飯豊山行った帰りに
会津若松観光してきました

せっかく勉強したのでアウトプットです😊





会津若松城(鶴ヶ城)



簡単に歴史を振り返ってみます

長年に渡り会津の戦国大名葦名氏が支配

そして、伊達政宗に敗退


伊達政宗(1589年〜1590年)

念願の会津支配だったが

秀吉の上洛を無視した事により

自ら死を覚悟して謝罪

たったの1年で会津を去る事に…


そして信長の娘婿 蒲生氏郷(1590年〜1595年)

が会津の基礎を作った

一番頑張った人だね✨

でも、40歳で病死😭


そして、しばらく蒲生氏の身内が引き継いだ後

上杉景勝(1598年〜1601年)入城

上杉謙信の養子対決御館の乱で勝った人

軍師 直江兼続が築城しようとしたら家康に反対され、ムカついたから反抗的な手紙いわゆる

直江状を書いたら

家康がカンカンに怒ってしまい

家康が怒り会津征伐へ!いざ出陣💢


東に向かう家康を見ながら

その隙を狙いチャンスとばかりに

石田三成が東方へ移動、家康を挟み撃ちに!


三成の動きを知って

小山にいた家康はすぐに踵を返し

関ヶ原で対峙 天下分け目の合戦

これが1600年 関ヶ原の合戦です

東軍、家康の勝利‼️


景勝は罰として、米沢30万石に降格左遷

ここで処刑しないのが家康ですよね

信長なら絶対に処刑してたし…

そして再び蒲生家が会津に返り咲き✨




そして時は流れ1868年戊辰戦争

旧幕府軍VS新政府軍

藩主 松平容保

会津が故郷の新撰組は鳥羽伏見の戦いで

薩長率いる新政府軍に敗北

土方歳三だけは函館まで新政府軍と戦い続け

五稜郭にて35歳で壮絶な戦死


会津若松城は1ヶ月に渡る籠城を続けるも

火のついた城下町を城が落ちたと勘違いした

若き白虎隊が飯盛山で自害

その後、降伏をして廃城


更に月日が過ぎて1965年に復元

今に至ります



(歴史に間違いあるかもしれません、その際は諸説ありって事でお許し願います)





天守閣から会津若松の街を東西南北眺めます

方角は分かりません





当時の石垣も残ってます






幕末、戊辰戦争の舞台となった鶴ヶ城

観光出来る時間が取れて良かったと思います😊


一応私、歴史好きです♪

1533年から1600年位までが

特にハマりまって勉強しました

幕末もすこ〜しだけ、勉強しましたが

どちらもすでに忘れてますね


こういう機会に復習しないと

せっかく得た知識が飛んでしまうので

もったいないですね。


先日のEさんとの飲みで戊辰戦争の話題に

触れたので

せっかくだからブログに残してみました✨


私の歴史の入り口は司馬遼太郎の

【国盗り物語】

Eさんの歴史の入り口は司馬遼太郎の

燃えよ剣】

どちらも司馬遼太郎ですが

戦国時代と幕末の違いがあって

面白いですよね😊


お互いが知ってる知識や

違う角度から勉強してきた人の話を聞くのは

とっても楽しいですよね🎵


歴史の話をしながら飲むのも好きですよ🍻

ご一緒できる興味ある人いるかな?(笑)






そして会津グルメも楽しんできました😋


喜多方ラーメンと

(会津若松グルメじゃないけどw)






味噌カツ定食

ネットで調べたら会津若松はソースカツで有名らしいが、お店に入ると味噌カツを勧められた🎵


味噌カツ大好きなので、迷わず味噌カツ❣️

美味しかったです(^^)/




はい、今日も良いお話でした❣️

って、どこが?(笑)