日本のために様のブログの転載です。
伊藤博文暗殺の安重根の石碑がハルピンに建造されるとかで、当然のことながら菅官房長官は単なる犯罪者扱いをしたところ南朝鮮から「彼は英雄だ」と反発さ
れています。日本のマスコミである、朝日・毎日・中日等も南朝鮮の反発招くので言葉には注意を、と論説しています。普段言論の自由をとくマスコミが日本政
府に向って言論統制を呼びかけているようなものです。
しかしながら韓国に残されている日本で言う公文書の記録からは、韓国の国民には伏せられているだけでやはり犯罪者であることに間違いありません。
安
は1879年、現在の北朝鮮にある海州市に生まれました。安の実家は裕福で、カトリックの洗礼も受けています。20代半ばから民族運動に身を投じ、愛国的
教育活動、そしてのちに武装闘争に身を投じ、最終的に1909年に日韓併合に反対する伊藤暗殺を決行し翌年処刑されました。ちょうど30歳のときでした。
その遺骨というか遺骸を韓国政府は必死に探しています、どのような経緯で、どこにあるのかは外務省の極秘文書に指定されています。
話がそれますが例えば民主党の親韓議員により文書が持ち出され南朝鮮に渡っても良いのでしょうか。特定秘密法は国会議員にこそ必要なのです。やたらと漏洩されては日本と日本国民を危機に陥れることになります。
こ
の事件当時の朝鮮の王室では日本への配慮から「伊藤氏が我が国の人間の『凶手』にかかった」(当時の皇太子による電報「純宗実録」に記載)と安をテロリス
ト扱いにしています。そして首都での歌舞音曲を禁止するなど喪に服し、日本への徹底した配慮を見せており、朝鮮にとっては「気まずい」(朝鮮日報の記事よ
り)事実であることが記録されて残っています。
韓国政府により同じように「なかったこと」になってしまっているのが、安の遺児・安俊生
の存在があります。実業家となった安俊生は、1939年に満州で伊藤博文の位牌に手を合わせ、伊藤博文の息子に「謝罪」しています。安俊生は戦後間もな
く、不遇のうちに死去しました。安の孫たちは追悼式典等メディアに登場していますが、安俊生の存在についてはほとんど報道されることはありません。
安
は獄中での遺著で韓国と日本、中共が共同して西欧列強に対抗すべきとの持論を展開していました。
ほかの人物なら「親日派」扱いされかねない主張ですが、韓国内では「現在の観点でも先駆的な思想」(中央日報)として称えられています。
韓国は「義士」「英雄」と称え、中共も一時は犯罪者としていましたが、最近は韓国とうまくやりたいのかニュアンスは違ってきています。しかし特筆すべき
は、北朝鮮では安のことを明確にテロリストと発言している事です。