ帰ろうなどということを

本気で考えている。

 

まるで、

私の夫が亡くなったことを

喜んでいるかのような言動に

私は怒りが込み上げてきた。

 


母が手伝いにきてくれると

毎日、口ゲンカをするようになった。


その口ゲンカが次第に激しくなった頃、

息子が風邪をこじらせ

熱性けいれんをおこしてしまう。


 

子どもが白目をむいて痙攣している様子は

今も忘れられず

私のトラウマになっている。

 


何とか熱はおさまったが

その後、どちらが風邪をひかせたかの

責任のなすりつけあいで

母と私は生きるか死ぬかの

大ゲンカをしてしまった。

 


母は

「ふじこは

私のことを憎んでるよね!

あなたを捨てて出ていった私のことを!!

そんなに私が憎いのか!

だったら、ここでこの子と一緒に死んでやる!」

と孫を抱きしめながら叫んだ。

 

 

私と母は、何十年も避けてきたこと、

つまり、母が私たち兄弟を捨てて

家を出て離婚したこと、


そう、

パンドラの箱を開けてしまったのだ。